北オセチア

オセチア・アラニヤ共和国 Республика Северная Осетия - Алания 国の標語 : - 国歌 : - 北オセチアの位置
公用語 ロシア語、オセット
首都 ウラジカフカス
最大の都市 ウラジカフカス
元首
大統領 タイムラズ・マムスロフ
首相 アラン・ボラゾフ
面積
総計 8,000km?(85位)(ロシア連邦構成主体中
水面積率 不明
人口
総計(2002年) 710,000人(22位)(ロシア連邦構成主体中
人口密度 88.7人/km?
GDP自国通貨表示
合計(Xxxx年) xxx,xxx(通貨不明)
GDPMER
合計(Xxxx年) xxx,xxxドル(???位)
GDP(PPP)
合計(Xxxx年) xxx,xxxドル(???位)
1人当り xxxドル
成立 1924年7月7日
通貨 不明(???
時間帯 UTC +3(DST: +4)
ccTLD 不明
国際電話番号 不明

オセチア共和国(きたおせちあきょうわこく、Республика Северная Осетия - Алания)は、ロシア連邦を構成する連邦構成主体のひとつ。南部連邦管区に属する。首都はウラジカフカス

カフカースカフカース山脈北側)に位置し、オセチアの北部を占める。南はロシア連邦の国境を隔ててグルジアがあり、西はカバルダ・バルカル共和国、東はイングーシ共和国、北はスタヴロポリ地方である。

オセチア共和国は、ロシア連邦の一部をなすオセット人の民族共和国で、オセット人はイラン系の言語を話し正教会信者の割合の多いカフカス地方の民族で、周辺のチェチェン人などムスリムの多い民族と違いどちらかといえば親ロシア的である。国境を挟んで南のグルジア共和国側シダカルトリ地区が南オセチアに相当する。同地方では、自治権要求から北オセチアとの統合とロシア連邦への編入を求めて南オセチア紛争が起こっている。

隣接するイングーシ共和国と領域を巡る対立を抱えるほか、イングーシの東のチェチェン共和国の独立をめぐる紛争においてロシア軍の拠点として使われている。2004年9月には北オセチア地方都市チェチェン独立派ベスラン学校占拠事件を起こし、350人以上が死亡する大惨事となった。

北オセチアの国名

正式名称は、Республика Северная Осетия - Алания ラテン文字転写: Respublika Severnaja Osetija - Alanija, レスプブリカ・セヴェルナヤ・オセチヤ・アラニヤ)といい、北オセチア・アラニヤ共和国と日本語訳される。1996年1月9日に、北オセチア共和国から改称した。

アラニヤオセット人の先祖とされる「アラン人」の名に由来するオセチアの雅称である。

日本では、北オセチア共和国あるいは北オセチヤ共和国と表記されるのが一般的である。まれに、北オセット共和国という表記も見かける。

北オセチアの歴史

オセチア共和国オセット人は、ロシア人の到来以前は西のカバルダ人に服属しており、17世紀から19世紀にかけてカバルダ人がロシア人の支配下に入るとロシア帝国に組み入れられた。

ロシア革命後ソビエト連邦が建国されロシア・ソビエト社会主義連邦共和国に編入された北カフカスで民族ごとの自治領域が設定されると、1924年にオセット人の領域には北オセチア自治州が建設された。もともとオセット人は主としてウラジカフカスの位置するテレク川より西に居住していたため、北オセチア自治州は現在の北オセチア共和国の西部を領有するのみであったが、1936年には自治共和国に昇格する。

第二次世界大戦中の1944年、東のチェチェン・イングーシ自治共和国を構成するチェチェン人とイングーシ人がヨシフ・スターリンによって対独協力の疑いをかけられ、中央アジアへと民族ぐるみ追放されると、北オセチアは住民の追放により取り潰されて消滅したチェチェン・イングーシ自治共和国の西部を編入して東方に大きく領土を広げた。これにより、新たに編入されたかつての境界の町ウラジカフカス(当時はオルジョニキゼ)が北オセチアの中心となり、北オセチアの首都がウラジカフカスに移される。スターリンの死後、チェチェン・イングーシ人はカフカスへの帰還を許されてチェチェン・イングーシ自治共和国が復活するが、ウラジカフカスとその周辺の領土はそのまま北オセチア領に残された。これらの変動は、ソビエト体制が強固に存在している限り問題とはならなかったが、1980年代末にチェチェン・イングーシとの間の領土紛争の原因となる。

1991年、ソビエト連邦が消滅すると、北オセチア自治共和国から共和国に昇格するが、1992年にチェチェン・イングーシからイングーシ共和国が分離すると、分離によりわずかな領土しか持たないイングーシ共和国は旧チェチェン・イングーシ自治共和国領ウラジカフカス以東をも領土と定めたため、北オセチアはこれに反発。同年10月にイングーシ共和国との間で武力紛争が勃発し、ロシアの介入によって国境はそのまま維持された。

北オセチアの沿革

1924年7月、北オセチア自治州設置

1936年12月、北オセチア自治共和国に格上げ。

1946年、東隣のチェチェン・イングーシ自治共和国領を編入。ウラジカフカスが首都となる。

1957年、チェチェン・イングーシ自治共和国の復活により、ウラジカフカス周辺を除く領土を返還。

1991年12月、ソ連消滅を受けて自治共和国から共和国に昇格、北オセチア共和国に改称。

1992年3月、ロシア連邦との間で連邦条約を締結。ロシア連邦構成主体となる。

北オセチアの住民

国内の民族比率は、オセット人が53%。この他ロシア人30%、イングーシ人5%など。 その他にアルメニア人やグルジア人もたくさんいる。

北オセチアの標準時

この地域は、モスクワ時間帯の標準時を使用している。
時差は通常はUTC+3時間で、夏時間はUTC+4時間である。

◇出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)『北オセチア』より
取得日:2008-08-11

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