朝青龍明徳(あさしょうりゅう あきのり、1980年9月27日 - )は、モンゴル国出身の力士で第68代横綱。本名 Долгорс?рэнгийн Дагвадорж;(Dolgors?rengiin Dagvadorj、ドルゴルスレン・ダグワドルジ)。
「平成の大横綱」とも形容される。四股名の由来は、高校在学時に世話になったという高知県土佐市の青龍寺で、また、「明徳」という名前は出身校である明徳義塾高等学校にちなんで名づけられた。
愛称は本名からとった「ドルジ」。また、スポーツ新聞の見出しなどでは「朝青」という略語も見られる。
左利きであり、塩を左手で撒く数少ない力士の一人である(左手で塩を撒いても作法上問題はない。また、ちゃんこを食す際、箸も左手で持っている)。
兄はレスリング選手、総合格闘家のドルゴルスレン・スミヤバザル、プロレスラーのブルー・ウルフ。
朝青龍の来歴
15歳でモンゴル相撲を始め、ナーダムの相撲少年の部で優勝した。1997年に日本の明徳義塾高校に相撲留学し、2年後に若松親方(当時、現高砂親方)によるスカウトにより、高校を中途退学して角界に入門した。2001年1月場所に新入幕し、翌年7月にモンゴル出身の力士として初めて大関に昇進し、同年11月場所、翌年1月場所に連続優勝して横綱に昇進した。ただし2002年9月の貴乃花戦に敗れた際、花道を引き上げる際に「畜生!」と大きな声で叫んだり、支度部屋で「怪我をしている左足を狙えばよかった」と発言したりするなど、当時からその品格が問題視されていた。
2003年結婚する。またこの年、長女が誕生する。同年5月場所、モンゴルの先輩旭鷲山との対戦で敗れた際土俵上で審判に対して物言いを要求、肩がぶつかった旭鷲山をにらみつけ、さがりを振り回した。さらに翌7月場所の対戦では髷を掴み反則負けとなり、取組後の風呂場で口論となった後に旭鷲山の車のサイドミラーを破壊。この場所は頸部挫傷により途中休場した。
2004年1月場所・3月場所で、2場所連続全勝優勝(30連勝)を果たした。続く5月場所は6日目(同年5月14日)に平幕の北勝力に敗れて連勝が止まり、最終的にこの場所は2敗となったが、千秋楽(5月23日)にモンゴルの後輩、白鵬が立ち合いの変化で北勝力を破って「援護射撃」を果たすと、自身も結びの一番に勝って迎えた優勝決定戦で北勝力を破り3場所連続優勝を達成。部屋、一門の枠を超えて白鵬と喜びを分かち合った。7月場所も13勝2敗で優勝。1996年の貴乃花以来となる、4場所連続優勝。2004年11月場所から7場所連続優勝(従来は1962年7月場所?1963年5月場所、1966年3月場所?1967年1月場所に2度記録した大鵬の6場所連続)、2005年には年間6場所完全優勝(従来は1966年の大鵬、1978年の北の湖、1986年の千代の富士の5場所)、年間成績84勝6敗(従来は1978年の北の湖の82勝8敗)と、様々な記録を更新した。
8連覇を目指した2006年1月場所では11勝4敗に終わる。翌3月場所は優勝したものの白鵬に決定戦進出を許し、5月場所では2日目の若の里戦に敗れた際右肘を痛め3日目から途中休場するなど、同年前半は力の衰えも指摘され始めたが、7月場所に復帰すると11月場所の全勝を含め翌2007年1月場所まで4場所連続優勝し、史上5人目、外国人力士では初となる20回目の優勝を果たした。同場所千秋楽翌日の1月22日、週刊現代に自身の八百長疑惑が掲載された。詳細は武田頼政を参照。
翌3月場所は初日から2連敗。その後は連勝を続け、千秋楽で千代大海を立ち合いの変化で破って13連勝し優勝決定戦に持ち込んだものの、決定戦では逆に白鵬に立ち合いの変化で敗れた。さらに5月場所は9連勝の後10日目に安美錦に敗れると調子を崩し、12日目からは4連敗で10勝5敗に終わり、横綱昇進後初めて2場所連続で優勝を逃すとともに、白鵬の連覇と横綱昇進を許した。翌7月場所では初日に再び安美錦に敗れ、前場所から続けて5連敗を喫した。これらの不振に関しては前述の八百長疑惑報道の影響も指摘された。2日目からは14連勝し、3場所ぶりの優勝、新横綱白鵬に対し先輩横綱としての意地を見せるとともに復活を果たしたかに見えた。
しかし同場所後の7月25日、「左ひじ内側側副靱帯損傷、左尺骨神経障害、急性腰痛症、第5腰椎疲労骨折で約6週間の休養、加療を要する」とした診断書を協会に提出、夏巡業(8月3日から20日まで)の不参加を届け出たが、当人がモンゴルで中田英寿らとサッカーをしている映像が同日報じられ、仮病疑惑が噴出。巡業部は帰国後の巡業参加を拒否する方針を固め、8月1日には日本相撲協会から2場所出場停止、減俸30%4ヶ月、九州場所千秋楽までの謹慎の処分を受けた。北の湖理事長はこの際「あいつは意外と気が小さいから」と述べて、角界から朝青龍が去ってしまう可能性を危惧したとも言われている。また同時に師匠の高砂親方も減俸30%4ヶ月の処分を受けた。この処分に対し日本並びにモンゴルのマスメディアが大々的に報道、在モンゴル日本大使館ではこの処分に対して市民が抗議デモを起こした。また在日モンゴル大使館は7月31日、「サッカーはモンゴル国主催のチャリティー大会のイベントであり、日本外務省を通じ半ば強引に参加を要請したもので、大変なこととなり迷惑をお掛けした」と日本相撲協会に対し謝罪した。
同月27日には、日本経済新聞等で「東京国税局の税務調査を受け、テレビ番組やCMの出演料などの一部を申告していなかったなどとして、2005年までの3年間で約1億円の申告漏れを指摘されていた」ことが報道された。追徴税額は過少申告加算税を含め約3000万円であった。
同年8月6日には、心療内科医・本田昌毅の往診により「神経衰弱および抑うつ状態」との診断を受けていたものの、後に協会医務委員会が紹介した精神科医により解離性障害と診断されたと発表。協会は謹慎処分を一部訂正しモンゴルへの帰国を承認した。これを受け同月29日に治療をするとしてモンゴルへ帰国した。
秋場所を出場停止処分により全休したため、九州場所では新横綱であった2003年3月場所以来となる西横綱となった。
九州場所千秋楽(11月25日)を終えたため、当初の決定通り謹慎を解除され、11月30日にはモンゴルから93日ぶりに再来日した。同日夕方に謝罪会見を開き、朝青龍本人が一連の騒動について謝罪し、会見後は臨時横綱審議委員会(横審)で謝罪と経緯説明をおこなった。
12月2日から大分県豊後大野市で始まる冬巡業に参加して、7月場所千秋楽以来133日ぶりに土俵に復帰した。初日の横綱白鵬戦では寄り切りで勝利した。
12月21日朝、横綱審議委員会で脚本家の内舘牧子が事前通告なしに稽古を視察するため高砂部屋を訪れたが、朝青龍の稽古が休みで肩すかしを食う。さらに内舘が朝青龍に「癌を克服し現役に復帰したプロレスラーの小橋建太を見ならいなさい」と発言した。
2008年1月13日、1月場所で前年7月場所以来の土俵復帰。約5年ぶりの西横綱となったためか、初日の土俵入りの際、西横綱は本来は左足から土俵中央へ歩み寄るところを、長年東横綱として君臨していた癖で、右足を先に出すというミスも見られるなど、当初は2場所ぶりの復活で「相撲勘」を取り戻せるかどうかが話題となった。注目された初日は琴奨菊戦で快勝するも、2日目の稀勢の里戦では豪快な送り倒しを決められ、早くも土がついた。また3日目には観戦していた内館横審委員を土俵上で睨みつける(本人は否定)など、本来の横綱の風貌が戻ってきた。その後は不安定な取り組みがありながらも勝ち星を積み重ね、14日目まで1敗で東横綱の白鵬と並び、2002年秋場所の武蔵丸 - 貴乃花戦以来、約5年半ぶりの横綱同士による千秋楽相星決戦となったが、過去に類をみない白熱した大一番の末、白鵬に豪快な上手投げで破れた。
2008年3月場所では11日目までは全勝で、2敗で追う白鵬を引き離していたが、12日目で土がつき、翌13日目では対朝青龍戦28連敗中だった大関琴光喜が、連敗記録歴代2位という屈辱の記録に終止符を打った。そして14日目には両横綱共に2敗で並び、1995年3月 - 5月場所の貴乃花 - 曙戦以来、約13年ぶりの2場所連続の千秋楽横綱相星決戦となった。結果は朝青龍が小手投げで勝利し22回目の優勝を決めた。この優勝で優勝回数が貴乃花と並んだ。
五月場所で問題となった「にらみ合い」
2008年5月場所では、出場停止中だった2007年11月場所以来の東横綱となったが、初日に稀勢の里に負けた。その後は連勝したが10日目に琴欧洲に負けて、翌日以降さらに千代大海、魁皇にも負けて3連敗となり、優勝候補から外れた。翌日は琴光喜に勝って連敗を止めた。千秋楽では横綱白鵬に引き落としで勝ったが、この直後に負けて土俵上で四つんばいになっている白鵬を横から駄目押し、その行為に対し白鵬が立ち上がりながら朝青龍に右肩をぶつけ、両者がにらみ合う事件が起こった。この事件で北の湖理事長が朝青龍と白鵬を厳重注意した。
2008年7月場所では、場所前の稽古不足や右足首痛などで不安視されたがそれが的中してしまった。初日に豊ノ島に上手投げで敗れた後2日目から3連勝したが、5日目に栃乃洋に押し倒しで敗れた際に左肘を痛め6日目から途中休場。朝青龍の休場は2007年11月場所以来、途中休場は2006年5月場所以来のこととなった。
2008年9月場所では中日までに、雅山、安美錦、豊ノ島に敗北した。豊ノ島戦はテレビ映像では微妙で抗議もあったが、砂に足が付いた跡が残っていたとされる。引退説まで囁かれたが、大鵬と千代の富士はいずれも「(まだやれる事を)考えるべきだ」と述べた。9日目までの5勝4敗という成績を受け、この日武蔵川理事長は休場を勧告し、10日目から休場することとなった。2場所連続休場はサッカー問題で出場停止処分を受けた2007年9月場所と11月場所を除けば自身初となる。武蔵川理事長は復帰後の場所(11月場所もしくはその次の1月場所とみられる)で、進退がかかることを示唆し、朝青龍も進退をかけることを明言した。
朝青龍の幕内での場所別成績
通算成績(2008年(平成20年)9月場所終了現在)
511勝 - 133敗 - 61休場
優勝22回、殊勲賞3回、敢闘賞3回、金星1個
朝青龍明徳
朝青龍の主な力士との幕内対戦成績
2008年9月場所終了現在
(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2008年9月現在、現役力士)
朝青龍の主な成績
2008年9月場所終了現在
通算成績:584勝153敗61休(59場所、勝率.792)
幕内成績:511勝133敗61休(47場所、勝率.793)
横綱通算成績:378勝71敗61休(33場所、勝率.842)
年間最多勝:2002年(66勝24敗)、2003年(67勝18敗5休)、2004年(78勝12敗)、2005年(84勝6敗・現在の新記録)、2006年(67勝11敗12休)
金星:1個(武蔵丸)
負け越し:7回(途中休場場所 4回、出場停止2回含む)
2ケタ勝利場所:35回
全勝優勝:5回(2004年1月場所、2004年3月場所、2005年1月場所、2005年5月場所、2006年11月場所)
連勝:35連勝(2004年1月場所初日?2004年5月場所5日目)
連覇:7連覇(史上最多、2004年11月場所?2005年11月場所)
朝青龍の各段優勝
幕内優勝:22回(優勝回数は貴乃花と並び歴代4位タイ、うち全勝優勝5回は歴代4位)
幕下優勝1回
三段目優勝:1回
序二段優勝:1回
朝青龍の三賞・金星
三賞:6回
殊勲賞:3回
敢闘賞:3回
金星:1個
朝青龍のエピソード
ジムでの筋力トレーニングを積極的に取り入れている力士の一人で、上腕二頭筋を用いてダンベルを持ち上げるダンベルカールでは、片腕で52.5kgを持ち上げる。
以前高砂親方がゲスト出演した番組「女と男 聞けば聞くほど…」の出演記念のマグカップをいつも持ち歩いているが、これは若い頃ゴミ捨て場で拾ったものである。苦楽を共にしたマグカップなので、朝青龍本人は 力の源 と話している。
細木数子を「日本の母」と慕っている。同時に、日本の父と慕っているのは特等床山の床寿である。
亀田三兄弟とも親交が深い。亀田興毅からは「兄貴」と慕われている。
第1子誕生を報じた2003年4月8日の日刊スポーツの記事に激怒し、2日後茨城県内の巡業先でその記事を書いた韓国人記者を「バカ野郎」、「このクソ外人」、「キムチ野郎」と罵倒した、と週刊誌で報じられた。この際韓国人記者からの誘導尋問があったという説が流布しているが、これは2ちゃんねるで創作された書き込みが事実であるかのように各方面にコピー・アンド・ペーストされ広まったでものある[1]。
2004年3月場所後の春巡業において、一門の枠を超えてモンゴル出身力士を集め、特別指導を実施した。
安馬とは違う部屋でありながら非常に仲が良く、場所中にもかかわらず一緒に夜の街へ繰り出すほどである。2007年1月場所14日目には豊ノ島を破って優勝を決める「援護射撃」を果たした安馬から最敬礼されている。
2004年9月場所、2007年5月場所など、優勝の可能性がなくなると力を抜く傾向にある。
自身が負けた力士や将来脅威となりうる若手力士を本場所前に出稽古で負傷させている。2003年11月場所前に同年7月場所で敗れ休場に追い込まれた高見盛に対し、バックドロップのような危険な吊り落としで右肩を亜脱臼させ(この怪我は医者からもう治らないと診断されている)東関部屋から出稽古中止を宣言されたのを皮切りに、白石(現・白乃波)(2005年の秋巡業で首に古傷を抱えているにもかかわらず吊り落とし受け失神させられる)、琴欧州(現・琴欧洲)(2004年秋巡業で右膝内側側副靭帯損傷の重傷。琴欧洲はこの際の故障に現在も苦しんでいる)、琴奨菊(新関脇の2007年3月場所前の稽古で通常は5?6回程度のぶつかり稽古を20回近くも行い、腰を負傷。さらに竹刀で尻を叩かれる)、豊ノ島(新小結の2007年5月場所前の出稽古でプロレスまがいの技をかけられ右膝、右足首を負傷。)、将司(2008年の夏巡業で敗れた際に左肘を痛め、その報復を受け秋場所前の稽古総見で古傷の左足首を故障)など多くの力士が被害を受けている。
2008年1月27日に放送された「新婚さんいらっしゃい!」に元高砂部屋の力士が新婚さんとして登場。朝青龍に子供の名付け親になってもらった事や、新婚家庭のテレビが小さいことを知った朝青龍が、その日の懸賞金を全てこの力士の家に置いて帰ったという話を披露した。
朝青龍の他メディア
朝青龍の著書
「一番、一番!真剣勝負」 NHK出版(2006年、ISBN 414081084X)
朝青龍のCM出演
日本郵政公社「真っ向。 朝青龍関 篇」
P&G 洗剤製品「ボールド」
富士通 ノートパソコン「FMV-BIBLO LOOX T70M/T 横綱の上で 篇」
アサヒ飲料 缶コーヒー「WONDA モーニングショット 朝青龍 篇」
サントリー スポーツドリンク 「ゲータレード MIX SPORTS 篇」
シャディ「朝青龍 スベスベ 篇」「シャディのお中元 流しそうめん 篇」
NTTドコモ「 朝青龍 - だからわたしはドコモです 篇」
朝青龍のテレビ出演
2005年と2006年に「いい旅夢気分」(テレビ東京)に出演。2005年には、弟弟子朝赤龍とともに神奈川県・丹沢山村で滝修行を行い、2006年には、朝赤龍のほか旭天鵬、時天空のモンゴル出身力士4人で栃木県の日光を旅した。
さらに同番組の2007年の新春特番において、初場所を前にし大関千代大海と二人旅をし呉越同舟ともいえる企画があった。
◇出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)『朝青龍』より取得日:2008-10-26
朝青龍の関連サイト
- 朝青龍 明徳 - goo 大相撲
大相撲 > 大相撲名鑑 > 朝青龍 明徳. 平成二十年九月場所 終了時の情報. 朝青龍 明徳 (あさしょうりゅう あきのり) 所属部屋
- 朝青龍トピックス - Yahoo!ニュース
日本相撲協会巡業部の大島部長(元大関・旭国)は18日、モンゴルで左ひじの治療を続け、巡業を休場している横綱・朝青龍(28)=高砂=に"引退勧告"を突き付けた。
- 朝青龍明徳 - Wikipedia
同日夕方に謝罪会見を開き、朝青龍本人が一連の騒動について謝罪し、会見後は臨時横綱審議委員会(横審)で謝罪と経緯説明をおこなった。
- ドルジ
高砂部屋による公式プロフィール。
- スポーツトピックス - Yahoo!ニュース
ニュース、地方新聞やテレビの甲子園特集リンク。
- 相撲人名鑑(朝青龍 明徳)
朝青龍 明徳(あさしょうりゅう あきのり) 本名. ドルゴルスレン
- pya! 朝青龍?
モンゴルの人はオスでもメスでも関係なく朝青龍. 05/11/27 3時45分. 183
- 朝青龍|Hide's Mail|nakata.net
巡業休業のことは何も知らなかったが、試合後に、俺は実際に、朝青龍自身から腕をかなり痛めていると聞いた。
- 藤城清治
それでもぼくは朝青龍に愛をおくる ... なぜ、日本の力士が駄目で、朝青龍があれだけ強いのか、優勝できるのか、それを検証しないで、品格がないとかいって、溜飲をさげている気がする。
- 朝青龍
白鵬(23=宮城野)と朝青龍(28=高砂)の両横綱が、沖縄・糸満市の慰霊碑
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