パナソニック株式会社(英称: Panasonic Corporation、旧社名:松下電器産業株式会社)とは日本の大手総合家電メーカーである。商品ラインは家電中心。本社は大阪府門真市。創業者は松下幸之助。関西系企業。
グローバルブランドスローガンは「Panasonic ideas for life」。
松下電器産業の概要
同根兄弟会社のパナソニック電工を連結対象に収めた現在、2006年度の総売上高では初めて9兆円を超え日立製作所に続き日本で2番目。フィナンシャル・タイムズが発表した2007年時価総額ランキングでは158位。少し前までは「真似した電器」と揶揄されていた会社で、他社製品を安く真似するだけが能という会社と言われてきたが、現在は、自社開発の物が多い。、2007年のFortune Global 500における売上高ランキングでは59位をそれぞれ記録している。
関連会社も含め、家電製品の他にも産業機器、通信機器など電気機器を中心に多角的な事業を展開している。その経営スタイルや社風から同業のソニーとの比較をされることが多く、ソニーが好調の際にはソニー型経営を褒め称える書籍が増え、逆の状況ではパナソニック型経営を褒め称える書籍が書店に並ぶなど、良きにつけ悪しきにつけ世間では両社をライバルだとみなす傾向が強い。これはVTR機でのベータ・VHS競争の印象が強いためだと思われる。確かにオーディオ・ビジュアル製品では、現在でも両者は直接の最大のライバルのひとつである。しかし、パナソニックの販売製品全体の中でソニーと競合する製品は多くなく(特にソニーは白物家電を販売していない)、これは映画事業やゲーム事業・金融事業へと展開するソニー側から見ても同じことが言える(パナソニックは映画事業やゲーム事業に一時参入したが早期に撤退している)。
松下電器産業株式会社は2005年1月5日に福島県のペンションで石油温風機の欠陥が原因で死亡事故を起こしている、同年2月には長野県でCO中毒事故、同年4月にも長野市でCO中毒事故、ひと夏を越えて同年11月長野県で死亡事故、同年12月に山形市で意識不明事故を起こしている。 1985年(昭和60年)から1992年(平成4年)製のナショナルFF式石油温風機及び、石油フラットラジアントヒーターには事故に至る危険性があり。対象製品を未点検のままご使用しると、一酸化炭素を含む排気ガスが室内に漏れ出し、死亡事故に至るおそれがあります。ということをテレビなどで放送し注意を呼びかけている。
現在の戦略は様々な規格で日系他社と争いつつも、一方で分野によっては(液晶パネルなど)東芝や日立、ミネベアなどと提携・合弁・事業移管を行っている。
夏と冬のオリンピックの公式スポンサーで、1988年のカルガリーオリンピックから始まり、同年のソウルオリンピック、1992年のアルベールビルオリンピック・バルセロナオリンピック、1994年のリレハンメルオリンピック、1996年のアトランタオリンピック、1998年の長野オリンピック、2000年のシドニーオリンピック、2002年のソルトレイクシティオリンピック、2004年のアテネオリンピック、2006年のトリノオリンピック、そして2008年の北京オリンピックまで夏季・冬季連続で12大会連続・20年連続でAV機器カテゴリーのTOPスポンサー(「The Olympic Partner」の略。最高位のオリンピックスポンサーのこと。日本企業ではパナソニックのみ)を務めている。2007年にロンドンで開かれたIOC総会にて、引き続き2009年から2016年までの8年間、TOPスポンサーとなる契約を締結した。
また知財活動も盛んで、米国出願件数ではIBMに続き、毎日キヤノンと出願件数を争っており、技術力の高さも窺える。
現在では薄型テレビ、デジタルカメラ、DVDレコーダーの新・三種の神器に力を入れて製造・販売している。かつては他社が取り入れた評判のよい技術をすぐに自社製品化して対抗商品を開発するため「マネした電器」とも揶揄されていたが、現在は独自技術を前面に打ち出した事業展開を行っている。
世界展開により、「松下」「ナショナル」「パナソニック」の名称を使い分けていかなければならないデメリットが年々増大し、ブランドイメージの統一が課題となっていた。そこで、2008年6月26日の株主総会において、社名の「パナソニック株式会社」への変更と、グループ会社名称の「パナソニック」への統一(一部例外あり)が承認され、同年10月1日以降に実施され、それまでの「松下」と「松下電器産業」から変更された。なお、「ナショナル」ブランドから「パナソニック」ブランドへの移行は、2008年7月1日発売の新製品から先行実施された。なお、中国語の表示では社名変更後も従来通り「松下電器産業株式会社」・「松下」の表記を使用している。
松下電器産業の沿革
1917年(大正6年)6月 - 松下幸之助が大阪府東成郡(今の大阪市東成区)猪飼野の借家でソケットの製造販売を始める。当時は松下幸之助の妻“むめの”と妻の弟である井植歳男(後の三洋電機の創業者)の3人で営業していた。
1918年(大正7年)3月7日 - 大阪市北区西野田大開町(今の大阪市福島区大開2丁目)に移転。松下電気器具製作所を創立する。
1921年(大正10年) - 「二股ソケット」発売。
1927年(昭和2年) - 自転車用角型ランプを販売。この商品から「ナショナル(National)」の商標を使用しはじめる。
1931年(昭和6年) - ラジオの生産を開始。
1932年(昭和7年) - ラジオの重要部の特許を買収し、同業メーカーに無償で公開。戦前のエレクトロニクス業界の発展に寄与。
1933年(昭和8年) - 大阪府北河内郡門真町(現・門真市)に大規模工場を建設して移転。事業部制を導入。
1935年(昭和10年) - 松下電器産業に改組、松下電器(現・パナソニック電工)などを分社化。「国民ソケット」発売。
1937年(昭和12年) - 「ナショナル」のロゴ書体「ナショ文字」制定(1987年に使用中止)。
1941年(昭和16年) - 軍需産業に参入。木造船や木造飛行機を生産する。
1946年(昭和21年) - 第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により制限会社の指定を受けた。しかし、軍需産業とみなされたことと大資本のため統廃合の制限がされた松下電工(当時 松下航空工業)以外の分社を再統合(合併)して事業部制に戻し、洗濯機などの製造を開始した。
1952年(昭和27年) - オランダのフィリップスと提携し、松下電子工業を設立。
1月 - 新日本放送(現在の毎日放送)のラジオ番組 歌のない歌謡曲 を番組提供開始。以後今日まで50余年にわたり全国の民放AMラジオ(JRN)を通じ松下製品広告を続けている。
この後各工場の新設、拡充が相次ぐ。
1954年(昭和29年) - 戦争でほぼ壊滅状態にあった日本ビクターと資本提携する。その際ビクターを吸収したりせず、ビクターとは競争しながら発展していくという関係をとることになった。その理念は社長が変わった後も続いていたが、2007年秋に資本関係を解消する事に合意した(同年8月に総額350億円の第三者割当増資をケンウッド、スパークス・グループに行い、松下の保有比率は36.90%となり連結子会社から外れ、持分法適用関連会社となった)。
1955年(昭和30年) - 「Pana Sonic」ブランドを、単体スピーカーユニット8P-W1(のちに国内向けは「EAS-20PW09」に型番変更)の輸出に初めて使用。
1957年(昭和32年) - 全国の“街の電器屋さん”が加盟する日本で最初の系列店ネットワーク「ナショナル店会(後のナショナルショップ制度)」が発足。高度成長期の強大な販売網として機能し、ピーク時には全国で約5万店にまで増加したが、後継者不足や量販店との競争激化により現在は約1万8000店にまで減少している。
1961年(昭和36年)
1月 - 松下正治副社長が社長に就任。
1964年(昭和39年) - 熱海会談 。系列店への熾烈な販売ノルマや、テレビの不良品などが問題化し、3日間に亙って紛糾。幸之助が会長兼営業本部長代行としてトップセールスに復帰する契機になる。
1965年(昭和40年) - 完全週休2日制を実施、新販売制度(流通経路の短縮主体)。高度成長路線に乗る。
1966年(昭和41年) - 英字表記の「NATIONAL」ロゴを国内向け製品に、「PANASONIC」ロゴを海外向け製品、及び国内向けトランジスタラジオに使用開始。「ナショナル」が米国で商標登録されており使用できなかったことがその動機だが、「パナソニック」に落ち着くまでに、1964年5月に「NATIONAL PANASONIC(ナショナル・パナソニック)」で米国への輸入が認められ、以後、「KADOMAX(カドマックス)」、「マツシタ」、「マーツ」を経て「パナソニック」となっている。
1969年(昭和44年) - 東京電気化学工業(現・TDK)と提携。
1970年(昭和45年) - 日本万国博覧会に松下館を出展。当時の文化の資料を収め5000年後の開封を目指したタイムカプセルを展示した。
1971年(昭和46年) - 「PANASONIC」ロゴを、現在の「Panasonic」へ変更。
1973年(昭和48年) - 「NATIONAL」ロゴを、現在の「National」へ変更。パナファコム株式会社(現:株式会社PFU)を設立。
1977年(昭和52年)
2月 - 山下俊彦取締役が社長に就任。
VHS方式のビデオテープレコーダ(マックロード)を発売。蛍光灯「パルック」発売。
1986年(昭和61年)
2月 - 谷井昭雄専務が社長に就任。
「パナソニック/Panasonic」ブランドを国内でも使用開始。初使用した製品はMSX2パソコン「FS-A1」。またこの頃から「松下電器」の独自制定書体も使われなくなり、一般的なゴナ系の書体に変更される。
1987年(昭和62年) - 富士通FM-R互換のデスクトップPC「PanacomM500/700」を発売。
1988年(昭和63年) - テレビ・ビデオデッキ・CDラジカセ・ミニコンポなどのAV家電部門が、ナショナルブランドからパナソニックブランドへ移行する。
1989年(平成元年) - 新しいスタイルのナショナルショップチェーン「パナック」を立ち上げ。
4月27日 - 創業者松下幸之助が逝去。享年94歳。
8月1日 - 本社技術部門の大規模な改革。
1990年(平成2年) - MCA社(現・ユニバーサル・スタジオ)を子会社化。
1991年(平成3年)
10月 - DCCデッキ RS?DC10を発売。
1993年(平成5年)
2月 - 森下洋一専務が社長に就任。
フィリップスとの合弁解消、クロスライセンス契約に移行。
1994年(平成6年)
3月20日 - 3DO REAL (FZ-1)発売。
1995年(平成7年) - MCA社への出資分80%をシーグラム社に売却。
4月 - 光ディスクPDを開発。
1997年(平成9年) - 社内分社制を導入(関連する事業部を統合・集約)。
2000年(平成12年)
6月 - 中村邦夫専務が社長に就任。森下社長は会長に、松下正治会長は名誉会長に、松下正幸副社長は副会長に就任した。将来の社長候補と目されていた創業者・幸之助の直孫である松下正幸が副会長に就任したことにより、松下一族による社長世襲はほぼ霧消したといえる。
10月 - 同社初のDVDレコーダー「DMR-E10」発売。
2001年(平成13年) - 松下電子工業を吸収合併し、社内分社として「半導体社」「ディスプレイデバイス社」「照明社」の3部門を設ける。また、同社傘下にある宮田工業(自転車や消火器などのメーカー)の保有株式の半数をモリタへ譲渡。任天堂と共同開発商品DVD/GAME Player Q発売。
2003年(平成15年) - グローバルブランドをPanasonicに統一、グローバルブランドスローガン「Panasonic ideas for life」の導入。
2004年(平成16年) - アルカリ乾電池以来40年ぶりとなる新型の乾電池「オキシライド乾電池」を開発。
4月1日 - 戦後長らく独立路線であった松下電工を再び子会社化。ブランド戦略や経営戦略、研究開発にいたるまで統一的に展開することになり、互いの重複事業の再編と家電の営業部門の統合を行った。その結果、両社の共同経営会社のパナホームも松下電器産業直轄の子会社となり、松下電工とともに松下電器産業の住宅・電気設備のセグメント(電工・パナホーム)として組織上の再編が行われた。
7月31日 - 同社初のBlu-ray Disc方式のレコーダーを発売。
2005年(平成17年)
ソフトウェア特許侵害を主張してジャストシステムを告訴。一審で勝訴したものの控訴され、松下製品の不買運動なども発生。二審において逆転敗訴で決着。→ウィキニュース
同社傘下の松下興産株式を大和ハウス工業へ譲渡との話が出たものの、条件が折り合わず断念。結局は金融機関の債務免除を経てアメリカの投資ファンド、エートス・ジャパンへと譲渡。松下興産は、その後、不動産事業の譲渡などを通じ、実質的にMID都市開発に事業を継承した。
1985年から1992年製のFF式石油温風機によるCO中毒事故で死亡者が出たことが発覚。無償修理が発表されたが、発表後も事故が発生。→詳細は後述
1月 - オリンパスと一眼レフデジタルカメラの共同開発で合意したと発表。
2月 - プラズマディスプレイの開発に関して日立製作所と提携し、同社と合弁で特許管理会社を設立する他、原材料の調達や電子部品の開発などを共同で行うことを発表。
3月 -石油暖房機、石油ファンヒーター、石油ストーブ、石油給湯機の生産、販売は終了し、ナショナルショップにはコロナ製の石油ファンヒーターが供給された。
12月 - リコール済み石油温風機で死亡事故発生。松下グループはこの月、松下電工、Panasonicブランドの割り当てを含め、全商品のCMを自粛し、お詫びCMを10日間放映し、総時間数は約80時間にも及んだ。
12月7日 - 韓国のサムスンSDIは同社のプラズマディスプレイパネル(PDP)関連の特許9件を侵害されたとして、松下電器を相手取り、米ロサンゼルスの連邦地裁に提訴したのをきっかけに、両社双方提訴したが、2008年1月に和解している。
2006年(平成18年)
6月 - 大坪文雄専務が社長に就任。中村邦夫社長が会長に就任。
10月 - 翌年3月までに家庭用ガス器具の生産、販売を終了すると発表。なお、家庭用燃料電池のライフエル及びTESの端末である浴室暖房乾燥機の生産は続行、アフターサービス及び部品供給はこれまで通り行う。ガス器具の売り上げは130億円だった。リンナイ、ノーリツ、パロマに比べ規模が小さく、収益の上がる見込みなしと判断し、ガス器具からの撤退を決定した。近年、ガス器具の部品管理が家電部品部門に統合されるなど、会社内での電化商品の販売推進の経営方針もあり、ガス器具部門の衰退が伺えていた。ガス器具撤退に伴い ナショナルガス器具 の看板を販売店は降ろすことになり、ナショナルショップには2007年3月にリンナイガス器具が供給されることになっている。なお、2008年にガスファンヒーターの生産販売をノーリツに移行した。
時期不詳 - アナログ放送からデジタル放送への移行に伴い、同社で製造しているテレビ・録画機器のうち、地上デジタルテレビジョン放送非対応モデルの生産を全て終了すると発表。
2007年(平成19年)
2月 - VHS単体機の生産終了。(最終機種はDIGAを参照)
3月 - ポータブルMDプレーヤー及びポータブルMDレコーダーの生産を終了。(最終機種:SJ-MJ500.SJ-MJ99.SJ-MJ100.SJ-MR270.SJ-MR240.SJ-MR50)
4月 - 地上デジタルテレビジョン放送非対応DVDレコーダーの生産を終了。(最終機種:DMR-EH75V)
7月1日 - 松下提供ラジオ番組「Panasonic Melodious Library」放送開始(TOKYO FM制作・JFN38局ネット。毎週日曜10:00~10:30)。
8月 - ブラウン管テレビの国内向け生産終了。(最終機種:TH-21/25FA8) 以上を以って、地上デジタルテレビジョン放送非対応製品の生産を全て終了した。
10月頃 - ポータブルCDプレーヤーの生産を終了。(最終機種:SL-CT520.SL-SX482.SL-PH660)
11月頃 - ヘッドホンステレオの生産を終了。(最終機種:RQ-CW02) 以上を以って、ポータブルオーディオ(D-snapシリーズ、テープレコーダーを除く)の生産を全て終了した。
2008年(平成20年)
1月10日 - 同年10月1日より、社名を松下電器産業株式会社から「パナソニック株式会社」に変更し、白物家電に使われてきた「ナショナル」ブランドを全廃して「パナソニック」ブランドに統合すると発表。
4月24日 - パイオニアとPDPのパネル・モジュールの開発と戦略的な生産供給に関する包括提携を行うことで基本合意した。PDPの自社生産から撤退したパイオニアに対して松下がパネルを供給。開発および生産の効率アップとコスト競争力の増強に繋げる。5月をメドに正式に提携を行う。
6月26日 - 同日の株主総会で、社名を「パナソニック株式会社」への変更と、ブランドの「パナソニック」への原則統一が正式に決定。同時に系列店(パナソニックショップ)で(看板より)「National」ロゴの撤去作業を開始。
6月30日 - (この日製造・出荷・発売分を最後に)松下製白物家電における「ナショナル」商標の公式使用を全て終了(翌7月1日以降製造・出荷・発売分より、全ての松下製品商標を「パナソニック」に統一)。
8月25日 - 旧来の「ナショナル」製品在庫を9月30日までに完全ゼロとする計画を発表。
9月16日 - (10月1日の社名変更日に発売される)新生「パナソニック」白物家電を一斉に公式発表。
9月27日 - 大阪府門真市の松下本社屋上にあった「松下電器」の切り抜き文字を完全撤去。
10月1日 - パナソニック株式会社に商号変更。
松下電器産業の社名変更
松下電器は日本国外において自社のブランド名(パナソニック)が浸透していることを考慮し、2008年10月1日をもって社名を パナソニック株式会社(英称 Panasonic Corporation) に変更し、「ナショナル」ブランドも2009年度までに廃止し「パナソニック」へ一本化する意向を、同年1月10日の記者会見で(大坪文雄社長が自ら)公式発表した。6月26日の2008年度定例株主総会にて採決がなされ、社名変更は全会一致で正式決定した。この社名変更関連費用はグループ全体で約300億円と推定されている。
その第一段階として、これまで日本国内向けの松下製白物家電に使われてきた「ナショナル」ブランドは2008年6月30日製造・出荷・発売分限りで公式使用を完全終了。同年7月1日以降製造・出荷・発売の松下製白物家電(松下電工の製品含む)は(以前の「ナショナル」ではなく)全て「パナソニック」ロゴに変更されている(その第1号は電球形蛍光灯「パルックボールプレミアQ(クイック)」シリーズと細環型蛍光灯「スリムパルックプレミア」シリーズ)。旧来の「ナショナル」製品は現在全て「在庫・展示品限り」となっており、2008年9月30日を以て「ナショナル」製品は店頭から完全消滅する予定。
なお松下製白物家電各製品カタログは2008年8月発行分まで表紙ロゴは「National」のままだったが、一部製品(エコキュート・IHクッキングヒーター)は(2008年7月発行分より)索引欄に「ブランド」項が新設され「Panasonic」も併記され始めた。なお(2008年)翌9月発行分より松下製白物家電カタログの表紙ロゴは全て「Panasonic ideas for life」に変更されている(シェーバーカタログは松下製白物家電のトップを切って同年8月発行分より表紙記載の商標を「Panasonic ideas for life」に変更。取扱説明書裏表紙における「松下電器産業株式会社」という社名表記は2008年9月30日製造・出荷・発売分限りで終了。翌10月1日以降製造・出荷・発売分からは「パナソニック株式会社」に変わる)。
とはいえ、「ナショナル」ブランドは、今や多くの日本人に世代を越えて親しまれており、たとえ社名が変わっても、「ナショナル」ブランドを存続させてほしいといった意見も少なからず存在する。
なお系列店については(2008年度定例株主総会において)パナソニック(株)への社名変更が正式決定した2008年6月26日以降、看板・シャッターから「National」の文字を外し、「Panasonic」ロゴのみを表記した新デザインへの変更作業を順次開始。2009年度までには全パナソニックショップの看板・シャッターが新デザインに切り替わる。
松下電工(現・パナソニック電工)など、「松下」や「ナショナル」を冠する子会社も、松下電器本体と同時に(2008年10月1日より)社名を一斉に変更し、企業グループもパナソニックグループに呼称変更した。
さらに、パナソニック提供番組についても、パナソニック株式会社への社名変更に伴い、2008年10月改編時に、「ナショナル」を冠した番組名称が変更される(「ナショナル劇場」から「パナソニック ドラマシアター」へ)。
尚、パナソニックでは自社が運営する財団法人(松下政経塾、松下教育研究財団など)や松下記念病院といった関連系列団体の名称は維持し、グループ各社の社名変更後もこれらの関連系列団体の名称は変更しないことを表明している。また、中国語圏においては当分の間「松下」「松下電器産業」の名称を継続して使用する。
略称は、一般的に「パナ」が一般的で、経済ニュース番組やNHKでは、「パナ」は俗称であり民放総合ニュースを含め伝えにくくなるため社名の英称からくる略称か「松下」を継続している。
