内村航平

内村 航平(うちむら こうへい、1989年1月3日 - )は、長崎県諌早市出身の体操選手。2008年北京オリンピック代表

内村航平の経歴・人物

生まれは福岡県北九州市、自身が3歳の時諫早市に移住。生まれたのは元号がまだ 昭和 だった時であり、その4日後に 平成 に改元したことに肖り、 平成の時代を真直ぐ渡れるように という願いを込めて、 航平 と命名された。

親が体操クラブを運営していた為、遊んでいるうちに本格的に体操を始める。

両親の反対を押し切り、中学卒業と同時に憧れだった塚原直也がいる朝日生命体操クラブの門を叩く。

東京の東洋高等学校を経て、日本体育大学体育学部体育学科に推薦入学、現在2年生在学中である。大学では体操競技部に所属しており学年幹事を務めている。

内村航平の演技

得意種目床運動。内村の床は、宙返り・ひねりといった体操らしい技を活かし魅力的な演技構成を披露する。これは、小さい頃からトランポリンに親しんでおり、既に小学校高学年の時にはひねり技を身につけていたとされている。また、彼の安定した着地はそのときに養われていた。

今でも、技の開発などに際してはトランポリンを使って体の動きをチェックしており、床運動の他にもつり輪・平行棒・鉄棒の種目においてもその特性を生かして離れ技の練習ができるので、比較的難度の高い技を披露することができている。

ただ、トランポリンで技のチェックができないあん馬が不得意な種目とされており、実際に北京オリンピックにおいても失敗演技をしている。

内村航平の競技歴

2006年全国高校選抜大会と全日本ジュニア共に2冠をし、2007年ユニバーシアード団体優勝とともに種目別ゆかで優勝。その勢いを維持して2008年、初めてのオリンピック代表選考レースである二次予選では二日間ともに先輩でもある冨田洋之選手を抑えてトップに立ち予選通過

最終予選のNHK杯体操選手権では優勝こそ冨田に譲ったが2位に入り、第29回夏季オリンピック北京大会出場権を獲得した。

第29回夏季オリンピック北京大会では、団体戦メンバーとして19歳で最年少ながら安定した堂々とした演技を披露、男子体操団体で日本の銀メダル獲得に貢献すると、その2日後の男子体操個人総合決勝では、苦手とするあん馬で2度の落下がありながらも23人をごぼう抜きする奇跡的快進撃を見せ、最終的には2位にまで登りつめ銀メダルを獲得した。

尚、個人総合では北京五輪代表監督である具志堅幸司以来24年ぶりのメダル獲得であると同時に、日本体操界では10代での個人総合のメダル獲得史上初の快挙であった。

内村航平のその他

内村は極端な野菜嫌いであり、野菜を連想させる緑色も嫌いと徹底している。逆に好物はバナナチョコレートで、特にひいきなのは有楽製菓ブラックサンダーという製品であるとのこと。

また、体操選手でありながら 体育(の授業)が苦手だった という、いわば運動音痴でもある。中学・高校時代の体育の成績は5段階評価でだいたい「3」、器械体操以外の種目は、あまり得意ではない。大学の講義(実技)で他種目の単位を取るのに悪戦苦闘しており、特に球技は苦手という話である。

内村航平の競技成績

内村航平の国内

2003年 全国中学 個人42位

2003年 全国ジュニア2部 出場

2004年 高校選抜 個人15位

2005年 インターハイ 個人14位

2005年 全日本ジュニア体操競技選手権大会 個人3位

2005年 全日本選手権 出場

2006年 高校選抜 個人1位

2006年 インターハイ 個人2位

2006年 全日本ジュニア 個人1位

2006年 全日本選手権 個人8位

2007年 NHK杯 個人11位

2007年 全日本学生個人1位

2007年 全日本個人7位

2008年 五輪次選考会 個人1位

2008年 NHK杯 個人2位

内村航平の国際

2006年 環太平洋選手権 床1位 吊輪4位 平行棒2位

2006年 ボローニャカップ団体1位、個人4位、ゆか3位、つり輪6位、平行棒7位、鉄棒3位

2007年 フランス国際跳馬3位

2007年 ユニバーシアード団体1位、ゆか1位、跳馬3位

2007年 北京国際招待団体2位、ゆか7位

2008年 天津国際:ゆか1位

2008年 第29回夏季オリンピック北京大会 団体総合2位/個人総合2位銀メダル獲得

◇出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)『内村航平』より
取得日:2008-08-19

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