京阪電気鉄道株式会社(けいはんでんきてつどう、英称 Keihan Electric Railway Co., Ltd.)は、大阪府・京都府・滋賀県に路線網を持つ日本の大手私鉄。略称は京阪(京阪電鉄、京阪電車とも呼ばれる)。登記上の本店は大阪府枚方市岡東町173番地の1。本社事務所は大阪府大阪市中央区大手前一丁目7番31号 大阪マーチャンダイズ・マートビル内。営業キロ程は88.1km。
京阪電気鉄道と、その子会社75社(有価証券報告書への記載義務のある連結子会社および有価証券報告書への記載義務のない非連結子会社を合わせた全子会社数)、および持分法適用関連会社3社から構成されている京阪グループの中核企業である。
京阪電鉄の概要
京阪電気鉄道は、世界初・日本初・関西初・戦後初・特許となる技術やサービスが多く、関西では鉄道ファンに名を知らしめている特徴のある私鉄である。
現在のスローガンは「こころまち つくろう KEIHAN」である。2008年4月15日までの京阪グループ共通スローガンは「街をつなぐ、心をむすぶ KEIHAN GROUP」であった。
テレビCMではこれまで全国的に知名度の高いタレントを起用してきたが、2000年12月からは「京阪のる人、おけいはん。」をキャッチフレーズに各種キャンペーンを展開している(→歴代CM出演者・おけいはん)。
大阪証券取引所第一部に単独で株式を上場していたが、2006年3月22日には東京証券取引所第一部にも上場した。また、同年11月13日に開業100周年を迎える2010年を目処に純粋持株会社へ移行することが発表され(仮称:京阪ホールディングス)、その傘下に置かれる運輸業・不動産業・流通業・レジャーサービス業の各事業を統括する形態になると説明されている。
スルッとKANSAIでカードに印字される符号はKHである。
京阪電鉄の歴史
京阪天満橋駅(京阪シティモール)京阪電気鉄道は大阪と京都を結ぶことを目的に設立され、1910年4月15日に最初の路線が開業した。阪神電気鉄道などと同様に軌道特許で開業したため、当初は併用軌道や急曲線が至る所にあり、それを克服するため様々な技術開発が行われた。1920年代には京津電気軌道や琵琶湖鉄道汽船を相次いで合併し、琵琶湖を自社の営業エリアに収めた(京阪の社史では「湖上制覇」と表現している)。
また、並行線を他社によって敷設されることを阻止する企業防衛のための新京阪鉄道(現・阪急京都本線)建設や奈良電気鉄道(現・近鉄京都線)・阪和電気鉄道(現・JR西日本阪和線)への関与、さらには和歌山(阪和と和歌山軌道線)への進出など積極的な拡張策を展開した。しかし、投資が回収できないうちに昭和恐慌に見舞われ、逼塞を余儀なくされる。
太平洋戦争中には陸上交通事業調整法に基づき阪神急行電鉄と合併し、京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)となる。戦後に分離するが、この時新京阪線は阪急に残ることとなり、淀川左岸の路線での再発足となった。
これらの経験が、他の関西大手私鉄と比べて事業の多角化に慎重で、本業を重視する傾向につながったともいわれる。しかし、少子・高齢化により鉄道事業のみでは今後の発展は望めないとして、創業100年を機にエリア外(特に関東地方)での事業多角化を進めることを明らかにしている。すでに関東に進出しているジューススタンドに加え、「ホテル京阪」や流通事業の全国進出が検討され、すでに北海道札幌市内に「ホテル京阪札幌」を、東京都台東区内に「ホテル京阪浅草」を建設することが決定した(ジューススタンドを除けば京阪グループの全国展開第1号である)。
京阪電鉄の年表
1906年(明治39年)11月19日 - (旧)京阪電気鉄道株式会社設立。資本金700万円(現在の貨幣価値に換算して約189億4,500万円)。
1910年(明治43年)4月15日 - 大阪・天満橋 - 京都・五条間開業。
1910年(明治43年)10月15日 - 第1回菊人形を香里遊園地で開催。
1911年(明治44年)10月 - 大阪地区で電気供給事業開始。
1913年(大正2年)6月1日 - 宇治線、中書島 - 宇治間開業。
1913年(大正2年)10月1日 - 摂津電気を合併。
1914年(大正3年)5月15日 - 日本初の電車による「急行」運転を天満橋 - 五条間で開始。
1915年(大正4年)4月1日 - 日本で初めて色灯三位式自動閉塞信号機の使用を開始。
1915年(大正4年)10月27日 - 京阪本線の五条 - 三条間が延伸開業。
1917年(大正6年)1月17日 - 京阪本線・深草車庫で火災、車両19両焼失。
1919年(大正8年)4月1日 - 安威川水力電気を合併。
1922年(大正11年)6月28日 - 淀川西岸の高速新線建設のため新京阪鉄道株式会社を設立。
1922年(大正11年)7月1日 - 和歌山水力電気株式会社を合併。和歌山地区の電気供給事業と軌道事業を継承。
1925年(大正14年)2月1日 - 京津電気軌道株式会社を合併し、京津線とする。
1925年(大正14年)5月5日 - 京津電気軌道から継承した京津線の札ノ辻 - 浜大津間を延伸開業。
1926年(大正15年)3月1日 - 日高川水力電気を合併。
1926年(大正15年)9月1日 - 京津線沿線の電気供給事業を京都電燈に譲渡。
1927年(昭和2年)8月31日 - 日本初の全鋼製ロマンスカー(1550形)を新造。
1928年(昭和3年)3月1日 - 京阪土地(元の北大阪電気鉄道)を合併。
1929年(昭和4年)4月11日 - 琵琶湖鉄道汽船株式会社を合併し、浜大津以南の路線を石山線とし、浜大津以北の路線を坂本線とする。
1930年(昭和5年)5月10日 - 合同電気株式会社に和歌山地区の電気供給事業と軌道事業を譲渡。
1930年(昭和5年)9月15日 - 新京阪鉄道株式会社を合併し、天神橋 - 西院間の路線を新京阪線、十三 - 淡路間の路線を十三線、淡路 - 千里山間の路線を千里山線、桂 - 嵐山間の路線を嵐山線とする。
1931年(昭和6年)3月31日 - 新京阪鉄道からの継承事業であった新京阪線の西院 - 京阪京都を延伸開業(関西初の地下鉄道)。
1931年(昭和6年)10月14日 - 京阪本線の蒲生信号所 - 守口(現在の守口市)間の併用軌道(通称「野江の七曲り」)を廃止。同区間の線路を移設の上立体交差化。
1933年(昭和8年)2月1日 - 日本初のコンパウンドモーターによる回生ブレーキ付き車両50形4両を新造(末尾55-58)。
1933年(昭和8年)12月29日 - 京阪本線の蒲生信号所 - 守口(現在の守口市)間を複々線化。
1934年(昭和9年)3月19日 - 日本初の連接車「びわこ号」竣工。
1934年(昭和9年)4月2日 - 三条(三条大橋)経由、天満橋(京阪本線) - 浜大津(京津線)間直通の特急「びわこ号」の営業運転を開始(戦時中に一時休止)。
1934年(昭和9年)9月21日 - 室戸台風が関西を来襲。守口車庫半壊をはじめ全線で大きな被害を受ける。
1935年(昭和10年)6月29日 - 鴨川大水害。三条 - 七条間で浸水、路盤倒壊など大きな被害を受ける。鴨川の河川改修(鴨川の掘り下げと拡幅)に合わせて京阪線を地下化する計画が策定される。
1942年(昭和17年)4月1日 - 電力統合政策により電気供給事業を関西配電(関西電力の前身)に現物出資。
1943年(昭和18年)10月1日 - 戦時企業統合政策(陸上交通事業調整法)による政府からの勧奨を受け、阪神急行電鉄株式会社と合併し、京阪神急行電鉄株式会社(現在の阪急電鉄株式会社。法人格としては現在の阪急阪神ホールディングス株式会社)が発足(書類上の存続会社は阪神急行電鉄株式会社)。
1945年(昭和20年)5月1日 - 交野電気鉄道株式会社の事業を譲り受け、交野線とする。
1945年(昭和20年)12月21日 - 奈良電気鉄道(現在の近鉄京都線)が京阪本線の丹波橋 - 三条間に乗り入れ開始。
1947年(昭和22年)4月1日 - 京阪線の電車が奈良電気鉄道の丹波橋 - 京都間に乗り入れ開始。
1949年(昭和24年)8月7日 - 京津線四宮車庫で火災。車庫・変電設備と車両22両を焼失。
1949年(昭和24年)12月1日 - 京阪神急行電鉄から京阪本線、交野線、宇治線、京津線、石山線、坂本線が分離譲渡される形で、日本で14番目の大手私鉄となる(新)京阪電気鉄道株式会社が発足。
1950年(昭和25年)9月1日 - 京阪本線の天満橋 - 三条間に特急の運行を開始、天満橋 - 三条間を53分で結ぶ。
1950年(昭和25年)10月11日 - 宇治川の志津川発電所への資材運搬軽便鉄道を利用して天ヶ瀬 - 大峯間3.2kmに「おとぎ電車」が開業(遊戯施設の扱い)。
1951年(昭和26年)3月30日 - 特急専用車1700系10両を新造。特急電車の「マンダリン・オレンジ」と「カーマイン・レッド」のツートンカラーがこの電車から始まる。
1952年(昭和27年)4月1日 - 日本初の「スーパーマーケット」となる京阪スーパーマーケットを京阪本線の旧京橋駅構内に開店。
1952年(昭和27年)7月17日 - 特急列車の先頭エンブレム(鳩マーク)の使用を開始。
1953年(昭和28年)7月22日 - 1800系特急用電車2両を新造。
1953年(昭和28年)9月25日 - 台風13号で京都府南部に被災。宇治川の堤防決壊・山科川への逆流などで京阪線・宇治線・おとぎ電車で浸水・築堤倒壊・路盤流失など大きな被害を受けた(京阪線同年10月1日復旧・おとぎ電車翌年3月復旧)。
1954年(昭和29年)9月3日 - 京阪線の特急でテレビを設置したテレビカーの運行を開始。
1955年(昭和30年)6月25日 - 京阪線天満橋 - 塩小路間の貨物営業を廃止、塩小路貨物駅廃止。
1955年(昭和30年)12月3日 - 鋼索線、八幡市 - 男山山上間開業。
1956年(昭和31年)1月10日 - 線路名称制定。石山線と坂本線を統合し、石山坂本線に改称。
1957年(昭和32年)3月9日 - 日本初の空気バネ台車「KS-50」取り付け車両の使用を開始(現在は寝屋川車庫と大阪市弁天町の交通科学博物館に1台ずつ保存・展示されている)。
1958年(昭和33年)12月1日 - 寝屋川車庫の使用を開始し、守口車庫を廃止。
1959年(昭和34年)8月6日 - 日本初の平坦線回生ブレーキを常用した2000系電車が使用を開始。
1960年(昭和35年)5月31日 - 「おとぎ電車」休止、廃線跡のほとんどは大峰ダムと共に天ヶ瀬ダム湖に沈む。
1961年(昭和36年)8月12日 - 京津線で各停用回生ブレーキ車80形が使用を開始。
1962年(昭和37年)12月22日 - 京阪最初の自動券売機を京橋・天満橋の両駅に設置。
1963年(昭和38年)4月15日 - 京阪本線の淀屋橋 - 天満橋間の地下新線が延伸開業。
1963年(昭和38年)11月29日 - 京阪淀屋橋ビル竣工(京阪初の不動産賃貸ビル)。
1964年(昭和39年)7月7日 - 日本初の駅冷房を京阪本線の淀屋橋駅で開始。
1966年(昭和41年)8月3日 - 蒲生信号所前で列車追突事故が発生。これをきっかけにATS導入が決まる。
1967年(昭和42年)6月15日 - 日本初の官民一体型のニュータウン「くずはローズタウン」造成工事起工式。
1967年(昭和42年)8月1日 - 淀屋橋 - 大和田間(複々線区間の緩行線を除く)にATSの地上設備を設置完了、特急列車のATS使用開始。関西私鉄初ATS設置運用開始。以後9月28日にまでに京阪本線の全区間にATSの地上設備の設置を完了した。
1968年(昭和43年)1月29日 - 宇治線ATS使用開始。
1968年(昭和43年)7月16日 - 交野線ATS使用開始。
1968年(昭和43年)9月12日 - 京阪本線全列車にATS車上装置を搭載完了。
1968年(昭和43年)12月20日 - 近鉄京都線(旧奈良電気鉄道)との相互乗り入れを廃止。
1969年(昭和44年)11月30日 - 京橋駅が移転高架化。
1970年(昭和45年)4月15日 - 京橋駅ビルに京阪ショッピングモール(現在の京阪モール)が開業。
1970年(昭和45年)5月15日 - 通勤冷房車(2400系)の営業運転での冷房装置使用開始。
1970年(昭和45年)11月1日 - 京阪本線の天満橋 - 野江間を複々線化。
1970年(昭和45年)12月22日 - 日本初の5ドア車両5000系が竣工。京阪電鉄初のアルミ車両。
1971年(昭和46年)7月1日 - 京阪初の冷房付き特急専用車3000系が運用を開始。
1972年(昭和47年)2月2日 - 寝屋川車両工場竣工。
1972年(昭和47年)4月1日 - 樟葉駅前にくずはモール街が開業。
1972年(昭和47年)7月1日 - 鴨川電気鉄道株式会社設立。
1974年(昭和49年)7月26日 - びわこローズタウンの第一期分譲を開始。
1975年(昭和50年)7月1日 - 社員に対して週休2日制を実施。
1975年(昭和50年)11月15日 - 全車両に「優先座席」を設定。
1976年(昭和51年)9月12日 - 京阪本線の守口市 - 門真市間高架複々線化。
1976年(昭和51年)11月20日 - 京阪で初めて駅に点字ブロックを設置(香里園駅)。以後順次各駅に設置へ。
1978年(昭和53年)3月30日 - 京阪電鉄、初の分譲マンション「ローズマンション藤森」が竣工。
1978年(昭和53年)7月30日 - 京阪本線の門真市 - 寝屋川信号所間の高架複線を使用開始。
1978年(昭和53年)8月8日 - 2600系電車が運用を開始。
1978年(昭和53年)9月1日 - 社員に対して給与振り込み制度を実施。
1979年(昭和54年)1月20日 - 主要12駅に点字運賃表を新設(京阪初の点字運賃表)。
1980年(昭和55年)2月20日 - 磯島曲線(枚方市 - 御殿山間)で京都行急行列車が置石による脱線転覆事故発生。
1980年(昭和55年)3月16日 - 京阪本線の土居 - 寝屋川信号所間が高架複々線化。京阪本線の天満橋 - 寝屋川信号所間12.6kmが私鉄最長(当時)の複々線区間となる。
1980年(昭和55年)3月23日 - ダイヤ改正で「土曜ダイヤ」導入(日本初)。
1980年(昭和55年)5月28日 - 最初の「京阪時刻表」を刊行。
1982年(昭和57年)3月29日 - 京阪本線の土居 - 寝屋川信号所間が高架複々線化工事竣工。守口市(下り線)仮駅横に残っていた踏切がなくなり淀屋橋 - 寝屋川信号所間14.1kmの立体交差化が完了。
1983年(昭和58年)3月17日 - 6000系電車が運用を開始。
1983年(昭和58年)12月4日 - 京阪線の架線電圧を直流600Vから1500Vに昇圧。
1984年(昭和59年)4月1日 - 京津線ATS設置完了。
1984年(昭和59年)6月27日 - 京阪線で弱冷房車を導入。
1984年(昭和59年)7月29日 - 6000系が鉄道友の会より「ローレル賞」を京阪電鉄で初めて受賞。
1985年(昭和60年)10月12日 - 守口市駅前(旧守口車庫跡地)に京阪百貨店が開業。
1986年(昭和61年)12月1日 - 全駅で朝夕のラッシュ時に「禁煙タイム」を実施。
1987年(昭和62年)5月24日 - 京阪本線の東福寺 - 三条間が地下化。
1987年(昭和62年)12月10日 - 京阪線で自律分散式列車運行管理システム (ADEC) の使用を全面的に開始。
1988年(昭和63年)4月1日 - 京阪社員へ完全週休2日制を実施。
1988年(昭和63年)9月1日 - 地下線の7駅が終日禁煙化される。
1989年(平成元年)4月1日 - 鴨川電気鉄道株式会社を合併。京阪線の車両冷房化率100%達成。
1989年(平成元年)7月4日 - 電力指令所の更新工事が竣工。
1989年(平成元年)9月27日 - 鴨東線完成に併せたダイヤ改正で京阪線の特急がすべて7両編成化(3000系の一部の6両編成に新特急車8000系中間車を組み込む)。
1989年(平成元年)10月1日 - プリペイドカード「Kカード」の発売を開始。
1989年(平成元年)10月5日 - 鴨川電気鉄道からの継承事業であった鴨東線の三条 - 出町柳間開業。8000系特急用電車運用開始。
1990年(平成2年)6月20日 - 回数乗車券を磁気カード化した「Kカード回数券」発売。
1991年(平成3年)11月29日 - 京福電気鉄道の100%出資子会社であった叡山電鉄の増資分を出資。株式の60%を取得し筆頭株主となる。
1992年(平成4年)5月12日 - 京阪東ローズタウン街開き。
1993年(平成5年)7月1日 - 会社組織改変「運輸・まちづくり・流通・ビジター」の4つの事業本部制を導入。
1994年(平成6年)5月1日 - 京阪のすべての駅で喫煙所を除き、全面禁煙化。
1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災が発生。これを契機に様々な地震対策や設備の耐震補強が行われる。
1995年(平成7年)9月1日 - 時差割引回数券(オフピークチケット)と土曜休日割引回数券(サンキューチケット)の発売開始。
1995年(平成7年)11月1日 - Kカード回数券で自動改札を利用可能にすると同時に指定駅のみに認められていた途中下車制度を廃止。
1995年(平成7年)12月25日 - 京阪線の特急専用車に2階建車両を連結開始。
1996年(平成8年)3月28日 - 京阪線に地震計測・制御システム導入。
1997年(平成9年)4月1日 - 京阪線の駅構内でワゴン販売「プラットボーイ」を開始(同年10月1日グッドデザイン賞に選定)。
1997年(平成9年)4月21日 - コンビニエンスストア「アンスリー」の1号店が樟葉駅構内に開業。
1997年(平成9年)9月30日 - 石山坂本線の穴太 - 坂本間が複線化され、鋼索線を除く鉄・軌道線全線の複線化を達成(一部複々線)。
1997年(平成9年)10月12日 - 京都市営地下鉄東西線の開通に伴い京津線の京津三条 - 御陵間を廃止。京都市営地下鉄東西線御陵 - 京都市役所前間に乗り入れ開始。それに伴い乗り入れ対応車800系電車の運行開始。大津線の架線電圧を直流600Vから1500Vに昇圧。「京阪電車の冷房車率100%」と「大津線電車の回生ブレーキ車率100%」を達成。
1998年(平成10年)4月29日 - 京阪線の特急専用車への2階建車両連結と8両編成化を完了。
1999年(平成11年)4月1日 - 京阪線(鴨東線・宇治線・交野線も含む)でスルッとKANSAI共通磁気カードシステムを導入し、「スルッとKANSAI Kカード」の発売を開始。
1999年(平成11年)10月23日 - けいはんな公園都市の街開き。
2000年(平成12年)10月1日 - 「まちづくり事業本部」を京阪電鉄不動産株式会社へ移管。
2001年(平成13年)8月31日 - 個人向け社債(愛称:「おけいはんボンド」)100億円を発行。
2002年(平成14年)2月19日 - 「京阪グループ新生計画Re Born21」を発表。同年7月1日計画推進のために組織改正して事業本部制を廃止。
2002年(平成14年)3月1日 - 京津線にも「スルッとKANSAI」システムを導入。
2002年(平成14年)3月29日 - 京福電気鉄道より叡山電鉄の全株式を取得。完全子会社とする。
2002年(平成14年)4月15日 - 交野線・宇治線で10000系電車が運用を開始。
2002年(平成14年)6月15日 - 使用済み乗車券をリサイクルして作ったお香「チケット セラピー」発売。
2002年(平成14年)11月30日 - 京津線全列車ワンマン運転化。
2003年(平成15年)5月28日 - 中之島新線起工式。
2003年(平成15年)10月4日 - 石山坂本線全列車ワンマン運転化。
2004年(平成16年)3月15日 - 鉄道会社では日本初となる「ISO14001」認証を会社全体で取得。
2004年(平成16年)8月1日 - スルッとKANSAI共通ICカードシステムPiTaPa導入(ただしこの時点では大津線には導入されず。また鋼索線は導入対象外)し、「e-kenet PiTaPa」発行。
2005年(平成17年)12月4日 - ひらかた大菊人形の歴史に幕が下りる。
2006年(平成18年)1月21日 - JR西日本のICカードICOCAの利用が可能に(他のPiTaPa導入各社も同時実施)。
2006年(平成18年)3月22日 - 東京証券取引所第一部に上場。
2007年(平成19年)4月1日 - 大津線にもPiTaPaが導入(乗り入れ先の京都市交通局の地下鉄路線も同時導入)され、鋼索線を除く京阪全線でPiTaPaの使用が可能となった。
2007年(平成19年)6月16日 - 全線に「早期地震警報システム」導入。
2007年(平成19年)6月17日 - 京阪線の「列車運行管理システム (ADEC)」を更新。
2007年(平成19年)9月22日 - 交野線でワンマン運転開始。
2008年(平成20年)1月16日 - 京都市営地下鉄東西線の路線延長により京津線の乗り入れ区間を京都市役所から太秦天神川まで延長。
2008年(平成20年)4月15日 - 新シンボルマークとスローガンを導入。翌16日にウェブサイトをリニューアル。
2008年(平成20年)10月19日 - 中之島線、天満橋 - 中之島間が開業予定。
京阪電鉄の路線
路線図一般に京阪本線・鴨東線・中之島線(2008年10月19日 - )・交野線・宇治線・鋼索線(男山ケーブル)を京阪線、京津線と石山坂本線の両線を大津線と総称している。決算資料などによると、京阪線の運輸収入が500億円弱、大津線が17億円前後と、大きな開きがある。1997年に京津線の一部を廃止するまでは関西の大手私鉄では唯一廃止区間(線路の付替を除く)を持たない会社であった。
京阪電鉄の営業区間
京阪線
京阪本線 : 淀屋橋 - 三条
鴨東線 : 三条 - 出町柳
交野線 : 枚方市 - 私市
宇治線 : 中書島 - 宇治
鋼索線 : 八幡市 - 男山山上
大津線
京津線 : 御陵 - 浜大津
石山坂本線 : 石山寺 - 坂本
京阪電鉄の建設中の区間
京阪線
中之島線 : 中之島 - 天満橋(2008年10月19日開業予定、京阪電鉄は第二種鉄道事業者、第三種鉄道事業者は中之島高速鉄道)
この路線の開業により、京阪電鉄は大阪市北区に初めて路線を有することになる。
京阪電鉄の廃止区間
大津線
京津線 : 京津三条(三条) - 御陵 (1997年10月12日廃止)
京阪電鉄の未成区間
梅田線
新京阪線の未成区間(西向日町 - 馬場間)については新京阪鉄道を参照。
京阪電鉄の他社への譲渡路線
新京阪線
新京阪線 : 天神橋駅 - 京阪京都駅
千里山線 : 淡路 - 千里山
十三線 : 十三 - 淡路
嵐山線 : 桂 - 嵐山
京阪子会社の新京阪鉄道が経営していた路線を1930年に同社の合併で直営としたものである。戦中の1943年に京阪が阪神急行電鉄(阪急)と統合されたことで京阪神急行電鉄の路線となり、戦後京阪が再分離する際に阪急側に残存した。なお、京阪本線・宇治線・京津線・石山坂本線とは異なり、当初から軌道ではなく地方鉄道法による鉄道路線となっていた。
和歌山線(路面電車)
市駅 - 内海
和歌浦口 - 新和歌浦
1922年に和歌山水力電気を買収したことで直営路線(京阪和歌山支
