山口剛彦

山口 剛彦(やまぐち たけひこ、1942年(昭和17年) - 2008年(平成20年)11月18日?)は、日本の厚生官僚。厚生事務次官、社会福祉・医療事業団理事長、独立行政法人福祉医療機構理事長を歴任した。

山口剛彦の来歴

山口剛彦の生い立ち

東京都立西高等学校、東京大学法学部卒業後、1965年、厚生省(後の厚生労働省)入省。入省同期羽毛田信吾宮内庁長官)など。

山口剛彦の厚生省

1984年、厚生省年金局の課長だった山口は、「年金の神様」との異名を持ちながらも癌と闘病中の年金局長山口新一郎、同年6月からは山口新一郎の後任局長吉原健二(後に厚生事務次官)の下で仕え、1985年には吉原と共に「年金制度大改正」を手がけた。それ以降、山口は「年金制度のスペシャリスト」と省内で呼ばれるようになった。また、その下の課長補佐浅野史郎(前宮城県知事)らがいて、浅野は山口課長の下で2年あまり仕えていた。

1992年に年金局長を経て、1994年から厚生省にて官房長に、1996年の薬害エイズ問題の渦中にあったが、同年に保険局長を経て、贈収賄疑惑での岡光序治の退任を受け、同年11月に後任の厚生事務次官に就任した。また、次官在任中には現在の年金記録問題の発端となった基礎年金番号が1997年から導入された。

歯に衣着せぬ言動で厚生族議員の敵も多く、次官就任も異例であったとされている。

山口剛彦の退官後

元厚生次官宅連続襲撃事件も参照

次官を1999年8月に退官後、2001年から2003年まで社会福祉・医療事業団理事長に、2003年からその改組団体である福祉医療機構の理事長を務めていた。2008年現在は全国生活協同組合連合会の理事長(非常)。

2008年11月18日午前10時頃、大量の血痕と共に、夫人と自宅玄関先で倒れているのを発見された。また、年金制度大改正担当時の年金局長だった吉原健二の夫人もその日の夜中野区鷺宮の自宅で襲撃を受けており、警察は連続暗殺テロの可能性が高いとして捜査を開始した。

厚生労働省は現役幹部や次官経験者、厚生労働大臣経験者、社会保険庁関係者の身辺警護警察庁に要請し、住居リストを提出した。

山口剛彦の手がけた政策

山口剛彦の年金制度改正

厚生省年金局年金課の課長として、1985年の年金制度改正に取り組んだ。

厚生年金と国民年金の一元化の推進 基礎年金制度の導入を進め、厚生年金と国民年金の一元化を推進した。この改革により、両年金制度の一部が統合され、年金の財政基盤が従来より安定することとなった 第三号被保険者の導入 日本の年金制度に「第三号被保険者」の概念を導入した。これにより、会社員や公務員らの配偶者は「第三号被保険者」に分類され、基礎年金を受領できるようになった。以前の年金制度では専業主婦が離婚すると無年金となってしまうなどの大きな矛盾を抱えていたが、この改革によりそれらは解消され、「国民皆年金」の実現が図られた。

山口剛彦のエピソード

部下だった浅野史郎によれば、上司や部下から「仏の山口」と慕われる温厚な人柄だったとされる。

◇出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)『山口剛彦』より
取得日:2008-11-20

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