印象派(いんしょうは、仏:Impressionnistes)または印象主義(いんしょうしゅぎ、仏:Impressionnisme)は、19世紀後半のフランスに発し、ヨーロッパやアメリカのみならず日本にまで波及した美術及び芸術の一大運動である。1874年にパリで行われたグループ展を契機に、多くの画家がこれに賛同して広まった。また、「印象派」・「印象主義」の概念は、音楽の世界にも適用される。
印象派の概要
印象派とは、ヨーロッパの絵画界を中心とした大きな芸術運動である。19世紀末から20世紀初頭にかけて発生した。写実主義から抽象主義への変化の、初期段階であると考えられている。その後の芸術全般に大きな影響を与えている。
印象派の絵画はそれまでの写実主義の絵画に比べると、主題が強調される一方、写実性に乏しい。写実性に乏しいとは言うものの、抽象画と違って、何が書いてあるか分からないという程ではない。それまでの写実主義の絵画と違い、色彩の鮮やかな作品が多く、人気の理由の一つになっている。
印象派の絵画は、現代でも最も人気の高い芸術ジャンルのひとつで、その作品は極めて高値で取引されることがある。
印象派の歴史
ミレー 落穂拾い (1857年、オルセー美術館)バルビゾン派の作品 マネ 草上の昼食(1862-63、オルセー美術館) ドガ 舞台の踊り子(1878、オルセー美術館)印象派の時代背景
肖像画と写実主義
19世紀頃のヨーロッパでは肖像画を描くことが一つのステータシーであった。肖像画では、対象を正確に描写することが重要で、遠近法などの技法が工夫された。肖像画は大きな需要があったため産業として確立し、学校も多く設立され、技術さえ学べればそこそこの絵が描けるようになっていた。肖像画と言っても顔だけではなく、服装や背景の調度品なども、対象人物の地位を表すものとして重要だった。そのため、それらの物を正確に描く技術も発達した。これらの人物や物を正確に描く絵画のことを写実主義という。
絵具の発達
肖像画が産業として確立するにつれ、画材道具が改良されていった。特に1840年に発明されたチューブ入り絵具によって、画家たちは絵具を作成する作業から解放された。絵具の作成は画家にとって重要な技術の一つであり、その技術は画家の個性の一つであった。良い画家とは、良い絵具を作る職人でもあったわけである。ところが、絵具がチューブに入れられて販売されるようになり、この点で画家の技量の差が出にくくなった。誰でもきれいな色を表現できるようになったのである。画家の没個性化が進むこととなった。
バルビゾン派
画材道具の発達に伴って、屋外で絵を描くことが可能になった。しかし屋外は部屋の中と違って、日差しが刻々と傾き、天候が変化したりするので、室内のように同じ条件下でゆっくり絵を描くというわけには行かない。細部を省略し、すばやく絵を描く技法が生まれた。この頃の屋外を多く書いた画家たちはバルビゾン派などと呼ばれる。
写真の発明
絵具が発達し、絵画の教育システムが確立し、絵画が産業化していく一方で、1827年に写真が発明される。写真は瞬く間に改良されて、肖像写真として利用されるようになる。 正確に描写するだけなら、絵画より写真の方がはるかに正確で安価で納期が早い。写真が普及し始めると画家たちが職にあぶれるようになった。 また、瞬間をとらえた写真の映像は、当時の人々にとって全く新しい視覚であり、新たなインスピレーションを画家たちに与えることになった。
印象派の第1回印象派展
エドゥアール・マネ
1860年代、エドゥアール・マネが一般の女性をそのまま裸婦として描いた作品を発表した。当時の裸婦像は神話や聖書のエピソードとして描くのが普通で、マネの裸婦の絵画は激しい反発を受ける。ところが、当時アカデミズムと呼ばれる主流派に対して反感を持つ若い芸術家が多く、マネに同調する芸術家が少なくなかった。マネに同調する芸術家たちはパリのカフェに集まり、前衛的な芸術論を語り始めるようになった。
ジャポニズム
多くの画家が表現方法を模索する中、1867年パリ万国博覧会が行われる。これには日本の幕府、薩摩藩、佐賀藩が万博に出展し、日本の工芸品の珍奇な表現方法が大いに人気を集めた。次の1878年のパリ万博のときには既にジャポニズムは一大ムーブメントになっていた。日本画の自由な平面構成による空間表現や、浮世絵の鮮やかな色使いは当時の画家に強烈なインスピレーションを与えた。そして何よりも、絵画は写実的でなければならない、とする制約から画家たちを開放させる大きな後押しとなった。
第1回印象派展の開催
1874年にモネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ピサロ、モリゾ、ギヨマン、シスレーらが私的に開催した展示会は、後に第1回印象派展と呼ばれるようになる。当時この展示会は社会に全く受け入れられず、印象派の名前はこのときモネが発表した 印象、日の出(Impression, soleil levant) から、新聞記者が「なるほど印象的にヘタクソだ」と揶揄してつけたものである。このときを印象派の成立としているが、これ以前にもウィリアム・ターナー(イギリス)の様に印象派に通じる画風や、バルビゾン派など屋外の風景を多く描いた印象派前夜と呼び得る画家達も存在している。また、後にはスーラ、ゴッホ、ポール・ゴーギャンなどのポスト印象派、新印象派へと続くものとなった。
なお、マネは印象派展には参加していない。
写真の発明による肖像画産業の低迷と、「見た感じ」の面白さに気付いたヨーロッパの画家たちは、写実主義から離脱し、絵画独特の表現方法を探索し始めた。 そのような中で、細部やタッチにこだわらず、新たな空間表現と明るい色使いを多用した印象主義が発生した。
それまで、どちらかと言えば暗く重苦しい絵画が多かったヨーロッパで、明るい印象派の絵画は主流と言えるほどに流行った。この運動以降の絵画は写実主義から開放され、芸術性やメッセージ性のより強いものに変化し、キュビズムやシュールレアリスムなどのヨーロッパにおけるさまざまな芸術運動が生まれる契機となった。
印象派の美術
印象派の印象派絵画の技法
印象派絵画の大きな特徴は、光の動き、変化の質感をいかに絵画で表現するかに重きを置いていることである。時にはある瞬間の変化を強調して表現することもあった。それまでの絵画と比べて絵全体が明るく、色彩に富んでいる。また当時主流だった写実主義などの細かいタッチと異なり、荒々しい筆致が多く、絵画中に明確な線が見られないことも大きな特徴である。また、それまでの画家たちが主にアトリエの中で絵を描いていたのとは対照的に、好んで屋外に出かけて絵を描いた。
印象派の印象派画家の一覧
クロード・モネ
エドガー・ドガ
カミーユ・コロー
ベルト・モリゾ
カミーユ・ピサロ
エドゥアール・マネ(関係は密接ではあるが、印象派には含めないとする見方もある)
ポール・セザンヌ
アルフレッド・シスレー
ピエール=オーギュスト・ルノワール
エヴァ・ゴンザレス
フィンセント・ファン・ゴッホ
ポール・ゴーギャン
*セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンは後期印象派と呼ばれる画家だが、印象派と後期印象派の特徴は大きく違い、 印象派としては考えられていない。しかし印象派から大きな影響を受けていることは事実である。
印象派の音楽
詳細は印象主義音楽を参照
音楽史論では、19世紀末から20世紀初頭にかけての、ドビュッシーやラヴェルといった作曲家たちの音楽を「印象派」とすることが多い。
それまでにワーグナーやリストによって展開されていた機能和声の崩壊を推し進め、また形式を崩し構造を断片化し、一方で全音音階・教会旋法・五音音階の多用による旋法性を基盤に、新たな音楽の確立を目指し、20世紀以降の音楽に多大な影響を与えた。対位法の欠如といった属性も特徴である。
しかし近年では、音楽という自然主義と相容れない芸術における「印象主義」の語の曖昧さが指摘されている。さらに代表的な「印象主義音楽」作曲家とされるドビュッシー自身が象徴主義思潮に強く影響を受けていたことより、むしろ象徴主義の流れで世紀末芸術の文脈の中で位置づけられるようになっている。内面の表現を志向する象徴主義は、外界を描写する印象主義とは相反する芸術態度である。なお、ドビュッシー自身は「印象主義」という範疇化を嫌悪しており、まして印象主義作曲家を自称したことは無い。
印象派の印象派の作曲家
以下の作曲家の作品全てに「印象派」の分類が当てはまるわけではなく、むしろ一部作品の傾向にとどまっている者の方が多い。
クロード・ドビュッシー (Achille Claude Debussy, 1862年 - 1918年 フランス)
モーリス・ラヴェル (Maurice Ravel, 1875年 - 1937年 フランス)
ジャック・イベール (Jacques Ibert, 1890年 - 1962年 フランス)
オットリーノ・レスピーギ (Ottorino Respighi, 1879年 - 1936年 イタリア)
フレデリック・ディーリアス (Frederik Delius 1862年 - 1934年 イギリス)
カロル・シマノフスキ (Karol Szymanowski, 1882年 - 1937年 ポーランド)
マヌエル・デ・ファリャ (Manuel de Falla, 1876年 - 1946年 スペイン)
印象派の参考文献
?1990年代以降の小著・入門書?
マリナ・フェレッティ 武藤剛史訳 印象派 文庫クセジュ920・白水社 2008年
モーリス・セリュラス 平岡昇・丸山尚一共訳 印象派 文庫クセジュ727 1992年
吉岡正人 印象派から20世紀名画に隠れた謎を解く! フィラデルフィア美術館の至宝から 中央公論新社 2007年
島田紀夫監修 すぐわかる画家別印象派絵画の見かた 東京美術 2007年
吉川節子 巴里・印象派・日本 “開拓者”たちの真実 日本経済新聞出版社 2005年
アントニー・メイソン 武富博子訳 アトリエから戸外へ 印象派の時代 国土社 2004年
シルヴィ・パタン 渡辺隆司訳 村上伸子訳 モネ 印象派の誕生 「知の再発見」双書67 創元社 1997年
同シリーズには、ルノワール・セザンヌ・ゴッホ・ゴーギャン などがある。
西岡文彦 二時間の印象派 全ガイド味わい方と読み方 河出書房新社 1996年
中山公男監修 印象派の魅力 花ひらく光と色彩のハーモニー 同朋舎出版 1996年
島田紀夫 セーヌの印象派 ショトル・ミュージアム 小学館 1996年
アンリ=アレクシス・バーシュ 桑名麻理訳 印象派 Hazan1000 講談社 1995年
NHKオルセー美術館2 印象派・光と色彩の讃歌 モネ、ルノワール、シスレー、ピサロ
各高階秀爾監修 NHKオルセー美術館4 後期印象派・楽園への旅立ち
スーラ、ゴッホ、ゴーギャン、モロー、ルドン 各日本放送出版協会 1990年
丹尾安典ほか パリ・オルセ美術館と印象派の旅 とんぼの本 新潮社 1990年
?1990年代以降の大著・原典?
島田紀夫監修 印象派美術館 小学館 2004年 大部なカラー図版
ジョン・リウォルド 三浦篤・坂上桂子共訳 印象派の歴史 角川学芸出版 2004年 原典
セルジュ・フォーシュロー編著 作田清・加藤雅郁共訳 印象派絵画と文豪たち 作品社 2004年
三浦篤・中村誠監修 印象派とその時代 モネからセザンヌへ 美術出版社 2003年
ジェームズ・H.ルービン 太田泰人訳 印象派 岩波世界の美術 岩波書店 2002年
バーナード・デンバー編著 池上忠治監訳 印象派全史1863?今日まで 巨匠たちの素顔と作品 日本経済新聞出版社 1994年
バーナード・デンヴァー編 末永照和訳 素顔の印象派 美術出版社 1991年 当時の反応・反響を扱う
フランソワーズ・カシャン 天野知香訳 バーンズ・コレクション 印象派の宝庫 講談社 1993年
池上忠治編 世界美術大全集西洋編 22・印象派時代、 23・後期印象派時代 小学館 1993年
ジェーン・ロバーツほか編 橋本克己訳 印象派の人びと ジュリー・マネの日記 中央公論社 1990年
ジャン・クレイ 高階秀爾監訳 印象派 中央公論社 1987年
◇出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)『印象派』より取得日:2008-12-05
印象派の関連サイト
- 印象派 - Wikipedia
第1回印象派展の開催 ... 当時この展示会は社会に全く受け入れられず、印象派の名前はこのときモネが発表した『印象、日の出(Impression, soleil levant)』から、新聞記者が「なるほど印象的にヘタクソだ」と揶揄してつけたものである。 - 印象派(印象主義) -Impressionism- 様式及び代表作品の ...
印象派 -Impressionism-:19世紀後半パリで起こった前衛芸術運動。 - ポスト印象派 - Wikipedia
... 「ポスト印象派」がもっとも受け入れられているようである。 - 印象派・後期印象派
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1 印象派との出会い. 国民学校、新制中学校とも美術・絵画とは無縁な生活だった。 - 印象派時代館&絵画切手館
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