イバン・ロドリゲス

イバン・ロドリゲスIv?n Rodr?guez Torres、 1971年11月30日 - )は、プエルトリコベガ・バハ出身の野球選手ポジションは捕手。右投右打。現在はニューヨーク・ヤンキースに所属(2008年7月30日移籍)。ニックネームは、パッジPudge 「ずんぐりむっくりした体型」の意)、I-Rod。

イバン・ロドリゲスの経歴

イバン・ロドリゲスのプロ入り前

アマチュア野球選手だった父親の影響もあり、幼い頃から野球一筋だった。少年時代は投手も務めており、後にメジャーでもチームメイトとなるフアン・ゴンザレスと同じリトルリーグに所属していた。当時は直球だけでノーヒットノーランを達成するほどの豪速球を投げていたという。その後、父親の勧めで捕手に転向、捕手としてもその強肩と打棒で注目を集めるようになる。

イバン・ロドリゲスのレンジャーズ時代

1988年、16歳のときにドラフト外でテキサス・レンジャーズと契約。当時はスペイン語しか話せなかったが、英語を上達させ、それと共に成績を残せるようになった。1991年6月20日のホワイトソックス戦で19歳でメジャーデビューケビン・ブラウンバッテリーを組み、盗塁を試みた走者2人とも刺すなどデビュー戦から強肩ぶりを発揮。メジャーリーグ史上最も若い捕手として一躍注目を浴びた。相手のホワイトソックスの捕手は、元祖「パッジ」のカールトン・フィスクであった。また、この日はロドリゲス結婚式が予定されていたが、突然メジャー昇格の知らせを聞き、婚約者を連れて球場入り。ロドリゲスはそのままスタメンに名前を連ねるというハプニングもあった。

翌6月21日には、当時44歳でメジャー最年長投手だったノーラン・ライアンバッテリーを組み、19歳でメジャー最年少捕手のロドリゲスとの25歳差バッテリーとしてこちらも話題を呼んだデビュー1年目から随所に強肩強打を発揮し、新人王の投票数は4位だった。

その後はメジャー屈指の捕手として君臨。1992年、リーグ最年少の選手となり(1991年はリーグ2位)、オールスターに初めて出場し以後10年連続出場した。ゴールドグラブ賞を受賞以後10年連続受賞。1994年から6年連続でシルバースラッガー賞を受賞した。1995年、打率.303を記録し以後8年連続打率3割を達成。1996年には1930年にミッキー・カクレーンが記録した捕手のシーズン最多であった42二塁打を更新する44二塁打を記録し、639打数も捕手としての大リーグ新記録となった。1997年1月29日に5年総額4,200万ドルで契約延長した。

当時チームには同郷のフアン・ゴンザレスも在籍しており、2人を中心としてチームは1996年、1998年、1999年と3度の地区優勝を果たした。1997年にゴンザレスウィンターリーグが故障したため、球団から出場を禁止されたが、猛反発し出場した。1998年は5月9日まで打率4割を維持し、その後も首位打者争いをしたが、シーズン終盤に失速し最終的にリーグ8位の.321に終わった。1942年のアーニー・ロンバルディ以来となる捕手としての首位打者とはならなかった。

1999年に打率.332・35本塁打・113打点・25盗塁という成績を残し、アメリカンリーグMVPを受賞した。2000年には91試合を出場した時点で打率.347・27本塁打・83打点と前年を上回る成績を残していたが、7月24日のエンゼルス戦で、盗塁を刺そうとした際に右手親指を打者のバットに当ててしまい、故障者リスト入りでシーズンを終えることとなった。2001年にはアレックス・ロドリゲスチームに加入し(I-Rodという愛称は、同じくロドリゲスという姓であるアレックスの愛称A-Rodと共にこの頃つけられた)、リーグ優勝への期待が高まったが、逆にチームは低迷。2001年、2002年と自身も故障が続き、好成績は残すもののシーズンを通して出場することが出来なかった。

イバン・ロドリゲスのマーリンズ時代

2003年、FAを取得しフロリダ・マーリンズに移籍。若い選手が多い中でベテランとしてチームをまとめ、チームワイルドカード獲得原動力となった。プレーオフ1回戦のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦では、2勝1敗で迎えた第4戦での9回表、1点差に迫られたシーンで、ヒットで生還しようとしたJ.T.スノーに吹っ飛ばされながらも、ホームを死守。チームもこのまま逃げ切り、リーグ優勝決定戦に駒を進めた。シカゴ・カブスとのナショナルリーグ優勝決定戦では、4勝3敗と僅差でこれを下し、自身も2本塁打・10打点という活躍で、MVPを獲得した。ワールドシリーズではニューヨーク・ヤンキースを4勝2敗で下し、メジャー13年目にして悲願のチャンピオンリングを手に入れた。

イバン・ロドリゲスのタイガース時代

2004年2月2日、1年限りでマーリンズを離れ、4年契約でデトロイト・タイガースに移籍。移籍1年目に打率.334・19本塁打・86打点と好成績を残し、3年ぶりにゴールドグラブ賞を受賞。翌2005年はオールスターゲーム前日に行われたホームランダービーではボビー・アブレイユに次ぐ2位となったが、レギュラーシーズンは打率.276・14本塁打・50打点と低迷、出塁率もデビュー以来となる3割を切ることとなった。

2006年、ワールド・ベースボール・クラシックプエルトリコ代表に選出される。シーズンでは打率を3割にのせ、チームリーグ優勝に貢献し、若い投手の力を引き出し堅い守りを評価され、2年ぶりにゴールドグラブ賞を受賞。一方でメジャー16年目にして初めて捕手のほか一塁、二塁の守備につき、一塁では55イニングと63度の、二塁では2イニングの出場と1度の守備機会をそれぞれ記録した。

2007年は捕手に専念し、129試合に出場(捕手としてプレーしたのは127試合)。2年連続となる13度目のゴールドグラブ賞を獲得したものの、盗塁阻止率自己ワーストとなる30.9%、打撃も精彩を欠いた。また、7月3日のインディアンス戦で、ボブ・ブーン(2225試合)、カールトン・フィスク(2226試合)、ゲーリー・カーター(2056試合)に続き、史上4人目となる捕手として2000試合出場を達成。チームも序盤は好調を維持したものの終盤で失速、ヤンキースワイルドカードを奪われ、プレーオフ進出はならなかった。2007年10月9日、タイガースは年俸1,300万ドルのオプションを行使し2008年の残留が決まった。

イバン・ロドリゲスのヤンキース時代

2008年7月30日、カイル・ファーンズワースとの交換トレードニューヨーク・ヤンキースに移籍した。

イバン・ロドリゲスの選手としての特徴

打席に立つイバン・ロドリゲス(2005年7月11日)

イバン・ロドリゲスの守備

捕手として史上最多のゴールドグラブ賞13回を受賞しており、名捕手ジョニー・ベンチの再来といわれる。彼の守備の特徴は走者が一塁に出ているときでさえ必ず牽制をしているというところや、生来の強い肩に加えて捕球してから次動作に短時間で移れるところである。座ったまま強烈な送球を一塁や二塁に送り走者を刺すプレーも見せる。2001年には盗塁阻止率.603を記録した。また小柄な体を生かしてフットワークが異常に良く、捕球が困難なキャッチャーフライなどにもすばやく反応できる。

近年は故障がちでシーズンを通しての出場が難しくなった。また盗塁阻止率の低下やパスボールの増加など、攻守共に往年ほどの働きは見られなくなっている(といってもいまだ一線級)。しかし長年の経験からリード面では円熟味が増しており、若い投手のまとめ役としてチームにとってなくてはならない存在である。

イバン・ロドリゲスの打撃

シルバースラッガー賞7回、通算打率は3割を超える強打者。一方、早打ちでどんな球でも振っていくため、三振は比較的多く、四球は非常に少ない。2005年・2007年の四球数は規定打席到達者の中でメジャー1位の少なさである。これに加え右打者でもあることから併殺打が非常に多く、現役選手では最多の通算併殺数を記録している。

イバン・ロドリゲスの獲得タイトル・記録

アメリカンリーグMVP 1回:1999年

ナショナルリーグ優勝決定シリーズMVP 1回:2003年

シルバースラッガー賞 7回:1994年 - 1999年、2004年

ゴールドグラブ賞 13回:1992年 - 2001年、2004年、2006年 - 2007年

MLBオールスターゲーム選出 14回:1992年 - 2001年、2004年 - 2007年

イバン・ロドリゲスの年度別打撃成績

数字は2007年までのもの。太字はリーグ1位。

◇出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)『イバン・ロドリゲス』より
取得日:2008-08-02

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