ピエルルイジ・コリーナ

ピエルルイジ・コッリーナ(Pierluigi Collina、1960年2月13日 - )は、イタリア・ボローニャ出身のサッカー審判員である。また同時にボローニャ大学経営学部および法学部を卒業しておりファイナンシャル・アドバイザーとしての顔をも持つ。

ピエルルイジ・コリーナの人物

スキンヘッド(極度の脱毛症のため、顔面の一切の毛がない)と鋭い目つきが印象的なサッカー界では有名かつ存在感のあるレフェリーイタリア語・英語・スペイン・フランス語に堪能で、的確なレフェリングは一目置かれ、サッカーの大一番の試合で笛を吹くこともしばしば。世界中サッカーファンの間では「世界一のレフェリー」との呼び声も。

子どもの頃、地元のサッカークラブではディフェンダーであったが、1977年、17歳にして審判の育成課程を選択。20代にしてイタリア各地で審判を務めるようになり、1991年にはセリエBやセリエAでデビューを果たす。1995年には国際審判員の資格を取得。1999年から5年連続でFIFA最優秀審判員に選出されている。なお、2005年をもって定年規定によりイタリアサッカー協会の審判員を引退したが、FIFA国際審判員は引き続き務める。また、審判の定年が48歳のプレミアリーグから、重要な試合限定の主審としてのオファーもある。

2002 FIFAワールドカップでは札幌ドームアルゼンチンVSイングランド戦、宮城スタジアムの日本VSトルコ戦そして横浜国際総合競技場での決勝戦・ブラジルVSドイツ戦の笛を吹いた。

ちなみに、引退後長年にわたりラツィオのファンであることを明らかにした。出身地ボローニャバスケットボールチームサポーターでもある。

ピエルルイジ・コリーナの語録

「間違いは誰でも犯す、その間違いもサッカーの一部なのだ」

サッカーは完璧なプレーだけで成り立っているわけではない。我々審判は一人一人が常に改善を心掛けているが、やはりその中でミスというのは出てくる。もし、選手がサッカープレーする中でミスを犯す事が許されないのであれば、その選手は競技する種目を変えなくてはいけないだろう。主審に関してもそれは当てはまるんだ」

「私たちはフィールドでは一つのチームであり、主審も一人では自分を信頼することはできません。副審2人の協力なしでも試合を裁けるなんて思う主審は哀れだと思いますね。」

「同じ病気の子を持つ母親たちから、私は多くのメールや手紙をもらう。彼らに対し、もっと敬意を払うべきだと思う」

国内年間表彰「オスカー賞」の授賞式に出席したが、脱毛症の持病を冗談に使った映像を流されたことに激怒。

「審判というのは規則を守らせる存在だ。だから、私もルールに従うさ」

イタリアの審判の定年である45歳を迎えるにあたって、その功績から協会から定年後も審判を続けて欲しいと依頼されるが、それを固辞して審判を引退すると発表した時のコメント。

◇出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)『ピエルルイジ・コリーナ』より
取得日:2009-02-26

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