安馬

日馬富士 公平(はるまふじ こうへい、1984年4月14日 - )は、モンゴルウランバートル市出身(呼び出しではモンゴル・ゴビアルタイ出身、父の出身地)で伊勢ヶ濱部屋(入門時は安治川部屋)所属の現役大相撲力士である。本名:Даваанямын БямбадоржDavaanyam Byambadorjダワーニャム ビャンバドルジ)。2008年11月場所までの四股名は安馬。身長185cm、体重129kg。最高位は東関脇(2008年3-11月場所)。得意手は突っ張り、右四つ、寄り、押し出し。インタビューの際の口癖は、「お客さんを喜ばせる激しい相撲をとりたい」。愛称はアマ。好きな言葉は「なんでやねん」。父はブフ(モンゴル相撲)の国家ザーン大相撲での関脇に相当)。

安馬の来歴・取り口など

幕内最軽量の力士。尊敬している力士は初代貴ノ花。稽古熱心な力士として知られており、ビデオ初代貴ノ花の相撲を研究している。

体の重心が低い所にあり立合いが鋭いため読まれて逆にやられる危険性がある変化をする必要が少なく、正統派で真っ向勝負の相撲を心がけていると見られることが多い。2005年11月場所9日目の琴欧州戦では、負けたものの「変化はしたくなかった。これからも対戦する相手だから」と語っていた。しかし細かく挙げると実際には2005年9月場所の露鵬、琴奨菊、2006年9月場所、2008年1月場所の稀勢の里戦など立合いの変化も用いていた。また2008年9月場所は12勝を挙げたが、勝ちにいく相撲を取っていたために変化が目立っており、客席からも冷ややかな声があったと夕刊フジの取材に答えている。だが、その次の大関取りとなった11月場所では、変化を用いることなく13勝している。

非常に強気な面が目立つ力士であり、物怖じしない言動が随所に見られる。2007年9月場所では、新入幕にして優勝争いを展開する新鋭の豪栄道の挑戦を送り吊り落としの大技で退け「三役をなめられては困る」と三役常連プライドを示した。同年11月場所にも「全部勝ちたい。負ける相手はいないと思っている」と強気一辺倒の姿勢で臨み、見事2場所連続二桁勝利を挙げて大関取りの足固めをした。2008年1月場所前の横審の稽古総見でも復帰した朝青龍と白鵬の両横綱の申し合いにただ1人割って入り、朝青龍にぶつかっていく向こう意気の強さを見せるなどした。このような前向きな姿勢と場所ごとに力強さを増す取り口などから、強力な大関候補として期待されていた。

2008年5月場所8日目の若ノ鵬戦の決まり手はうっちゃりであったが、「決まり手は櫓投げにして欲しかったねえ」と北の富士に言わしめるダイナミックな一番であった。さらに10日目には横綱・白鵬も豪快な上手投げで破った。

同学年の白鵬にライバル意識を持っており、白鵬の横綱昇進後は2008年11月場所現在で5勝4敗(優勝決定戦を含めると5勝5敗)の成績。

琴奨菊と相性が悪く、5勝13敗と大きく負け越している。本人は「苦手意識はない。稽古場では勝てる。相手の廻しが固すぎるからだ」と発言している。

安馬の大関取り

大関取りのチャンスが最初に訪れたのは2008年1月場所であった。前2場所をともに10勝5敗で終えた安馬は、10日目に横綱白鵬上手投げで破ったもののこの次点で6勝4敗であった。翌日、時天空に破れ5敗目を喫してから12日目の稀勢の里戦、13日目の雅山戦と2日続けて立合いの変化で勝ち2桁に望みをつないだものの14日目の朝赤龍戦では逆に立合い変化からの足取りで敗れ6敗目を喫した。白鵬を破ったことが評価され3場所連続殊勲賞を受賞したが、大関取りは振り出しに戻った。

次に大関取りのチャンスが訪れたのは2008年11月場所であった。前2場所を10勝5敗、12勝3敗で終えて訪れたこの場所の最大の焦点は安馬の大関昇進であった。ところが安馬は序盤では精彩を欠き3日目に稀勢の里に、4日目に豪栄道に敗れ2勝2敗となり大関取りが危ぶまれた。

しかし5日目からは立ち直り、途中休場した魁皇を除く大関を総なめし12日目には横綱・白鵬を破るなど、11連勝。千秋楽まで白鵬と並走し優勝争いを繰り広げた。白鵬との優勝決定戦では1分25秒の攻防の末に、頭を押さえつけながらの強引な上手投げの前に敗れて優勝同点に終わった。両者ともに力を出し切った熱戦に、相撲解説者の北の富士勝昭も「安馬も強くなったなあ」と唸った。

11月26日、11月場所の相撲内容が高く評価され相撲協会の臨時理事会で満場一致で大関昇進が決定。昇進伝達式が行われ、その場で四股名を安馬から「日馬富士」(はるまふじ)と改めることが発表された。伝達式の際は「謹んでお受け致します。今後も 全身全霊 相撲道に精進します。本日はありがとうございました」と口上を述べた。

安馬のエピソード

趣味のひとつでもある絵画はセミプロの腕前。13歳頃から始め、美術の専門学校であるイレドゥチョボル高校在学中に個展を開いた。2005年9月場所9日目、NHK大相撲中継の中入りの時間帯で憧れの富士山を油絵で描く様子が紹介された。取材日前日までの台風の影響で少し雲がかかっていた富士山を見て「負けたり寂しいときに見る感じ」を表現したと言い、スタッフと相談して「孤高」というタイトルをつけた。次は「沖縄のきれいな海を描きたい」とのこと。

解説の舞の海が、「 アマ ではなく プロ ですな!」と感心した出来であった(同じ表現を舞の海は前述の豪栄道戦の安馬の相撲に対し、「しこ名は アマ ですが、これこそ プロ です!」と言い換えて用いていた)。

2006年末に父親のダワーニャムと親族が交通事故により急死、次兄のラグバドルジも重傷を負った。この事故のため一旦帰国したが2007年1月場所出場のため同年1月6日に日本に戻り、悲しみを押し殺して場所を勤めた。その場所では10勝5敗と好成績で、翌場所三役に昇進した。同年3月場所からは、取組前場内アナウンスの際読み上げられる出身地を父親の出身地であるゴビアルタイに変更した。

尊敬する初代貴ノ花と同様、喫煙者である。2008年9月場所3日目の取り組み終了後に、2007年5月場所から禁煙となっている支度部屋で喫煙をしたと報道された。翌日の朝稽古で師匠である伊勢ヶ濱親方厳重注意された。

初代若乃花花田勝治氏相撲雑誌内で「注目している」と名を挙げる。また「現役時代の自分に似ている」とも話している。

モンゴルでは同じ柔道クラブに所属、2004年3月場所でともに十両に昇進した時天空との対決は2005年から2006年前半にかけて毎回観客の期待するところとなっていた。また、モンゴルの先輩である朝青龍とは違う部屋でありながら場所中に何度も夜の街へ繰り出す程の仲である。2007年の朝青龍出場停止処分のときはモンゴルに出迎えに行った。

安馬の略歴

2001年1月場所 - 初土俵

2001年3月場所 - 序ノ口優勝(西29枚目・7勝0敗)

2002年3月場所 - 三段目優勝(西14枚目・7勝0敗)

2004年3月場所 - 新十両

2004年9月場所 - 十両優勝(東4枚目・11勝4敗)

2004年11月場所 - 新入幕

2005年1月場所 - 13日目(21日)に勝ち越しを決めていたものの、翌14日目(22日)に、前半戦の取組で痛めた尾てい骨部分の「臀部膿瘍」(でんぶのうよう)と診断され、初めて休場届を出す(勝ち越しを決めた13日目の対戦相手は同じモンゴル出身の朝赤龍)。

2005年3月場所 - 西前頭11枚目で復帰。成績は9勝6敗と2桁勝利には及ばなかったものの、その相撲内容を高く評価され技能賞初受賞

2005年7月場所 - 幕内で初の負け越し(6勝9敗)。

2005年9月場所 - 3日目(13日)の横綱土俵入りで、初めて露払いを務める(この日、露払いの北勝力太刀持ちの高見盛の対戦が組まれたため)。この場所は7勝8敗と負け越し。

2006年1月場所 - 13日目(20日)の朝青龍戦で初めての金星。この金星は、朝青龍にとって幕内戦績100敗目だった。

2006年5月場所 - 新小結。4勝11敗と負け越した。

2006年10月 - 全日本力士選士権-優勝。平幕力士の優勝は25年振り、3回目。

2007年1月場所 - 14日目に朝青龍を星1つの差で追っていた豊ノ島を小褄取りの決まり手で破り「援護射撃」を果たし、朝青龍の20回目の優勝に貢献してしまった。取組後支度部屋に戻り朝青龍に最敬礼。部屋・一門を超えたモンゴル人同士の繋がりの深さを見せた。自身も千秋楽に稀勢の里を破って10勝目を挙げ、翌場所小結復帰を果たす。

2007年3月場所 -返り小結の場所で8勝7敗と勝ち越し。新関脇の琴奨菊が7勝8敗で負け越し関脇のポストが空いたため、翌場所は新関脇となった。以降、三役に定着する。

2007年5月場所 - 新関脇で千秋楽に同じモンゴル出身の朝赤龍を破り勝ち越し。

2007年9月場所 - 横綱白鵬を首投げで破った。12日目には新入幕で優勝争いの単独トップに立った豪栄道を送り吊り落としで破り、自らも13日目終了時点で白鵬と1差につけるがその後連敗し10勝5敗。この場所は、横綱を破った相撲等が評価され殊勲賞を受賞した。

2007年11月場所 - 8日目横綱白鵬を下手投げで破り、2度目の殊勲賞受賞関脇復帰は確実となり、来場所以降の大関取りに期待がかかる。14日目に白鵬を星1つの差で追っていた把瑠都を破り、白鵬の優勝に援護射撃する羽目になってしまった。

2008年1月場所 - 10日目に横綱白鵬上手投げで破る。5敗目を喫してから12日目の稀勢の里戦、13日目の雅山戦と2日続けて立合いの変化で勝ち2桁に望みをつないだものの14日目の朝赤龍戦では逆に立合い変化からの足取りで敗れ6敗目を喫し、大関取りは振り出しに戻った。白鵬が優勝したため3場所連続殊勲賞を受賞した。

2008年3月場所 - 11日目を終えて4勝7敗の成績であったが12日目以降4連勝し勝ち越し、関脇の地位を維持した。

2008年5月場所 - 9勝6敗と二桁勝ちはいかなかったが相撲内容は悪くなく、1横綱2大関を下して3回目の技能賞受賞

2008年7月場所 - 中日まで7勝1敗と優勝争いに絡むが9日目の若ノ鵬戦で立合いの変化についていったものの敗れ、その際に左膝を痛めた影響で10勝5敗に終わったが2場所連続技能賞(4回目)受賞。

2008年9月場所 - 13日目まで2敗で優勝候補に名前が上がっていたが、14日目に豪栄道に敗れ3敗。その日の取り組みで白鵬が勝ち、優勝を決められた。しかし1横綱4大関を倒しており4度目の殊勲賞を受賞。

2008年11月場所 - 4日目まで2勝2敗で大関取りが危ぶまれるが5日目からは持ち直し11連勝。白鵬と千秋楽まで優勝争いを繰り広げた(12日目には白鵬を破っている)。5度目の技能賞を受賞し、場所後に大関に昇進。同時に四股名を「日馬富士」に改める。

2009年1月場所 - 新大関。

安馬の幕内での場所別成績

安馬の主な力士との幕内対戦成績

2008年11月場所終了現在

カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2008年11月現在、現役力士)

安馬の主な成績

2008年11月場所終了現在

通算成績:328勝232敗1休(48場所)

幕内成績:213勝161敗1休

幕内在位:25場所

三役在位:12場所(関脇8場所、小結4場所)

安馬の各段優勝

十両優勝:1回(2004年9月場所)

三段目優勝:1回(2002年3月場所)

序ノ口優勝:1回(2001年3月場所)

安馬の三賞・金星

殊勲賞:4回(2007年9月場所、2007年11月場所、2008年1月場所、2008年9月場所)

敢闘賞:1回(2006年9月場所)

技能賞:5回(2005年3月場所、2006年3月場所、2008年5月場所、2008年7月場所、2008年11月場所)

金星:1個(朝青龍

安馬の改名歴

安馬 公平(あま こうへい)初土俵-2008年11月場所

日馬富士 公平(はるまふじ -)2009年1月場所-

安馬のテレビ出演

2006年10月20日 幸せって何だっけ ?カズカズの宝話?

2006年10月29日 Music Lovers(白鵬とゲスト出演

◇出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)『安馬』より
取得日:2008-11-28

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