南オセチア(みなみオセチア)はグルジアの中央に位置するオセット人の多住地域。
現グルジアの行政区画でのシダカルトリ地区とその周辺だが、南オセチア 自治州 は1920年から1991年までのザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国及びグルジア・ソビエト社会主義共和国の時代に置かれた自治州で領域はシダカルトリ地区北半とその周辺だった。グルジア独立で「南オセチア自治州」が消滅したことにオセット人が反発して自治権を要求した南オセチア紛争で「南オセチア自治州」が再設立され、同じ領域をもって南オセチア共和国 (Республик? Хуссар Ирыстон、首都はツヒンワリ) として独立を主張し、グルジアからの分離、ロシア連邦への加入を目指している。ただし、独立は国際的には認知されていない。南オセチアと南オセチア自治州・南オセチア共和国の領域の相違は、カフカースの民族分布図と「南オセチア自治州」詳細図及びグルジアの行政区画(シダカルトリ地区)を参照。
かねてから一部地域はグルジアの支配が及ばない状態が続いていたが、2008年8月8日、グルジア軍が「州」政府支配地区に侵攻、ロシア軍が反撃し、その帰属をめぐって対立状態にあったグルジアとロシアが戦争状態に入る。
南オセチア自治州の地理
カフカース山脈の南斜面に位置する。最高点はハラツァ山(海抜3,941m)。面積は3,900平方kmで、海抜1,000m以上の土地が国土の89.3%を占める。カフカーズ山脈により北風から守られているため、北カフカーズ地域よりも温暖である。平均気温は、1月で+4.5℃、7月で+20.3℃である。年間平均降水量は、598mm。
南オセチア自治州の住民
住民の多くはオセチア人であり、その外、ロシア人、グルジア人、ウクライナ人、アルメニア人等もいる。人口は、1989年のデータで9万9千人だった。
主要言語は、オセチア語。現在、ロシアの北オセチア共和国に倣い、キリル文字を使用している。
南オセチア自治州の「南オセチア自治州」の地方行政区分
3つの地区と1つの直轄市から成る。
ドザウ地区
ズナウル地区
レニンゴル地区
ツヒンワリ直轄市
南オセチア自治州の歴史
南オセチア自治州のソ連時代
ロシア革命後、南オセチアはグルジアに編入され、1922年4月20日、南オセチア自治州が誕生した。
自治州とされたが、ソ連時代を通じてグルジア人優先の政策が遂行された。例えば、1939年には、これまでラテン文字を使用していたオセチア人にグルジア文字が強制され、グルジア語の教育が必須とされた。様々な抑圧策の結果、南オセチアの人口は、戦前の10万7千人から1989年の9万9千人にまで減少した。
南オセチア自治州の独立闘争
1980年代末から、グルジアではグルジア民族主義が勃興し始め、非グルジア民族は危機感をつのらせた。1989年、南オセチアでの公用語をグルジア語とすることが決定されると、南オセチア自治州人民代議員会議は、南オセチア自治州を自治共和国にすることを要請した。しかし、グルジア最高会議は、この決定を違憲として却下した。
1989年11月23日、ズヴィアド・ガムサフルディアは、自分の支持者(3万?6万人)を引き連れ、ツヒンワリで示威行進を行った。平和的な集会だと宣伝されたが、数百人の武装兵が随行し、負傷者400人、死者6人を出した。
1990年4月、グルジア最高会議は、共産政権時代に採択された全法律の無効化を決定し、このことは、事実上、南オセチアの自治権の無効化を意味した。これに対して、南オセチア自治州人民代議員会議は、主権宣言、ソ連時代の憲法・法律の有効、共和国への昇格等を決定した。11月、ガムサフルディアがグルジア最高会議議長に選出されると対立は更にエスカレートした。
1990年は、南オセチア最高会議の任期満了の年だったが、グルジアは選挙日を公示しなかった。12月9日、南オセチアは独自に選挙を実施したが、12月10日、グルジア最高会議は、南オセチア自治州の廃止を全会一致で決定した。12月11日、ツヒンワリ市とドザウ地区に戒厳令が施行された。
1991年1月5日、ツヒンワリに警官隊とガムサフルディアの親衛隊が投入され、オセチア人に対する大規模な弾圧を始めた。オセチア人は、自警団を結成してこれに対抗し、ツヒンワリからグルジア人を追い出すことに成功した。武装闘争は、ロシア・グルジア・オセチア混成の平和維持軍が導入された1992年7月14日まで継続した。
1991年1月29日、南オセチア最高会議議長トレズ・クルムベゴフが交渉のためグルジアに向かったが、その場で逮捕された。2月1日にはエネルギー供給が遮断され、4月29日には大規模な地震も発生し、住民の生活条件は極度に悪化した。事態打開のため、南オセチア代議員会議は、共和国から自治州への復帰を決議した。しかしながら、グルジア人武装勢力の攻撃は止まず、6月8日までに70の村落が焼かれた。9月1日、南オセチア代議員会議は、自治州への復帰を取り消し、共和国を復活させた。
1992年1月19日、南オセチア共和国の独立に関する住民投票が行われ、92%以上がこれに賛成した。2月、ツヒンワリ周辺にグルジアの砲兵と装甲車両が配備され、砲撃を開始した。
1992年3月8日、エドゥアルド・シェワルナゼがグルジアの指導者となったが、南オセチアに対する政策は変わらなかった。
1992年5月29日、南オセチア共和国最高会議は、国家独立法を採択した。
南オセチア自治州の紛争調停と独立
1992年6月24日、ロシア、グルジア、南北オセチア4者による紛争調停の原則に関する協定が署名され、7月14日、平和維持軍が導入された。
1993年11月2日、最高会議は憲法を採択し、この日は南オセチアの独立記念日とされている。1995年5月5日には、国歌を制定。1996年11月10日、南オセチア最初の大統領選挙が行われた。
2006年11月12日、大統領選挙が行われ、95%の得票でエドゥアルド・ココイトゥイが再選し、同時に行われた調査で、99%の住民が独立に投票した
2008年2月17日のコソボ独立宣言を受け、ロシアなど独立国家共同体(CIS)、国際連合に対し、近くグルジアからの独立承認を求める方針を明らかにしたと報道されている。
南オセチア自治州のグルジア軍による武力攻撃
詳細は南オセチア紛争 (2008年)を参照
2008年8月8日、グルジア軍が侵攻し、ミヘイル・サアカシュヴィリ大統領は同日の記者会見で、同地域の大半の制圧と州都・ツヒンワリの包囲を宣言、予備役を緊急招集した。 また、南オセチア展開における過程で、平和維持軍として駐屯していたロシア軍基地に対するグルジア軍の攻撃も発生。これに対し、同州の後ろ盾となっているロシア政府は同州に増援部隊を派遣した。
南オセチア自治州の政治
南オセチアは、独立国家を自認しているため、独自の政治制度を有している。
大統領は、直接選挙で選出され、任期5年。議会は、5年の任期で選出される。内閣は、大統領の提案を基に議会が承認する。
2001年、エドゥアルド・ココイトゥイが大統領に選出。2005年、ロシア人のユーリー・モロゾフが首相に就任。
南オセチア自治州の外交
ロシアの北オセチア共和国とモルドバのガガウズ・ソビエト社会主義共和国(消滅・ガガウズ自治区)が、南オセチアを独立国家として承認した。
2006年6月14日、国際的に未承認のアブハジア、南オセチア、沿ドニエストル共和国の3カ国の大統領が、スフミで会談を行い、共同声明の形で民主主義と民族の権利のための共同体の設立を宣言した。
南オセチア自治州の軍事
軍事力としては、現役兵3千人を有し、最大1万5千人までの予備役が動員可能である。装備は、戦車×87両、火砲×95門(内72門は自走砲)、BM-21ロケット発射機×23門、BMP×80両、BTR×100両、Mi-8ヘリ×3機を保有している。
諜報機関として、南オセチア国家保安委員会が存在する。
◇出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)『南オセチア自治州』より取得日:2008-08-15
南オセチア自治州の関連サイト
- 南オセチア - Wikipedia
これに対して、南オセチア自治州人民代議員会議は、主権宣言、ソ連時代の憲法・法律の有効、共和国への昇格等を決定した。 - 南オセチア共和国(南オセチア自治州)
さて、グルジア領内の南オセチアでも、スターリンが政敵だった「グルジア反対派」を抑え付けるために、南オセチア自治州が設置されていたが、1980年代末に - 南オセチア自治州 / ワードBOX / 西日本新聞
「南オセチア自治州」の説明と関連記事。 - FNNニュース: 南オセチア自治州めぐ...
南オセチア自治州めぐるロシア軍とグルジア軍の戦闘、戦闘地域拡大など激化の様相:南オセチア自治州 - FNNニュース: 南オセチア自治州武力...
南オセチア自治州武力紛争 ロシアを除くG7外相、即時停戦を求めることで一致. グルジアの南オセチア自治州をめぐるグルジアとロシアの武力紛争について、ロシアを除いたG7(主要7カ国)の外相が11日夜、電話会談し、即時停戦を求めることで一致した。 - 南オセチア自治州 - goo ニュース
南オセチア自治州(みなみおせちあじちしゅう)は、グルジアのオセチア人の自治州であるが、南オセチア共和国(Республик? Хуссар - Web東奥/ニュース百科
2008年8月8日(金) INDEX. 南オセチア自治州. グルジア北部の自治州。 - 南オセチア 戦闘激化/グルジア親米政権とロシア/自治州独立めぐり対立/解説
自治州独立をめぐり戦闘状態になっているグルジアでは、二〇〇三年の「バラの革命」と呼ばれる政権交代でサーカシビリ大統領による親米政権が誕生して以来、対ロ関係が悪化してきました。 - 露とグルジア交戦 南オセチア自治州めぐり 全面戦争懸念 - MSN産経ニュース
露とグルジア交戦 南オセチア自治州めぐり 全面戦争懸念 ... 【モスクワ=遠藤良介】世界各国の首脳が集い北京五輪が開幕した8日、旧ソ連を構成したロシアとグルジアが、同国から独立しロシアへの編入を目指す南オセチア自治州をめぐり交戦状態に突入した。 - 南オセチア自治州とは - はてなダイアリー
南オセチア自治州 - South Ossetian Autonomous Oblast グルジアにあるオセチア人の自治州。

















