日本シリーズ

日本選手権シリーズ(にっぽんせんしゅけんシリーズ、通称:日本シリーズ)とは毎年10月?11月ごろに日本のプロ野球のセントラル・リーグパシフィック・リーグのそれぞれのクライマックスシリーズの勝者が対戦して日本一(その年の日本の年間王者)を決めるシリーズ試合である。なお、現在のクライマックスシリーズ勝者の出場は2007年から採用された方式であり、2006年までは各リーグ優勝チームが出場していた。

また、日本シリーズという呼称ではないが1リーグ時代に前期優勝チーム後期優勝チームが対戦して日本一を決める試合もあった。通常は1950年を初回の日本シリーズとし、本項においても1950年以降の試合について述べる。

日本シリーズの運営概要

ゲームは7試合(番勝負参照)で西暦奇数年はパ・リーグ出場チーム、西暦偶数年はセ・リーグ出場チーム本拠地で第1-2・6-7戦を開催し、第3-5戦はもう一方のリーグ出場チーム本拠地で開催する。但し、これには過去に例外もある(→#変則的な開催日程)。先に4勝したチームが日本一となり本シリーズは終了されて以降の試合は行われない。

レギュラーシーズンと異なり、いずれの球場で行われる場合も、日本野球機構(NPB)主催である。

延長戦については1966年までは日没まで(但し全試合ナイターで開催された1964年は22時30分以降新しいイニングに入らない)、1967年-1981年は17時30分以降新しいイニングに入らない、1982年からは試合開始から4時間半を経過した時点で次に進まないといったルールがあったが、1986年の広島東洋カープ対西武ライオンズの第1戦(延長14回引き分け、その後8戦までもつれる)をきっかけに1987年から一部ルールが見直され延長戦は第7戦までは18回まで、第8戦以降は回数無制限となった。1994年からは第3戦-第5戦をナイターで開催。翌1995年からは全試合ナイターで行うようになった。ナイターになってからは第7戦までは延長15回までに短縮された。第8戦以降は回数無制限で変わらず(試合時間は一律無制限)。なお第8戦でも決着が付かない場合は更に移動日を1日挟んで第9戦を第3戦-第5戦で使用された球場で行う。

指名打者制度は1984年までは採用せず、1985年から隔年による採用(1986年は全試合採用せず1985年は全試合採用)としていたが、1987年からはパ・リーグ出場チーム本拠地球場でのみ採用されている。

雨天等で中止になった場合は移動日を含め全ての日程が順延となっていたが、2007年からは屋外球場で行われる場合の雨天中止時は第1-4試合はその分日程を順延するがアジアシリーズの日程が迫っている関係で第5試合と第6試合の間の移動日・休養日は設けず連戦とする。

審判は6人制が採用される。審判員はセ・パリーグから選ばれた合計8人の審判員(両リーグから4人ずつ)で運営され、球審→控え→左翼外審→一塁塁審→二塁塁審三塁塁審→控え→右翼外審の順で持ち回りで担当する。例えば第1戦で球審を務めると第2戦から順に控え→左翼→一塁→二塁→三塁と周り、第7戦は再び控えとなる。第1戦に左翼外審だと以下一塁→二塁→三塁→控え→右翼と周り、第7戦で球審を務める事ができる。

なお、2005年以降は優勝したチームが、アジア地区(日本・韓国・中国・台湾)のプロ野球ナンバーワンを決定するアジアシリーズに日本代表として参加する。

日本シリーズの表彰

賞金・賞品は2008年に贈呈されたもの。

優勝チーム

日本野球機構より優勝ペナント、記念品製作代金、内閣総理大臣杯トロフィー

日本テレビ・TBS・フジテレビ・テレビ朝日・テレビ東京在京各テレビ局から賞金50万円ずつ(合計250万円)と日テレ・TBS・テレ・テレ東からは記念トロフィー、CXからは記念盾

コナミより「アジアシリーズ出場権獲得」の記念ボード

最高殊勲選手(MVP)

日本野球機構より記念トロフィー

NPBパートナーコナミ、新日本石油、日本生命保険、マツダから賞金100万円ずつ(合計400万円)

1954年の第5回からトヨタ自動車(但し広島東洋カープが優勝した場合は球団スポンサーの兼ね合いから自動車の贈呈はマツダ)が協賛して自動車を贈呈していたが、2007年から廃止となった。 敢闘選手

日本野球機構より記念トロフィー

J SPORTSから賞金25万円 、ミズノから30万円相当のスポーツ商品券ベースボール・マガジン社より東芝製ノートパソコン(25万円相当)、JAしらかわからひとめぼれのお米120キロと白河市特産の季節の野菜詰め合わせ25万円相当

優秀選手(3名)

日本野球機構よりトロフィー

J SPORTSニッポン放送、文化放送、ベースボール・マガジン社より賞金10万円ずつ(1名辺り各30万円ずつ)、御幸グループより高級オーダースーツ30万円相当

なお、各試合ホームランを打った選手に対してホームラン賞が贈呈されている。

日本シリーズのリーグとしての対戦成績

セ・リーグ 33勝

パ・リーグ 26勝

通算成績は読売ジャイアンツの9連覇などもあり、セ・リーグリードしている。

日本シリーズのチーム別成績(2008年迄)

太字の項目は最多数を表す。

中日には、リーグ制覇を経ない日本一が一度ある。
過去には読売ジャイアンツ西武ライオンズなどの常勝時代もあったが、1990年から1992年の西武3連覇以降は同一チームの連覇はない。

日本シリーズの各年度の日本シリーズ

原則として最高殊勲選手(MVP)は勝利チームから、敢闘賞敗戦チームから表彰する。1956年の敢闘賞は優勝した西鉄から選ばれた。

太字は、アジアシリーズ優勝チーム(2005年より開催)。

日本シリーズの通算記録

日本シリーズにおける各種記録を参照。

日本シリーズのエピソード

日本シリーズの名称について

なお、第1回(1950年)から第4回(1953年)についてはアメリカ・メジャーリーグベースボールを参考にした「日本ワールドシリーズ」という名称だった。

2000年頃から報道機関ではなるべく「日本シリーズ」を「ニッポン-」と読むように通達がでている。以前は「ニホン-」が主流だった。これはチャンピオンフラッグに「NIPPON」という文字が入っているためだと思われる。しかし、今でも、「ニホン-」の呼び方が一般的である。

また、英文名称は「Nippon Series」とされている。

日本シリーズの日本シリーズとナイトゲーム

日本シリーズ史上初めてナイターで開かれたのは1964年(第15回)の阪神タイガース対南海ホークスだった。これは東京オリンピックの開催の妨げにならないようにとの配慮で、開会式が予定された10月10日までに全ての日程を消化させることにしていた(本来は第1戦が9月29日、第7戦は10月7日)が、セントラル・リーグの優勝が9月29日までに決まらず、結局阪神タイガースが優勝した翌日の10月1日に第1戦、第7戦が東京オリンピック開会式前日の10月9日の予定に変更された。だが、第6戦の雨天中止・順延が生じたため結局10月10日に最終戦を開催せざるを得なかった。これが影響してか、シリーズの平均観客動員は歴代最低を記録したため、翌1965年からは元のデーゲーム開催に戻すことにした。だが平日開催ともなると会社や学校を休まない限り試合の観戦が困難となったり、テレビ視聴率の問題にも関わることから1994年(第45回)の読売ジャイアンツ西武ライオンズの対戦では試験的に平日開催の第3-5戦(西武ライオンズ球場)に限りナイターで実施。その評判が高かったこともあって、1995年(第46回)のオリックス・ブルーウェーブヤクルトスワローズの試合以後は全試合に拡大した。

日本シリーズの日本シリーズと天気

2005年(第56回)の千葉ロッテマリーンズ対阪神タイガース第1戦(10月22日 マリンスタジアム)7回裏1アウト、濃霧のため試合が中断し天気が回復しなかったためそのままコールドゲームとなった。天候災害でのコールドは1953年(第4回)の読売ジャイアンツ対南海ホークス第3戦の8回終了時点で降雨コールドゲームになって以来52年ぶりであるが、濃霧による中断からそのまま試合打ち切りとなったのはシリーズ史上初

日本シリーズの新人監督のシリーズ制覇

新人監督(他球団でも監督の経験がない場合)のシリーズ制覇は下記の8人

湯浅禎夫(1950年、毎日)

川上哲治(1961年、巨人)

藤田元司(1981年、巨人)

森祇晶(1986年、西武)*阿南準郎(広島)との新人監督対決を制した。

権藤博(1998年、横浜)

原辰徳(2002年、巨人)*伊原春樹(西武)との新人監督対決を制した。

伊東勤(2004年、西武)*落合博満(中日)との新人監督対決を制した。

渡辺久信(2008年、西武)

日本シリーズの変則的な開催日程

開催日程および開催会場が変則的な形となった例は以下の通り。

1950年は開催会場を試合ごとに変えて行った。第1戦から明治神宮野球場後楽園球場阪神甲子園球場阪急西宮球場、中日球場、大阪球場各球場である。ちなみにこの年は4勝2敗で毎日オリオンズが初代王者に輝いたが、第6戦で松竹ロビンスが勝って3勝3敗になった時は第7戦は後楽園球場で行われる予定だった。

1953年は第4戦までは通常通りだったが第5戦から第7戦は大阪球場阪神甲子園球場後楽園球場の順で開かれた。これは当時の規定に「第1、第3、第5、第7試合と第2、第4、第6試合の使用球場は毎年両リーグが交互にこれを指定する。ただし、第1、第2試合と第3、第4試合と第5、第6試合の使用球場はそれぞれ連続して同一地域にある球場を指定する」とあったため。この年の偶数試合球場指定権セ・リーグにあり「大阪よりも収容能力の大きい甲子園ならばガッポリ儲かる」との思惑を持っていたが、それが見事なまでに外れてしまったものである。

1962年、東映フライヤーズ主催による第5戦と1978年のヤクルトスワローズ主催の4試合全ては神宮球場の学生野球開催の都合で後楽園球場代替開催した。

1974年のロッテオリオンズ主催の第3戦 - 第5戦は施設上の問題もあり県営宮城球場ではなく後楽園球場を使用した。

1979年、1980年の近鉄バファローズ主催全ゲームは日本生命球場の収容人数が日本シリーズ開催基準の3万人に満たなかったこと、藤井寺球場ナイター設備が設置されていなかったことにより当時南海ホークス本拠地であった大阪球場代替開催した。

1981年は両リーグ出場チーム本拠地がともに後楽園球場である読売ジャイアンツ日本ハムファイターズだったため、全6戦が同球場で開催された(後楽園シリーズ)。

2000年は読売ジャイアンツ福岡ダイエーホークスで対戦することとなったが、この3年前の1997年に大規模な国際学術集会の会場を探していた日本脳神経外科学会から貸し出し依頼を受けた福岡ドームが1997年当時ホークスは南海時代から続く20年連続のBクラスであったため、日本シリーズの日程と重なる2000年10月24日から27日までを球団の許可なく貸し出してしまっていた。ところが翌1998年にAクラス入りを果たし、にわかに日本シリーズの開催可能性が高まったため球団が日本脳神経外科学会に日程変更を求めたが、国内および海外から2万人以上の人員が集結する大規模な総会でありすでに様々な関連の手配が終わっていることもあり断られた。そこで中内正球団オーナー代行(当時)がシリーズ開催地のセパ入れ替え・シリーズ日程そのものの変更・他のパ・リーグチーム本拠地球場での開催・九州内他球場での開催等を検討・要請したが、いずれも不可能となった。日本脳神経外科学会側からも一部日程を短縮してナイター時間帯を空けるなどの協力を得られたこともあり、東京・東京・(移動日なし)福岡・2日間の休み・福岡・福岡・(移動日なし)東京・東京の変則日程で行うことが8月21日に発表された。なおシリーズ終了後、球団は開催日程確保を怠ったとして日本プロ野球機構から制裁金3000万円(球団または個人への制裁金として最高額)を科された。

◇出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)『日本シリーズ』より
取得日:2008-11-19

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