内藤大助

内藤 大助(ないとう だいすけ、1974年8月30日 - )は、日本の男性プロボクサーWBC世界フライ級王者・元日本王者・元OPBF東洋太平洋フライ級王者。宮田ジム所属。北海道虻田郡豊浦町出身。北海道豊浦高等学校卒。血液型O型。既婚。愛称は「北の剛拳」、または、世界フライタイトルマッチ史上最短KO負け、ならびに日本タイトルマッチ史上最短KO勝ちの記録を持つことから「最短男」とも言われる。身長164cm。現在のトレーナーは白井・具志堅スポーツジム野木丈司世界王座の日本選手最年長防衛記録更新中(2008年12月23日現在で34歳3か月)。

内藤大助の来歴

幼少期に両親が離婚。実母は民宿を営み、また有珠山の噴火による営業の困難の中、貧しい母子家庭に育った。中学校時代はいじめが原因で胃潰瘍になるほどであったという。高校生の時はハンドボール部に所属。地元での就職に失敗し、高校卒業後実兄を頼り就職のために上京。書店で目にしたボクシング雑誌を読み、アパートの近くのボクシングジムに入門した。

1996年10月11日、プロデビュー1RKOで飾る。

1998年12月19日、全日本フライ級新人王決定戦で福山登1RKO勝ちし、9勝1引分で新人王を獲得。

2001年7月16日、坂田健史の持つ日本フライ級王座に挑戦し、引き分けで王座獲得ならず。しかし、この試合は内藤の勝利を支持する声も多く見られた。この試合については大串事件を参照。

2002年4月19日、タイでポンサックレック・シンワンチャーWBC世界フライ級王座に挑戦し、世界フライタイトルマッチ史上最短の1R34秒KO負けを喫する。しかし、復帰戦でKO勝ちすると、その後も菊井徹平を下すなど順調に勝ち進みランキングを上昇させてゆく。

2004年6月6日、中野博日本フライ級王座に挑戦。内藤は中野から2度のダウンを奪うなど一方的に攻め続け、6Rに偶然のバッティングによる負傷判定勝ちを収め、日本王座を獲得。

2004年10月、小嶋武幸を相手に日本王座の初防衛戦を行い、日本タイトルマッチ史上最短となる1R24秒KO勝ちを収める。

2005年10月、WBC世界フライ級王者ポンサクレック・ウォンジョンカム?再挑戦するも、7R負傷判定で敗れ、世界王座の獲得はならなかった。

2006年6月、東洋太平洋フライ級王者小松則幸と、史上初の日本・東洋太平洋統一タイトルマッチを行い、小松を6RTKOで破り、日本・東洋太平洋王座の2冠を達成する。同年12月には東洋太平洋王座単独防衛戦を行い、判定で初防衛に成功している。

2007年2月、自身の負傷および、日本・東洋王座防衛戦の兼用の厳しさを理由に東洋王座を返上。以降は日本王座を防衛しながら3度目の世界挑戦を表明。

ポンサクレックに3度目の挑戦を表明するも、地上波放映を決定していたTV局が放送を取りやめ、スポンサーが集まらず開催が危ぶまれる。その後ドンキホーテなどが名乗りを上げるも、必要な金額まで至らなかった。その後7月6日になって東京ローカル局のTOKYO MXが生放送で地上波での中継放送を行うことを発表。必要な金額も目途が立ち、ようやく試合開催にこぎつけた。

2007年7月18日、WBC世界フライ級王座3度目の挑戦で、王者ポンサクレック・ウォンジョンカム?12R判定勝ちし、5年前の雪辱を果たす。世界初挑戦から約5年、ついに悲願のチャンピオンベルトを巻いた。

2007年10月11日、初防衛戦を行い、WBC世界フライ級14位の亀田大毅に3-0の判定で勝利した。この一戦での勝利によって内藤はそれまで知る人ぞ知る存在から一変、一躍時の人となる。

2008年3月8日に両国国技館で、2度目の防衛戦で前王者ポンサクレック・ウォンジョンカムの挑戦を受けた。試合は12R判定ジャッジ内藤勝利1、ポンサクレック勝利1、ドロー1で引き分けとなったため、規定により2度目のタイトル防衛。前王者とはこれで4度目の対決となった。

2008年7月30日に国立代々木競技場第一体育館で、日本王者の清水智信と3度目の防衛戦。9Rまでポイントリードを許す苦戦を強いられたが、10Rに2度のダウンを奪い、逆転KO勝ちで世界王座3度目の防衛を果たした。
なお、この日はダブルタイトルマッチとしてWBA同級王者の坂田健史(協栄)の防衛戦も行われ、対立する同階級日本人世界王者の競演となった。

2008年12月23日に両国国技館で、元東洋太平洋ライトフライ級王者山口真吾と対戦。初回から激しい打撃戦となるがパンチの的確性で勝る王者が序盤から主導権を握る。回を重ねる毎に挑戦者が疲弊し、王者有利の展開で向かえた第11R、ついに挑戦者からダウンを奪うと、立ち上がってきたところを一気に連打し、レフェリーストップを呼び込んで1分11秒でTKO勝ち。世界王座4度目の防衛を果たした。

内藤大助のボクシングスタイル

174センチフライ級ではかなり長いリーチを誇るためそれを活かした戦いをすると思われがちだが、ショートレンジでのフック・アッパー及び打ち下ろし等も得意とし、そのファイトスタイルは分類不能。合理的に対戦相手を打倒することを身上とする。また肩まで入れた長い射程のジャブ・大きな踏み込みと上体の倒しからよく伸びる右ストレート、視界の外から飛んでくる両フックは、頻繁に見られるブローである。キャリアの中では、右アッパークロスレンジでの左右のショートフック・上下の打ち分け等も要所で見せており、基本的なブローはほぼ全てマスターしていると推察される。

内藤のスタイルは巷ではよく変則的と称されるが、基本的な思想は「攻防一体」である。常に上体を大きく動かしながらパンチを繰り出すためカウンターをもらいにくく、パンチ力を増し、反動を活かして追撃や回避あるいはその両方を素早く行うこともできる。ちなみに元世界王者の鬼塚勝也は、「内藤は体全体を使ってボクシングをする」と評している。また、コンビネーションリズムの変化や豊富なフェイントなども、対戦相手を困惑させる要因となっている。内藤自身が過去に1R34秒KO負けしていることからもわかるように、これらは高度なディフェンス技術があって初めて実践しうるスタイルである。王座奪取後の内藤は基本的なディフェンス技術に対する深い理解に加えて、スリッピング・アウェーや額などの頭蓋骨の中でも硬くダメージを受けにくい場所でパンチを受けるといった緊急回避的なテクニックも備えており、円熟の境に入りつつあるといえる。

ポンサクレック戦の2敗のみと黒星も少なく(事実上国内無敗)、ダウンもしない選手。過去のダウン経験はKO負けを喫したポンサクレックとの初世界戦のみ。一見ガードが低く見られがちだがパーリングウィービング、あるいはスリッピングなどのパンチから逃げずにかわし即反撃に繋げる技術に秀でている。試合では、相手のパンチに即座に反応しパーリング→ほぼ同時に反撃のパンチを入れているシーンを頻繁に見ることができる。

内藤大助の戦績

プロボクシング: 39戦 34勝 22KO 2敗 3分

日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1996年10月11日 1R 0:55 KO 西野龍三 日本(レパード玉熊) プロデビュー
2 1997年4月30日 2R 0:39 KO 押金励 日本(角海老宝石) 1997年東日本ジュニアフライ級新人王トーナメント予選
3 1997年6月17日 1R 0:42 KO 関裕介 日本(高崎)
4 1997年8月1日 4R 判定1-0 榎本信行 日本(三迫) 〃/敗者扱い
5 1998年4月23日 1R 1:45 KO 安斉治明 日本(F赤羽) 1998年東日本フライ級新人王トーナメント予選
6 1998年6月30日 1R 1:24 TKO 佐藤崇 日本(MI花形)
7 1998年8月7日 1R 2:20 KO 伊藤克憲 日本(角海老宝石)
8 1998年9月28日 4R 判定2-0 久保田隆治 日本(沖)
9 1998年11月8日 6R 判定3-0 佐藤宏章 日本(F赤羽) 1998年東日本フライ級新人王トーナメント決勝戦
10 1998年12月9日 1R 1:00 KO 福山登 日本(大阪帝拳) 1998年全日本フライ級新人王決定戦
11 1999年4月5日 2R 1:36 TKO ジュン・オルハリーサ フィリピン
12 1999年6月14日 7R 0:25 TKO ジョビー・マンチャ フィリピン
13 1999年9月13日 1R 1:28 KO 李明星 大韓民国
14 1999年12月15日 8R 判定3-0 田中潤 日本(ワタナベ)
15 2000年7月6日 6R 判定3-0 伊波秀吉 日本(具志川)
16 2000年9月19日 3R 2:12 KO ヨドペット・チュワタナ タイ
17 2000年10月28日 3R 1:11 TKO サックモンコン・シンマナサック タイ
18 2000年12月5日 10R 判定 池田政光 日本(渡嘉敷)
19 2001年2月13日 5R 2:37 TKO 殿台カローラ フィリピン(殿台赤城)
20 2001年7月16日 10R 判定1-0 坂田健史 日本(協栄) 日本フライタイトルマッチ
21 2001年10月18日 5R 2:16 TKO ウィン・ネイションマン タイ
22 2002年4月19日 1R 0:34 KO ポンサクレック・シンワンチャー タイ WBC世界フライタイトルマッチ/世界フライタイトルマッチ史上最短KO記録
23 2002年9月19日 7R 1:53 TKO タオチャイ・ソーソーゴージム タイ
24 2002年12月11日 10R 判定3-0 菊井徹平 日本(花形)
25 2003年2月26日 2R 0:34 TKO マノップ・シットゴーソン タイ
26 2003年9月2日 5R 1:15 TKO ソントーン・チタラダ タイ
27 2004年2月25日 2R 2:46 TKO 瓜生崇大 日本(輪島S)
28 2004年6月6日 6R 2:33 負傷判定3-0 中野博 日本(畑中) 日本フライタイトルマッチ
29 2004年10月11日 1R 0:24 TKO 小島武幸 日本(横浜さくら) 日本防衛1/日本タイトルマッチ史上最短KO記録
30 2005年4月11日 10R 判定3-0 榎本信行 日本(三迫) 日本防衛2
31 2005年10月10日 7R 2:38 負傷判定0-3 ポンサクレック・ウォンジョンカム タイ WBC世界フライタイトルマッチ
32 2006年2月13日 10R 判定2-1 中広大悟 日本(広島三栄) 日本防衛3
33 2006年6月27日 6R 1:38 TKO 小松則幸 日本(エディタウンゼント) 日本・OPBF東洋太平洋フライタイトルマッチ/日本防衛4
34 2006年12月10日 12R 判定3-0 吉山博司 日本(ヨシヤマ) OPBF防衛1
35 2007年7月18日 12R 判定3-0 ポンサクレック・ウォンジョンカム タイ WBC世界フライタイトルマッチ
36 2007年10月11日 12R 判定3-0 亀田大毅 日本(協栄) WBC防衛1
37 2008年3月8日 12R 判定1-1 ポンサクレック・ウォンジョンカム タイ WBC防衛2
38 2008年7月30日 10R 0:57 KO 清水智信 日本(金子) WBC防衛3
39 2008年12月23日 11R 1:11 TKO 山口真吾 日本(渡嘉敷) WBC防衛4


内藤大助の亀田家との因縁

以前は元WBA世界ライトフライ級王者亀田興毅との対決を熱望していたが、亀田陣営は「6回戦レベル」などと挑発しながらも、対戦に対しては全く乗ってこなかった。

内藤はポンサクレックへの3度目の挑戦の直前に「世界王者になれたら亀田を挑戦者に指名する」と宣言をして実際に王座に就いたのだが、亀田側は「(内藤が世界王者になったことで)ボクシングのレベルが下がった」とコメント。興毅ではなくその弟である亀田大毅WBCフライ級14位)との対戦が初防衛戦(2007年10月11日)となった。結果は大毅の反則行為もあり、ジャッジの判定は3者とも7点から10点差以上の大差で内藤優勢とし、3-0で判定勝ちして初防衛した。このときTBSが用意したトロフィーは、対戦者の大毅が着用していた金色のグローブを模したものであった。

また従前の亀田陣営の粗暴な言動などが要因で、この試合の観客の応援は内藤が圧倒的に多かった。この試合で大毅が様々な反則行為を行ったことから、内藤は「亀田が反省しないのなら、もう亀田家とはやらない」と発言している。また、亀田側謝罪会見で、大毅が丸刈り姿になったことについては、「大毅が相当のショックを受けている」、「気持ちが伝わった」とコメントしている。会見の翌日には大毅から謝罪訪問を受け、「誠意が伝わりました。お父さんからも電話で連絡をいただき、謝罪を受けました。大毅君は素質のある選手なので、これからも頑張ってほしいと思います」とコメントした。

更に10月26日に亀田が所属する協栄ボクシングジムの金平桂一郎会長と亀田興毅が謝罪に訪れたが、これに対しても、「興毅君は立派でした」と開口一番に讃えた上で、「自分の中では大毅君とお父さんの謝罪を受けてすでに終わっている件だが、公の場で公式に謝罪したので、みなさんにも誠意は伝わったんじゃないでしょうか」と語っていた。

翌年7月30日の防衛戦終了直後突如リング上に亀田興毅が現れ、内藤に「次に試合をしようや」などと持ちかけるパフォーマンスを行った。観客席からは歓声とともに「帰れ!」などの野次も飛んだ。試合を中継したTBSには視聴者からの抗議が寄せられ、TBS側は「ハプニングで、最初から設定したわけではない」と説明した。

尚、このように色々と物議を醸し出した亀田との一戦だが、皮肉な事にそれまで知る人ぞ知る存在だった知名度が一躍全国区になるなど内藤にとっては転機となった一戦だった。

内藤大助の逸話

入場曲は、C-C-Bの「Romanticが止まらない」。これは、内藤がいじめにあっていた時、C-C-Bのラジオ番組にいじめのことを相談するはがきを出し、それが採用されたことによる。

上京直後は実父の経営する会社に就職。そのころにボクシングと出会う。当初はプロデビューを目的にしていたわけではなかった。ボクシングが軌道に乗ってからも2007年6月まではレンタカー店で働き、収入は喫茶店勤めの妻と合わせて月12万円ほどであった。

全日本新人王・東洋太平洋チャンピオン・日本チャンピオン・WBC世界チャンピオン主要タイトルを総なめにした正統派の選手にもかかわらず、世間で認知を得られたのは亀田大毅との試合からである。亀田戦後知名度が大きく高まり、バラエティなどのテレビ番組出演も頻繁に行うようになった。一方で亀田戦以降は頻繁にテレビ出演するようになったため、これについていくつかのインタビューで、「 練習してるのか と言われるが、元々午前中に練習をして午後以降はアルバイトをする生活で、バイトテレビ出演に変わっただけ。体力的にはバイトより楽」と語っている。テレビには試合予定がないときだけ集中的に出演し、試合に向けた調整に入ると一切出演しない。

ニックネームの最短男は小嶋武幸日本タイトルマッチ史上最短記録1R24秒でのKO勝ち(全階級を通じての最短レコード)。ポンサクレック・ウォンジョンカム?世界フライタイトルマッチ史上最短記録での1R34秒でのKO負け。いずれも現時点での最短レコードであり、この両方を指してのことである。

元いじめられっ子がボクシングを始め、全日本新人王を経て日本王者になる。という経歴が、森川ジョージ作の漫画 はじめの一歩 の主人公、幕之内一歩の設定と似ているため、リアルはじめの一歩と形容される事がある。(階級は違うが偶然、身長もほぼ同じ。)内藤自身は はじめの一歩 の大ファンであるため、連載されている週刊少年マガジン誌上の取材や作者との対談を好意的に何度か応じ、 はじめの一歩 への熱い思いを語った。また、その中で「一歩の方が自分より練習してる。」、「戦歴が似ているが、真似しているわけじゃない。」と冗談交じりにコメントしている。ちなみに現在の内藤のサイン森川ジョージが考案したもの。当時の対談でその様子を見ることができる。

2008年6月2日放送分の東京フレンドパークIIに友人の白鵬と共に出演。グランドスラムを達成し、しかもビッグチャレンジ三菱・パジェロを獲得した。

3度目の防衛戦にて劇的な逆転KOで勝利を得た功績を評してWBCの月間最優秀選手(Boxer of the month)に選出された。これは日本人ボクサーとしては辰吉丈一郎以来の快挙である。

内藤大助の獲得タイトル

東日本フライ級新人王

全日本フライ級新人王

日本フライ級王座(防衛4=返上)

OPBF東洋太平洋フライ級王座(防衛1=返上、日本・東洋の現役2冠を達成)

WBC世界フライ級王座(防衛4)

内藤大助の著書

いじめられっ子のチャンピオンベルト(2008年2月、講談社

iTunes Storeなどでのオーディオブック(朗読)版のダウンロード販売もあり。

2008年7月28日、TBS系月曜ゴールデン枠で「内藤大助物語〜いじめられっ子のチャンピオンベルト」としてドラマ化された。

内藤大助のメディア出演

内藤大助のテレビ番組

トミカヒーロー レスキューフォース第30話「チャンプ内藤登場!魂のゴングを鳴らせ」ゲスト出演。なお、レスキューフォース応援団長も務めている

とんねるずのみなさんのおかげでした (2008年9月11日、フジテレビ) - 新食わず嫌い王決定戦土屋アンナと対戦したものの、嫌いな毛ガニを当てられ、負けた。

田舎に泊まろう 08秋SP (2008年9月21日、テレビ東京

恐怖のアポなし訪問者 和田アキ子の今晩マジで泊まるぞコノヤロー!(2008年9月30日、TBS

クイズ!シャムロックSP(2008年10月6日、日本テレビ

内藤大助の内藤大助を演じた人物

伊藤淳史(「内藤大助物語〜いじめられっ子のチャンピオンベルト」)

内藤大助のラジオ番組

Kakiiin(2007年12月5日 - 2008年3月28日、TBSラジオ)毎週水曜日「ラジオパンチドランカーコーナー担当

グリグリgoody goody(2008年4月21日〜2008年9月1日、TBSラジオ)毎週月曜日「ラジオパンチドランカーコーナー担当

Kakiiin(2008年10月1日〜、TBSラジオ)毎週水曜日「ラジオパンチドランカーコーナー担当(10月1日よりグリグリから移動)

内藤大助のCM

カーチス(2007年 - )

ボールド(2008年 - )

◇出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)『内藤大助』より
取得日:2008-12-25

内藤大助の関連サイト

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