倉敷チボリ公園

倉敷チボリ公園倉敷駅北口より)

倉敷チボリ公園(くらしき-こうえん)は、岡山県倉敷市寿町(JR倉敷駅北口前)にある公園、都市型テーマパーク

1997年(平成9年)、旧倉敷紡績倉敷工場跡地に開園。デンマークコペンハーゲンにある世界最古のテーマパークで、数々の童話を世に送り出したハンス・クリスチャン・アンデルセンが頻繁に訪れた事でも知られる「チボリ公園」をモデルとしており、公園内にはデンマークアンデルセンイメージしたアトラクションや庭園、ショップレストラン、劇場などが点在している。

敷地面積は約12ヘクタール。2006年現在、園内には22のアトラクション、14の店、14のレストランがある。

運営は、岡山県などが出資する第三セクターチボリ・ジャパン株式会社が行っている。

倉敷チボリ公園の沿革

倉敷チボリ公園の誘致から開園まで

1987年に、岡山市制100周年記念事業として、岡山市北長瀬岡山操車場跡地(現在岡山ドームアクションスポーツパーク岡山、JR北長瀬駅などが立地)に計画され、1990年2月に誘致のため、岡山県岡山市により第3セクターチボリ・ジャパン社が設立された。

しかし1991年8月、チボリ・ジャパン社のずさんな経営の発覚や地元の反対などに見舞われたことなどから、推進派だった当時の岡山市長が辞職の上市長選再出馬したが、見直しを掲げる候補に敗れた。最終的に新市長は撤退することを決めた。また、同時期に倉敷駅北側に立地するクラボウ倉敷工場(旧万寿工場)が閉鎖されることが明らかになる。

9月、長野士郎岡山県知事(当時)が渡邊行雄倉敷市長(当時)にチボリ受け入れを要請し、1993年6月土地所有者のクラボウ倉敷工場跡地へのチボリ受け入れを決定した。9月には、倉敷市議会倉敷工場跡地へのチボリ誘致を決定した。しかし、公園の経営そのものには参加せず、100億円の建設費用の助成を行うこととなった。

1994年4月には、中核企業の阪急が撤退したため岡山県単独で建設されることになるが、その後も計画は順調に進み、1995年9月に着工した。

1997年に工事終了し、同年7月18日に開園した。 

倉敷チボリ公園の開園後

年度別 倉敷チボリ公園入園者数
年度 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006
入園者数(人) 2,986,471 2,941,021 2,380,300 1,819,548 1,340,072 1,162,175 1,091,068 1,105,065 910,196 819,603

(注)1997年度は7月から3月までの9ヶ月間の入場者数。

開園直後のお盆期間には東京ディズニーランドに次いで多い入場者数を記録し、開園後の数年間は200万人台の入園者数を誇っていたものの、年々利用者数は減少し、2005年度からはついに100万人以下に割り込む状況となった。

この状態を立て直すために、2007年4月に入場料金などの料金改定を行うなどの再建計画を行って来たが、同月にチボリ・ジャパン社はデンマークチボリ・インターナショナル社との運営契約の更新を断念した。これにより、「チボリ」の名称が2009年1月1日をもって使用出来なくなる事となった。

岡山県はその後、2009年以降は県民ないし倉敷市民の公園として活用する方向で検討し、チボリ・ジャパン社長坂口正行公園面積を3分の1に縮小し残りの土地を三井不動産開発主導でアウトレットモールを誘致する考えを示した。また、5月にはチボリ・ジャパン副会長の伊原木一衛(天満屋会長)が取締役会の席でデンマークチボリ社と再契約の上で完全民営化する提案を出すなど、さまざまな提案がなされた。

しかし、こういった計画はどれも具体的なものにはならず、2008年5月に新倉敷市長となった伊東香織も、具体案は打ち出せなかった。 2008年8月6日、チボリ・ジャパン社取締役会において、坂口社長が前述した自らの提案は県や市の支援を得られず実現出来ないと表明。同年12月31日付での事業廃止ならびに同社解散を全会一致で可決した。これにより同日のカウントダウンをもって閉園することが決定した。同年8月26日の株主総会で87%の賛成(反対12%、棄権1%)を得て正式決定した。2009年1月1日以降は清算会社となり、現取締役が清算人となる。今後は土地所有者のクラボウ側に出来るだけ現在の施設や緑地を存続するように要請する方針。

倉敷チボリ公園の脚註

◇出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)『倉敷チボリ公園』より
取得日:2008-10-04

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