A級戦犯

護送中のA級戦犯

A級戦犯(エイきゅうせんぱん)は、ポツダム宣言に基づき、極東国際軍事裁判所条例第五条(イ)項により定義された戦争犯罪人で、極東国際軍事裁判(東京裁判)で有罪判決を受けた者をさす。起訴された者を含む場合もある。この裁判に否定的な考えを持つ人々は「いわゆるA級戦犯」という言い方をする。

A級戦犯の逮捕までの経緯

1945年7月26日、ポツダム会談での合意に基づいて米英中により、大日本帝国に対して発した第二次世界大戦に関する13条から成る降伏勧告の宣言(ポツダム宣言)が行われた。第10項の中に「我らの俘虜(捕虜)を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰が加えられるであろう」とある。

同年8月8日、米英仏ソが「欧州枢軸諸国の重要戦争犯罪人の訴追及び処罰に関する協定」(ロンドン協定戦犯協定)を締結。ここで「平和に対する罪」と「人道に対する罪」という新しい戦争犯罪の概念が登場。

同年8月10日、日本がポツダム宣言を受諾。15日、終戦。

同年8月29日、アメリカ政府は連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー米陸軍元元帥)に暫定的な「日本降伏後初期の対日政策」を無線で指令。その指令書の一項に「連合国の捕虜その他の国民を虐待したことにより告発された者を含めて、戦争犯罪人として最高司令官または適当な連合国機関によって告発されたものは逮捕され、裁判され、もし有罪の判決があったときは処罰される。」とあった。翌30日、マッカーサーは厚木の海軍飛行場に降り立ち、「石井四郎関東軍防疫給水部731部隊隊長)はどこだ」と語った。その夜、マッカーサーは、CIC対敵諜報部部長エリオット・ソープ准将東條英機陸軍大将の逮捕と戦争犯罪人容疑者のリスト作成を命じた。アメリカ政府占領政策を円滑に進めるために天皇の存在は欠かせないと判断していたため昭和天皇の訴追はなされなかった。

同年9月2日、東京湾に碇泊した米戦艦ミズーリ連合国と日本の降伏調印式が行われた。同月9日、ソープ東條内閣の閣僚を中心に戦犯容疑者のリストマッカーサーに提出。直ちに米国務省に報告し、翌10日、国務省から了解の返電を受ける。

A級戦犯の逮捕

連合国軍最高司令官から終戦連絡中央事務局を通じて日本政府に通達され、本人には米第8憲兵司令部への出頭命令という形で伝達され、100名を優に超える逮捕者を出した。尚、出頭命令を受ける前に杉山元は9月12日に自殺している(第二次戦犯指名リストには掲載されていた)。またフィリピンでの行為はマニラ軍事法廷で裁かれたため、フィリピンで捕虜にならず帰国していた者は日本で逮捕後マニラへ送還された。

A級戦犯の第一次戦犯指名

1945年9月11日に逮捕命令(39名) 主に東條内閣閣僚が逮捕される。

東條英機(9月11日に自殺未遂)、東郷茂徳嶋田繁太郎賀屋興宣、鈴木貞一、土肥原賢二

岸信介岩村通世小泉親彦(9月13日に自殺)、橋田邦彦(9月14日に自殺)、井野碩哉本間雅晴マニラの軍事法廷で死刑判決)、黒田重徳マニラの軍事法廷で終身刑判決)、村田省蔵寺島健長浜彰マニラの軍事法廷で死刑判決)ら

1945年10月22日に逮捕命令(1名)

安倍源基

A級戦犯の第二次戦犯指名

1945年11月19日に逮捕命令(11名)

荒木貞夫小磯国昭松岡洋右松井石根南次郎白鳥敏夫

本庄繁(11月20日に自殺)、鹿子木員信、久原房之助葛生能久真崎甚三郎

A級戦犯の第三次戦犯指名

1945年12月2日に逮捕命令(59名)

畑俊六、平沼騏一郎、広田弘毅星野直樹大川周明佐藤賢了

鮎川義介天羽英二安藤紀三郎、青木一男、有馬頼寧藤原銀次郎古野伊之助郷古潔後藤文夫秦彦三郎本多熊太郎井田磐楠池田成彬池崎忠孝石田乙五郎、石原広一郎、上砂勝七河辺正三菊池武夫木下栄市、小林順一郎、小林躋造児玉誉士夫松阪広政水野錬太郎牟田口廉也長友次男中島知久平、中村明人、梨本守正梨本宮守正王)、西尾寿造納見敏郎岡部長景大倉邦彦、大野広一、太田耕造太田正孝桜井兵五郎、笹川良一、下村宏、進藤一馬、塩野季彦四王天延孝正力松太郎多田駿高橋三吉高地茂都谷正之、徳富猪一郎(徳富蘇峰)、豊田副武津田信吾後宮淳横山雄偉

A級戦犯の第四次戦犯指名

1945年12月6日に逮捕命令(9名) 国際検察局IPS)が追加逮捕

木戸幸一、大島浩

近衛文麿(12月16日に自殺)、酒井忠正大河内正敏緒方竹虎大達茂雄伍堂卓雄須磨弥吉郎

1946年3月16日に逮捕命令(1名)

永野修身

1946年4月7日に逮捕命令(1名)

岡敬純

1946年4月29日に逮捕命令(2名)

梅津美治郎重光葵

A級戦犯のその他

板垣征四郎木村兵太郎武藤章は外地で逮捕。橋本欣五郎は国内で単独で逮捕。大谷敬二郎元東部憲兵隊司令官は、戦犯指名を受けるも逃亡。1949年に山口県内で発見されて逮捕された。またテイ・モン(日本占領中の駐日ビルマ大使)、ホセ・P・ラウエル(日本占領中のフィリピン大統領)、ハインリッヒ・スタイマー(駐日ドイツ大使)、オットー・クレッチマードイツ大使館付武官陸軍中将)ら外国人も多数逮捕されている。

A級戦犯の定義と問題点

A級戦犯は、ロンドン協定により開設された極東国際軍事裁判所条例の第五条(イ)項の定義により決定された。

「平和ニ対スル罪 即チ、宣戦布告ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又共同謀議ヘノ参加」

これに基づいて極東国際軍事裁判によって有罪判決を受け、戦争犯罪人とされた人々を指すことが一般的である(極東国際軍事裁判の被告人のうち、松井石根同裁判の判決においてA級に該当する犯罪容疑では全て「無罪」とされており、A級戦犯ではないとする説もある)。

なお、A級のAとは、同条例英文 Charter of the International Military Tribunal for the Far East において同条(イ)が (a) となる事に由来する分類上の名称であり、その文字自体に罪の軽重を示す意味は含まれないが、当該裁判では侵略戦争の開始は一番重い戦争犯罪と解釈されているため、下された刑も重かった。また当条例に於けるこの区分は最上位の戦争指導に相当するのも事実である。

オーストラリアの代表検事マンスフィールドは、昭和天皇の訴追を強硬に主張。しかしアメリカ政府の政治的判断に従うジョセフ・B・キーナン首席検察官が局長を務める国際検察局は天皇の訴追には断固反対し、免責が決定された。東京裁判の途中まで中華民国は天皇の訴追を強く要求していたが、中国国内中国共産党軍の勢力が拡大するにつれて、アメリカの支持を取り付けるためその要求を取り下げた。

平和に対する罪・人道に対する罪の適用は事後法であり法の不遡及原則に反していることから、インドラダ・ビノード・パール判事はこの条例の定義を適用せず被告人全員の無罪を主張した。オーストラリアウェッブ裁判長は、被告全員を死刑にすることに反対。その理由として最大の責任者である天皇が訴追されなかったため量刑が著しく不当であるというものである。フィリピンジャラニラ判事は刑の宣告は寛大に過ぎ、これでは犯罪防止にも見せしめにもならないと強く非難した。BC級戦犯は、約1000名が死刑判決を受けている。

人体実験で3000人以上の中国人らを殺した石井四郎関東軍防疫給水部731部隊隊長)、その右腕の内藤良一ら731部隊関係者はその研究資料アメリカに引き渡すという交換条件により免責されている。

サンフランシスコ平和条約で、日本は東京裁判などの軍事裁判の結果を受け入れることが規定されており法的には日本は国家として判決を受け入れているが、国内においては、それを不服として異論を持つ者もいる。また靖国神社のA級戦犯の合祀の是非やそれに対し首相ら閣僚が参拝することの是非が問われている。1985年に中曽根康弘首相元海軍主計中尉)が靖国神社公式参拝した後、「靖国神社国家護持」を唱える瀬島龍三千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会会長(元関東軍参謀陸軍中佐)に合祀取り下げを働きかけたことにより、分祀論が始まった。

A級戦犯の極東国際軍事裁判に起訴された被告

関東軍関係 板垣征四郎 - 南次郎 - 梅津美治郎 特務機関 土肥原賢二 陸軍中央 荒木貞夫 - 佐藤賢了 - 鈴木貞一 - 木村兵太郎 - 橋本欣五郎 - 畑俊六 - 武藤章 - 松井石根 海軍中央 嶋田繁太郎 - 岡敬純 - 永野修身 総理大臣 東條英機(陸軍) - 広田弘毅外交官) - 小磯国昭(陸軍) - 平沼騏一郎(司法官僚大蔵大臣 賀屋興宣 内大臣 木戸幸一 外務大臣 東郷茂徳 - 重光葵 - 松岡洋右 企画院総裁 星野直樹ドイツ武官 大島浩 駐伊大使 白鳥敏夫 思想家 大川周明

上記の28名が1946年4月29日に起訴された。28人名のうち、大川周明は梅毒による精神障害が認められ、訴追免除となり、永野修身松岡洋右判決前に病死しているため、1948年11月12日に被告として判決をうけた者は25名となっている。死刑は1948年12月23日に執行された。

A級戦犯の各被告の日米弁護人・補佐弁護人

被告 日本人弁護人 アメリカ人弁護人 補佐弁護人
荒木貞夫 菅原裕 ローレンス・マクマナス 蓮岡高明徳岡二郎
土肥原賢二 塚崎直義太田金次郎 フランクリン・ウォーレン 加藤隆久木村重治
橋本欣五郎 林逸郎 E・R・ハリス 金瀬薫二岩間幸平菅井俊子
畑俊六 神崎正義 A・G・ラザラス中尉 国分友治、今成泰太郎
平沼騏一郎 宇佐美六郎 サムエル・J・クライマン大尉 澤邦夫、毛利与一
広田弘毅 花井忠 デイビッド・F・スミスジョージ・山岡 安東義良森島伍郎
星野直樹 藤井五一郎 ジョージ・C・ウィリアムス 右田政夫松田令輔
板垣征四郎 山田半蔵 フロイド・J・マタイス 佐々川知治阪埜淳吉
賀屋興宣 高野弦雄 マイケル・レヴィン 田中康道藤原謙治山際正道
木戸幸一 穂積重威 ウィリアム・ローガン 木戸孝彦
木村兵太郎 塩原時三郎 ジョセフ・C・ハワード 是恒達見安部明
小磯国昭 三文字正平 アルフレッド・W・ブルックス 高木一也、三町恒久、小林恭一、松坂時彦
松井石根 鵜沢総明伊藤清 フロイド・J・マタイス 上代琢禅、大室亮一
松岡洋右 小林俊三 フランクリン・ウォーレン (不明)
南次郎 竹内金太郎岡本敏男 ウィリアム・J・マコーマックアルフレッド・W・ブルックス 松沢龍雄、近藤儀一
武藤章 岡本尚一 ロージャー・F・コール 佐伯千仞原清治松崎?
永野修身 奥山八郎 ジョン・G・ブラナン 安田重雄
岡敬純 宗宮信次 フランクリン・ウォーレン 小野清一郎、稲川龍雄
大川周明 大原信一 アルフレッド・W・ブルックス 金内良輔福岡文子
佐藤賢了 清瀬一郎→草野豹一郎 ジェームズ・N・フリーマン 藪馬伊三郎藤沢親雄
重光葵 高柳賢三 ジョージ・A・ファーネス大尉 金谷静雄、三浦和一
嶋田繁太郎 高橋義次 エドワード・P・マクダモット 瀧川政次郎祝島男鈴木勇
白鳥敏夫 鵜沢総明成富信夫 チャールズ・B・コードル 佐久間信広田洋二
鈴木貞一 長谷川元吉高柳賢三 マイケル・レヴィン 戒能通孝、加藤一平
東郷茂徳 穂積重威西春彦 チャールズ・T・ヤングジョージ・山岡 加藤伝次郎、新納克己
東条英機 清瀬一郎、塩原時三郎 ビーバレー・M・コールマン大佐ジョージ・F・ブルーエット 松下正寿
梅津美治郎 三宅正一郎→宮田光雄 ベン・ブルース・ブレイクニー少佐 小野喜作、池田純久、梅津美一

A級戦犯の判決

A級戦犯の絞首刑(死刑)

A級戦犯土肥原賢二松井石根東條英機武藤章)の絶筆

板垣征四郎 - 軍人、陸相(第1次近衛内閣平沼内閣)、満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長。(中国侵略・米国に対する平和の罪)

木村兵太郎 - 軍人、ビルマ方面軍司令官陸軍次官東條内閣)(英国に対する戦争開始の罪)

土肥原賢二 - 軍人、奉天特務機関長、第12方面軍司令官中国侵略の罪)

東條英機 - 軍人、第40代内閣総理大臣ハワイの軍港・真珠湾を不法攻撃、米国軍隊と一般人を殺害した罪)

武藤章 - 軍人、第14方面軍参謀長(フィリピン)(一部捕虜虐待の罪)

松井石根 - 軍人、中支那方面軍司令官(南京攻略時)(捕虜及び一般人に対する国際法違反南京大虐殺))

広田弘毅 - 文民、第32代内閣総理大臣太平洋戦争に至る日本の侵略政策作成)

A級戦犯の終身刑

荒木貞夫

梅津美治郎

大島浩

岡敬純

賀屋興宣

木戸幸一

小磯国昭

佐藤賢了

嶋田繁太郎

白鳥敏夫

鈴木貞一

南次郎

橋本欣五郎

畑俊六

平沼騏一郎

星野直樹

A級戦犯の有期禁錮

重光葵 (7年)

東郷茂徳 (20年)

A級戦犯の判決前に病死

永野修身 (1947年1月5日没)

松岡洋右 (1946年6月27日没)

A級戦犯の訴追免除

大川周明 (梅毒による精神障害が認められ訴追免除


A級戦犯の脚注

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  1. ^ 「a項 - 平和に対する罪」では無罪

  2. ^ 獄中死

    A級戦犯の処刑後について

    殉国七士墓

    処刑された7人の遺体は横浜の久保山火葬場で火葬され、遺骨は米軍により東京湾に捨てられた。しかし、12月25日に小磯国昭の弁護人だった三文字正平共同骨捨て場から遺灰(7人分が混ざった)を密かに回収し、近くの興禅寺に預けた。1949年5月に伊豆山中興亜観音[1]に密かに葬られた。その後、1960年8月16日に愛知県幡豆郡幡豆町三ヶ根山の山頂付近に移された。三ヶ根山には「殉国七士廟」が設けられ、その中の殉国七士の墓に遺骨が分骨されて安置されて今に至る。

    A級戦犯の昭和殉難者

    1978年、靖国神社死刑及獄中死の14名を「昭和時代の殉難者」として合祀した。 靖国に戦死者以外が合祀されることは例外的であった。また、広田弘毅など非軍人を合祀したことでも例外的な措置であった。 死亡の理由は「法務死」となっている。

    板垣征四郎

    梅津美治郎

    木村兵太郎

    小磯国昭

    白鳥敏夫

    土肥原賢二

    東郷茂徳

    東條英機

    永野修身

    平沼騏一郎

    広田弘毅

    松井石根

    松岡洋右

    武藤章

    A級戦犯の裁判を免れたA級戦犯被指定者

    A級戦犯の不起訴により釈放

    青木一男

    安倍源基

    阿部信行

    天羽英二

    安藤紀三郎

    石原広一郎

    岩村通世

    岸信介

    葛生能世

    児玉誉士夫

    後藤文夫

    笹川良一

    正力松太郎

    須磨弥吉郎

    高橋三吉

    多田駿

    谷正之

    寺島健

    梨本宮守正王

    西尾寿造

    本多熊太郎

    真崎甚三郎

    里見甫

    A級戦犯の病気により釈放

    赤木桁平

    (注)A級戦犯に指名されながら、釈放された者は、少なくとも70名強存在するが、網羅的な資料が存在せず、その人数は確定できない。

    A級戦犯の不起訴により自宅拘禁解除

    徳富蘇峰

    A級戦犯の行方不明

    大谷敬二郎

    (注)大谷敬二郎は、1946年4月に戦犯指定を受けるが、遺書を残して妻と共に姿を消した。東京裁判も終わった1949年3月、山口県内で行商をして潜伏していたところを発見されGHQに逮捕される。同年9月に裁判において重労働刑10年の判決が下され、1956年に仮釈放となった。

    A級戦犯の自殺

    小泉親彦

    近衛文麿

    橋田邦彦

    本庄繁

    A級戦犯の名誉の回復

    1952年4月28日サンフランシスコ平和条約発効

    第11条(戦争犯罪) 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の判決を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した1又は2以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。

    1952年6月9日参議院本会議にて「戦犯在所者の釈放等に関する決議」

    1952年12月9日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」

    1953年8月3日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」

    1955年7月19日衆議院本会議にて「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」

    戦犯の国内での扱いに関して、それまで極東国際軍事裁判などで戦犯とされた者は国内法上の受刑者と同等に扱われており、遺族年金や恩給の対象とされていなかったが、1952年(昭和27年)5月1日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され、戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われる事となった。これにより1952年(昭和27年)4月施行された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」も一部改正され、戦犯としての拘留逮捕者について「被拘禁者」として扱い、当該拘禁中に死亡した場合はその遺族に扶助料を支給する事になった。

    1952年6月9日「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、1952年12月9日「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」、1953年8月3日「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が可決された。そして「恩給改正法」では受刑者本人の恩給支給期間拘禁期間を通算すると規定され、1955年には「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がされた。そして国際的にも、サンフランシスコ講和条約第11条の手続きにもとづき関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯は1956年に釈放された。

    A級戦犯として有罪判決を受け禁固七年とされた重光葵元外相釈放後鳩山内閣副総理外務大臣となり勲一等を授与された。1954年に外務大臣に就任した重光は、日ソ国交回復国連加盟も成し遂げている。また、終身刑とされた賀屋興宣元蔵相池田内閣法務大臣を務めた。またA級戦犯元被指定者の岸信介内閣総理大臣になった。これらにより「日本政府は公式に戦犯の名誉回復を表明してはいないが、以上の事実より実質上名誉回復されている」とも言われ、また、「戦犯は国際法によって裁かれたもので、国内法上の犯罪者には該当しないため、名誉回復の必要性自体が存在しない(名誉が損なわれていないので、回復する必要がない)」という意見もある。

    前述の通り、日本政府はサンフランシスコ講和条約第11条で東京裁判の判決を受諾しているが、これについて「裁判自体と判決は分離して考えるべきで、日本政府が受諾したのは判決の結果(刑の執行)だけであるから、裁判全体、すなわち、法廷における事実認定や判決理由についてまで受諾した訳ではない」という意見もあり、また「赦免を以って名誉回復とするか否かは議論の別れるところだが、他方で、法治国家に於ては法の定める刑の執行が完了した時点で罪人から前科者へと立場が変わるので、刑の執行が既に済んだ者をその後も罪人扱いすること自体が法治国家にそぐわない野蛮な行為である」とする意見がある一方、「東京裁判(極東国際軍事裁判)の判決をくつがえす新たな国際法廷は開かれていない。国際社会において「A級戦犯」は今も戦争犯罪人として認識されている。また、日本政府も同様の立場を取っている。故に、戦争犯罪者であるか否かだけを問題とするのなら、彼らの名誉回復は為されていないことになる。」とする意見もある。

    第3次小泉内