持永哲志

持永哲志(もちなが てつじ、1960年7月26日 - 2008年8月6日)は、日本の元官僚政治運動家衆院選に2度、宮崎県知事選に1度出馬するも落選。父親は元衆議院議員の持永和見

持永哲志の来歴・人物

東京都生まれ(本籍地宮崎県都城市)。開成高等学校を経て東京大学法学部を卒業し通商産業省(現・経済産業省)に入省。通産省在職中ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)に留学し大臣官房参事官などを歴任。通産省省庁再編を経て経済産業省となった後では、経済産業政策局参事官(産業人材政策担当)・産業技術環境局技術振興課長を務めた。

2003年11月の総選挙に父の後継として宮崎3区に無所属で出馬。古川禎久との自民党公認調整がつかず、2名とも無所属での立候補となったが、敗れて落選。その後北陸先端科学技術大学院大学客員教授を務めて、2005年9月の総選挙には古川が郵政国会で造反したことから自民党公認を得て出馬するが落選。

2007年1月の宮崎県知事選にも自民党公明党推薦で出馬するものの落選した。また、この時に応援者である逢沢一郎や菅義偉が、公職選挙法に抵触する行為をおこなったとして問題となった。

選挙には敗北したものの、東国原から副知事への就任を打診される。しかし、この情報が公式発表前にマスコミリークされる。選挙戦対立候補を副知事に起用することは異例のこととして注目された。副知事起用には県議会過半数の賛成という承認が必要であったため、あまりにも県議会とかけ離れた人物を副知事に起用できないという問題もあった。その点、県議会で42人中32人が自民会派で占めており、自民党に近い持永の副知事起用には県議会の承認も問題ないと思われ、東国原県議会とのパイプ役を模索していると報道された。また持永は中央官庁出身であったことから中央官界とのパイプも模索していると報道された。東国原は「(持永氏は)選挙戦を通じ、企業誘致などの分野で私より優れた政策を打ちだしており有能だ」「3年間宮崎で政治活動を行っており、自分より宮崎の実情に詳しい」と述べ、持永の副知事起用を模索する。しかし、東国原は知事選中に「保守分裂自民党から2人出てきた。また宮崎は権力争いですよ」「元官僚には改革はできない」「政治家の二世にも改革はできない」と主張して、対立候補である持永を批判していたことから、県民の反発が強まった。最終的に、東国原は持永の副知事起用を断念した。

2008年8月6日、沖縄にて午前9時40分ごろ、沖縄県今帰仁村運天の海水浴場ウッパマビーチ」で溺死。享年48歳。

◇出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)『持永哲志』より
取得日:2008-08-08

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