江原 啓之(えはら ひろゆき、1964年(昭和39年)12月22日 - 現在43歳)は、スピリチュアルカウンセラー。 コメンテーター、作家、声楽家(バリトン歌手)。元神職。「世界ヒーリング連盟」元会員。「英国スピリチュアリスト協会 (SAGB)」会員。雑誌 A・NO・YO ならび KO・NO・YO の編集長。東京都出身。妻と二人の息子がいる。
江原啓之の来歴
1964年12月22日、東京都墨田区の下町で、薬品会社に勤めるサラリーマンの第2子として誕生。7歳上の姉を持つ。
幼い頃から霊感が強かったという。
1968年、4歳のとき、父親を薬害で亡くし、15歳の時、母親を癌で亡くす。
中学生時代はギター部に所属していた。
技術職に就くことを目指しデザイン科のある高校に進学し、放課後はアマチュア合唱団の練習に参加。
1981年、高校2年の時、姉が嫁に行き、一人暮らしを始める。
和光大学人文学部芸術学科に入学し、美術を専攻(,p127)。彫刻や音楽を学ぶ。大学の近くに引っ越す。
「18歳までは守られる」という生前の母の言葉通りに、18歳になった頃から心霊現象に悩まされ19歳で大学を退学する。
江原啓之の人生の師との出会い
警備のアルバイトをする傍ら、心霊現象の解決のため何人もの霊能者を訪ねるも解決できず、 自殺まで考えるほど精神的にも金銭的にも追い詰められた中で、20人目に出会った(財)「日本心霊科学協会」の講師(当時)、寺坂多枝子に信頼を置く。
人格や波長を高く保ち善きカルマを積めば、低級霊は寄って来ないとアドバイスを受け、自分の力をコントロールするため修験道(真言密教系)の修業を始める。1年間寺で修業した後、高尾山での 2年間の滝行により憑依体質を克服。「日本心霊科学協会」の「精神統一協会」や寺坂の主催する「清玲会」に通い、瞑想や心霊科学を学ぶ。
滝行で知り合った男にプロの霊能者になる誘いを受ける。心霊相談の部屋を提供されるも、お金を一切もらえず、極貧の生活に追い込まれる。一攫千金を狙うための商品にされていることに気づき、夜逃げ同然に逃げ出す。
「社会的に信頼されるようにきちんとした職業を持つべき」という寺坂の勧めに従い、22歳の時、神職の資格を得るため國學院大學の夜間部に入学。
1987年(23歳)、 北沢八幡神社に実習生として勤める。経済的に苦しかったため、夜間の授業を終えた後、深夜に心霊相談を行うという過酷な生活を送る。 同大学の別科神道専修II類修了し、神職の資格を得る。
心霊相談で知り合った人たちや昔からの友人たちによって、東京、横浜に計3ヶ所スピリチュアリズムを学ぶサークルが作られ、毎月、講師として研修を行う。後に計3ヶ所合同の研修会(これが後に「江原啓之のスピリチュアリズム講座」となる)を北沢八幡神社の広間で開催する。
この頃、名古屋の医師の紹介で、北海道の浦河町に建てた別荘の心霊現象に悩んでいた小説家、佐藤愛子の相談に乗る(,p257)。
江原啓之のカウンセラーとして独立
1989年(24歳)3月、北沢八幡神社を去り、近くの東京・下北沢のアパートで、心霊相談とヒーリングによるスピリチュアリズムの普及を目的として「スピリチュアリズム研究所」を設立(後に自宅も兼ねる。)。
1990年(25歳)2月、霊能者としての活動のヒントを求め、スピリチュアリズムの本場とされるイギリスに渡る。ロンドンのミーディアム(霊能者)を育成する団体である「英国スピリチュアリスト協会」(SAGB)を訪ね、ネラ・ジョーンズ、テリー・ゴードン、ドリス・コリンズなど、霊媒師として知られる人物たちと会い、理論、実践を学ぶ。以降1996年まで、足かけ6年、計9回渡英する。
帰国後、個人カウンセリングにイギリスで学んだスピリチュアリズムの手法を取り入れる。
江原啓之のマスメディアへの登場
寺坂を通じて知り合った佐藤愛子の助力でマスメディアに姿を現す。
1992年(27歳)、ファッション雑誌 CanCam (1992年2月号)の連載で取り上げられたことで、「スピリチュアリズム研究所」に予約が殺到する。
1993年(28歳)5月、歌手のイルカの知人の紹介で知り合った女性と結婚し、千代田区の「日枝神社」で挙式。
1994年 (29歳)長男が誕生(,p92)。
2001年 (36年) カウンセラーの中森じゅあん(「日本算命学協会」 代表)から紹介を受けた三笠書房より出版した3冊目の自著 幸運を引き寄せるスピリチュアル・ブック が70万部を超えるベストセラーになる。
30代半ばで 武蔵野音楽大学に入学。菊池英美、吉池道子、ヴィットーリオ・テッラノーヴァらに師事し、声楽を学ぶ。同大学の音楽の特修科(社会人コース)であるパルナソスエミネンスの声楽専攻科を修了。
江原啓之の人物
江原啓之の霊能力
本人によれば、幼い頃から霊的に敏感で霊やエネルギーに感応しやすい“憑依体質”であったという。江原が4歳の時、父親の背後に黒いオーラが見えたため、幼い江原は近づくことが出来なかった。その数日後父親が薬害で亡くなったことから、父親の死を予知したと言われている。生きている人のオーラを見たり、小学生のころ初めて、戦争中の服装の親子を見て、対話に成功したことから、亡くなった人の霊が見えていたという。しかし、何事も疑うことから始める懐疑主義的性向を持っており、きちんと確かめるまでは霊だと最初から信じたのではなかったという。
元来、ずっと教師になりたいと思って来ており、霊能者になりたいと思ったことは一度もなかったという (,p27)。寺坂を初め、何人かの日本の霊能者から、「霊界は霊能者になることを望んでいる」ことを伝えられるが、自信が持てず、神社に就職することを機に心霊相談をやめようと考えていた。
しかし、國學院大學の卒業論文を書いている時に ブラザー・サン シスター・ムーン という映画を目にした江原は、すべてを投げ打って真理に従ったアッシジのフランチェスコの生き方に感動し、自身も「我」を持たず、霊界(天)が望む通りに、スピリチュアリズムを広める道具になろうと決意したという。
現在でも霊視により人のオーラや前世を見たり、守護霊や亡くなった人の思いやメッセージを感じ取れるとしている。さらに、テレビ番組においては、人の部屋の様子を言い当てるなどの透視能力を披露している。(江原が行使するとされているような能力は、超心理学の研究対象であるが、現時点では、科学的に証明されたわけではない)。
江原自身は「霊能者は様々な天職の中の一つに過ぎず、たまたま人に理解されないだけである」とし、「自分はごく普通の人間である」と繰り返し述べている。また、霊能者はスピリチュアルな人生に目覚させる一技術者であって、これまでのように「生き神様」や「教祖」として崇めたてまつる時代は終わらせるべきとしている。
また、普通の人でも霊能力は10パーセントほどは持っており、霊能者であっても、100パーセントといういう人は一人もおらず、平均して50から60パーセントほどで、80パーセントあれば極めて優秀な霊能者だと語っている(,p219)。江原自身も霊界からの助言をもらえることは滅多になく、一人の人間として、葛藤を抱えており、悩みや迷いもあり、失敗や後悔もしているという(,p242)。 また、霊能力があることと高い人格であることは必ずしも比例しないとしている。江原は霊能力で人が幸せになるのではなく、スピリチュアルな人生に目覚めることこそが「本当の幸せ」を実現させる唯一な道だとしている。
オーラの泉 で共演する美輪明宏は自身の霊視により江原を本物だと確信したと言い、「霊能者は99パーセントがインチキでも、1パーセントのホンモノがいる。江原さんはそのひとり。」と評価している。
江原啓之の霊能者の先輩たちの指導
江原の両親だとして寺坂多枝子が招霊した霊が語った内容は、父母と自分にしかわからないものであったため、驚きと感動で涙したという。寺坂は両親の死の原因を説明し、江原が心霊現象に振り回されているのは悪霊の仕業ではなく、生まれつきの霊媒体質によるものだとした。
また、江原の指導霊は戦国時代に京都御所を護衛しており、後に出家して修験道の行者になり、加持祈祷で人々の病気を治していた「昌清之命(まさきよのみこと)」という人物であったとした。そして、この霊は江原が自身の霊能力を世の中の人のために使うことを望んで働きかけているとした。他の霊能者のWや佐藤永郎も寺坂と同様の霊視をしたことで、江原はそれが事実であると確信したという。
また、この頃、 シルバーバーチの霊訓 (ハート出版)という本に出会い、自分が見出した真理が正しかったことが裏付けられ、これまでの自身の経験の意味を改めて理解でき、感動したという。
江原啓之のイギリスでの学び
寺坂多枝子の「霊能者は拝み屋の域を離れ、アカデミックなスピリチュアリズムを学び、その地位を築くべき」とのアドバイスにより、イギリスに渡り学ぶ。中でも最も影響を受けたのはドリス・コリンズであり、自身のスピリチュアルカウンセラーとしての活動はドリスを見本にしているという。 渡英中、ドリスにイギリスに住みたいと希望を伝えた際は、「私と同じようにパイオニアとして、日本で人々に真理を伝えてゆきなさい」と言われたという。
江原啓之のスピリチュアルカウンセラーとしての活動
イギリスで学んでいた時に、ある男性ミデーィアム(霊媒)の名刺の肩書であった“スピリチュアル・カウンセラー” という言葉を気に入る(,p206)。 “霊能者”という言葉には現世利益を与える他力本願的なイメージが強く、暗いイメージがあり、そのような拝み屋的な存在としての心霊相談と同一視されたくないという思いもあり、スピリチュアル・カウンセラーと名乗るようになったという。
江原のカウンセリングスタイルは、一般的な日本の霊能者がするような相手の相談に答えて行くという形ではなく、自身が霊的世界とコンタクトを取り、その人に関わるさまざまな情報およびメッセージを一方的に伝えて行く、イギリスや欧米諸国で行なわれている「シッティング」という手法である。依頼者自身にしか知り得ない事柄を語ることで依頼者に霊的世界を証明し、その感動を通じて霊的世界の真理を広めてゆくことを考えたという。また、拝み屋的な演出を排し、かわいらしいサロン風のカウンセリングルームで平服でカウンセリングを行なった。
しかし、十数年カウンセリング活動を続ける中で、楽して成功を求めるようなスピリチュアリズムの真理に反した物質的価値観による相談や非常識なクレームをつける人が多く、1年間に千件に及ぶカウンセリングの中でも、やってよかったと思えたのは10パーセントにも満たなかったという。そんな中で、応急処置的なカウンセリングばかりに時間を割くより、霊的な真理という「人生の地図」を普及させることの方がはるかに「人の助け」、「霊界の助け」になると考え、個人カウンセリングを休止し、執筆活動や講演活動に重点を移した。
今後はルドルフ・シュタイナーのように、スピリチュアリズムをアカデミックな思想として確立させ、学校や教育などいろんな方面に応用できるようにしたいという(,p95・,p210)。
また、将来はホスピスを作ることが自分の夢だとしている(,p23)。
江原啓之のマスメディアでの活動
自ら学んだスピリチュアリズムを本で伝えたかったが、無名ゆえに引き受けてくれる出版社がなかったため、名前を知ってもらうためと、マスメディアに登場する霊能者はキワモノがあまりにも多く、その話が心霊現象に偏っているため、「人はなぜ生まれ、いかに生きるか」を語る霊能者も必要だと考えマスメディアに出ることにしたという。
テレビ出演の際はスタジオにろうそくやヤナギの木を置いたり、血の滴るようなテロップやおどろおどろしい「再現ビデオ」などを見せる心霊番組特有の局側の演出を不要だと再三訴え、やめてもらうようにしたという。
初期の自著は当初2冊共ほとんど売れず、そのうち1冊は間もなく絶版となってしまった。ある人からの「世間の人はいきなり理解するのは難しい世界だから、もっと身近な具体例を挙げるべき」とのアドバイスを受けて書いた3冊目の自著 幸運を引き寄せるスピリチュアル・ブック がベストセラーとなった。その後、江原の存在が世間一般に広まり、江原啓之への世間一般の関心が高まるにつれて、当初は精神世界に関心を持つ人にのみ認知された最初の著書 人はなぜ生まれいかに生きるのか (ハート出版)も非常に高い評価を受けるようになり、沢山の読者を獲得するに至る。
2003年(38歳)、テレビ東京の深夜バラエティ番組 えぐら開運堂 に毎週レギュラー出演し、2年間に渡り女性視聴者に対して人生相談を行う。
同年6月より東京を皮切りに2004年5月まで 江原啓之スピリチュアル・トーク を全国で開催。
2005年(40歳)4月からは美輪明宏と共にスピリチュアルな視点から人生を説くテレビ番組 オーラの泉 に出演し、話題を呼ぶ。 オーラの泉 において、霊視して部屋の中の様子を言い当ててゲストを驚かせ(当然節度を守った範囲でだが)、番組を盛り上げるデモンストレーションは有名。
2007年(42歳)現在、著書の累計出版部数は900万部を超えており、ベストセラー作家としても世に知られている。
江原に批判的な側は江原のファン・信奉者を揶揄的な意味合いを込めて「エハラー」と呼ぶこともある(,p315)。
江原啓之の音楽家としての活動
もともと、サラリーマンだけはなるまいと考えており、芸術で生きて行くことを考えていたという。スピリチュアルカウンセラーを始めたときの「10年計画」にも歌を歌うことが入っていたという。歌詞のこめられた「言霊」とメロディーにこめられた「音霊(おとだま)」によって、豊かな感性を呼び戻してほしいとしており、スピリチュアリズムや霊能者に対する偏見を払拭したい思いもあるという。
2003年からは自身の「公演」の中で歌を披露している。現在も定期的に声楽のレッスンに通っている(,p92)。
2000年、武蔵野音楽大学特修科修了演奏会では、ヴェルディ、ロッシーニを中心としたプログラムで優秀な成績を修めた。以後2001年には、「日本歌曲の夕べ」を開催。
2002年、「La strada-イタリアへの道」を東京都渋谷区の音楽ホール「ムジカーザ」で開催。
2004年5月には出版300万部突破を記念して、「江原啓之バリトンリサイタル」を銀座の王子ホールにて行い、イタリア歌曲、オペラ、日本の歌曲までを歌った。
また、2004年12月には、デビューアルバム スピリチュアル ヴォイス 、2006年3月にはセカンドアルバム スピリチュアル エナジー をリリース。
2005年度より美輪明宏の提言により「スピリチュアル・アーティスト」としての活動を開始、2005年1月から3月まで全国各地で 江原啓之スピリチュアル・ヴォイス 公演を行い、5月には東京・渋谷公会堂で特別追加公演も開催した。ヴェルディ、ロッシーニ等のベルカントオペラを得意とし、その他様々なコンサート・リサイタル等に出演している。
2007年9月から10月にかけて、4大都市で三枝成彰プロデュースの20周年記念チャリティーコンサートを行う。初めてオーケストラをバックにし、ソプラノ歌手佐藤美枝子と共演した。財津和夫、イルカ、尾崎亜美らが出演し、デュエットも披露。
江原啓之の批判
2006年3月、 週刊文春 が江原が暴力を振ったり猫虐待を行っていたとする スピリチュアリズム研究所 のかつての女性スタッフの告発記事を載せた。これに対し、 週刊新潮 は当時を知る別の匿名の女性スタッフと江原のそのような事実はなかったとするインタビューを掲載した。その後も、 週刊文春 は江原が相談を受けた芸能人の個人情報を周囲に漏らしたという記事を載せた。
日刊ゲンダイ (2007年2月1日付)で、過去に出演した こたえてちょーだい! (フジテレビ系)で江原の霊視を受けたという女性が、霊視の内容がスタッフに事前に質問されて答えた内容と同じであった、と明かした。これに対し番組を制作したフジテレビは「コメントは差し控えさせていただく」とし、事実だと認めてはいないが否定はしていない。
テレビ番組などで行う江原の前世霊視は、イメージの良いものにばかり偏っていないか?などと疑問視されることもある 。 週刊文春 の2007年2月1日号によると、 オーラの泉 中で行った芸能人の霊視では、公家、武士、巫女、貴族、修道士、思想家といった職種ばかりで、日本、イギリス、フランス、イタリアといった国家の人間になぜか偏っているという。
2007年3月1日、霊感商法の被害対策に取り組んできた「全国霊感商法対策弁護士連絡会」が、超能力や心霊現象などを喧伝し、霊魂観や死後の世界についての考え方を断定的に述べているテレビ番組が、霊感商法の被害予備軍を生み出しているとして、行き過ぎないように求める要望書を各局宛に提出した。その中で 2006年12月9日、中学2年生の少年が部活動でレギュラーを外されたのを苦に、「絶対におれは生まれ変わる。もっとできる人間になってくる」などと書き置きして飛び降り自殺した事件に触れ、少年の手紙には霊界の話を紹介するテレビ番組を家族と見たことに触れてあったことから、そのような番組が悪影響を与える懸念を指摘した。
江原は、自分は自著やテレビにおいて、自殺して生まれ変わっても同じ試練を繰り返すだけだから、苦しくても生き抜くべきと説いているのだから、自殺者が増えるのは自分の影響だと言われる筋合いはまったくないと反論している(,P27)。
ニューズウィーク日本版 2007年5月16日号では「世界ヒーリング連盟」に江原の名前がないことから経歴詐称疑惑が報じられた。以降、自身の経歴において「世界ヒーリング連盟会員」という肩書きに“元”を付加している。
週刊文春 2007年11月8日号は FNS27時間テレビ みんな“なまか”だっ!ウッキー!ハッピー!西遊記! の一コーナー「江原啓之、新潟の女性訪問・亡き父親からのメッセージ」でやらせがあったと報じた。震災被害者にリンゴを贈るボランティア活動をしていた秋田県の美容院の経営者女性に江原が亡き父のメッセージを聞かせるというサプライズを仕掛けて喜ばせる企画であったが、江原がボランティア活動によって美容院経営をおそろかにしているとして「死んだお父さんは、あなたが悪いと言ってる」としたことに対し、その女性が睨んで反論した場面は全てカットされ、女性が講演会の会場に自分がボランティアでリンゴを送った人々が客席にいるのを見て感激し、涙した場面を江原の言葉に感激して涙したかのように編集されていたという。講演会の客も大半がサクラであり、美容院の従業員からの手紙もやらせであったという。その女性は、承諾なく霊視を受けさせられた上に、自分が経営している美容院が経営危機であるとの虚偽の演出をされ、「善意の形をとりながら、結果的に傷つけられた」として「放送倫理・番組向上機構」(BPO)に訴えた。
この件に関して、BPOの放送倫理検証委員会はフジテレビに質問書を送り、事実関係の説明を求めた。
2008年1月21日、BPOは同番組が放送倫理違反であるとの審議結果を発表。具体的な裏付けもないまま美容院が「経営難」だと断定したこと、放送基準が慎重な扱いを求める「スピリチュアルカウンセリング」なるものを本人の同意もないまま行い、江原のPRに女性を利用したことに問題があるとした。「おもしろさを第一とする取材・構成・演出を繰り返し、その結果、人間の尊厳を傷つけかねない番組を放送している。」としてフジテレビに改善策の提出を求めた。
江原はこの問題について、翌22日、自身のウェブサイトで、BPO意見書を重く受け止め、今後は慎重に行動したいとし、フジテレビの番組制作のありかたを遺憾に思うと述べた。テレビ局からは「女性が オーラの泉 の大ファンで、カウンセリングを熱望している」と言われたので出演を承諾したが、(本当は望んでいなかったのだとすれば)「カウンセリングを望まれている」というテレビ局からの報告を鵜呑みにする自身の傲慢さがあったと反省するとした。また、「望まれていない」と苦言を受けたのは相手の心情に対する考慮に欠けていたと、「深く反省するとともに、謝罪の意を述べたい」とした。さらに「収録時には、出演者は大喜びしていたのに今回の事態のようになったのはテレビの演出方法が女性を傷つけることになったからなのだと理解している」とした。また、マスコミが自身の霊視を「やらせ」としたい意図的な姿勢があるが、これまでの自身の活動が、潔白を証明していると述べた。これについて、作家の麻生千晶は「超能力があるというのなら、 望まれていない 、 経営が悪化していない ということがなぜ分からなかったのですかね」と疑問を呈している。
2008年4月2日、フジテレビはこの件に関し「一番の問題点は非科学的、荒唐無稽(こうとうむけい)な霊視を番組の中核に置いたこと」と、番組制作の誤りを認める報告書を同局のホームページで公表した。フジは報告書で「霊視を全体として肯定的に扱っているとの批判は免れがたい。バラエティー番組だから許されるレベルの問題ではない」としている。
週刊文春 2008年1月24日号によると、 オーラの泉 で宝塚歌劇団出身の女優檀れいについて「死んだお父さんは 宝塚受験 を見守っていた」と話したが、壇の出身地兵庫県の人々から疑問の声が噴出したという。壇の同級生や地元住民から「檀の父親は生きている」との証言があったという。檀は、宝塚デビュー後に母親が再婚した義父(故人)の霊視を江原に依頼したが、義父は檀の子供の頃を知り得ないため、江原は実父が存命であること知らずに霊視したのでは、との疑惑を生んだ。
大槻義彦は江原のテレビの内容や本について、「幼稚、ばかばかしい、インチキである」と自身のウェブサイトにおいて批判している。(大槻にすれば非科学的な)江原の本がベストセラーになってしまうことなどについて、一般読者の幼稚さに驚き、日本人の後進性に落胆しているという。そして、江原の番組をテレビで放送していることや、有名出版社が、江原の本を争って出版していることについて批判している。また、江原に擦り寄る文化人を批判している。
さらに「江原は霊感商法の根源」であると批判。弁護士らと連携の上、出版や放送の差し止めなど法的手段に訴える意向であるという。「法廷で検証実験を行い、インチキを暴く」と語っている。
江原啓之の批判に対して
週刊文春 2006年3月2日号については、江原は週刊現代 H18/3.25号での「すべて事実無根です」との記事により、反論している。また、週刊新潮(06.3.9号)は、「暴行・猫虐待で江原氏を告発した、おかしな人たち」という記事を掲載し、江原を擁護している。また、週刊文春によれば虐待したはずの当該猫「コナン」は親戚の実家で今尚生きていると、その思い出と共に「ペットはあなたのスピリチュアル・パートナー」(中央公論新書)で江原は紹介している。
檀れいの件に関しては、実のところ、壇の複雑な家族関係について、美輪、江原は事前に知っており、 オーラの泉 はゲストのプライバシーを暴くためのものではないため、あえて黙っていたという報告もある。実際、壇自身は 週刊文春 の当該記事の、記者の質問に対して、一切美輪、江原に抗議めいた言動は無く、「私、あの時は最初から最後まで号泣してましたよね。自分が今まで心に秘めてきたことを解ってもらって、言ってもらって、心が軽くなって、その事で一杯だったし、涙が止まらない状態だったので細かい部分は覚えていないんです」「 オーラの泉 は、視聴者参加型の番組ではなく、江原さん、美輪さんとゲストの会話の中で、スピリチュアルな、精神世界の話をするわけです。それをゲストがどういう風にキャッチして、自分の糧として歩んで行こうかなというものだから、周りがガタガタいうことでもないと思うのです。」と述べている。その後の記事では 週刊文春 の記者は、このように答えた壇に対し、強い批判を行い、更に壇の義父の中傷的な記事を掲載しており、泥沼化した状況を呈した。その後、この件に関し、江原は、週刊現代 2008/3/15号で、「私は、檀さんの人生のなかでの、その時々のお父さんの声を伝えたわけです。ご両親が離婚される前の出来事については、私に視えた実のお父さんのお気持ちを伝え、お母さんが再婚されてからは、亡くなられたお父さんの声を伝えました。それをあえて私が言わなかっただけです。(中略)あの愛のない記事によって、檀さんの心が傷ついていないかと心配しています。」と述べている。
江原はマスメディアにおける自身やスピリチュアリズムへの批判による誤解を解くためだとして、2007年10月に 江原啓之 本音発言 (講談社)を出版した。対談形式になっており、相手は長らく週刊誌の記者・編集者を務めて来た40代後半の匿名の男性。同世代の妻と中学生の娘を持ち、「あの世」や「霊」の存在は一切信じておらず、江原を「インチキ臭い人物」と認識しているとされている。この本の中で江原は、自身に対する批判について「すべて、霊的世界への無理解が根源にある」としている。週刊誌で叩かれたことは最初はショックであったが、自分の著作で既に答えを出していることも知らずに批判しているなど、バッシングの内容が的を射ていなかったり、内容的にどうでもいいことばかりで、大きなダメージを受けたことはないとしている。また、一般誌でバッシングされたおかげで「スピリチュアリズム」という言葉が世の中に浸透したことから、自身を叩く人は「広報活動をしてくれる協力者」とポジティブに捉えているという。対談相手の男性は「霊やあの世の存在は最後まで信じられなかったが、江原の話に考えさせられることは山ほどあった」、「わたしも(スピリチュアリズムに)部分的には目覚めたのでしょうね(笑い)」と述べ、江原の今後の活動に注目してゆきたいと締めくくっている。
江原啓之の主な作品
江原啓之の著書
人はなぜ生まれいかに生きるのか(ハート出版 2001年10月25日、 1995年1月21日に出版した最初の著作 自分のための霊学のすすめ の新装版) ISBN 978-4892954979
あの世の話 (佐藤愛子との共著、青春出版社1998年11月、[文春文庫] 文藝春秋社2001年12月10日)ISBN-13 978-4167450052
スピリチュアルプチお祓いブック(マガジンハウス 2003年11月) ISBN 978-4838714803
幸運を引きよせるスピリチュアル・ブック(三笠書房 2001年3月)ISBN-13 978-4837960829
スピリチュアル生活12か月(三笠書房 2001年12月) ISBN 9784837961178
あの世の話(佐藤愛子との共著、文藝春秋社 2001歳12月) ISBN-13 978-4167450052
"幸運"と"自分"をつなぐスピリチュアル・カウンセリング(三笠書房 2002年7月) ISBN 978-4837961482
江原啓之のスピリチュアル子育て(三笠書房 2002年7月) ISBN 978-4837919728
愛のスピリチュアル・バイブル(集英社 2002年11月) ISBN 978-4087753196
スピリチュアル幸運百科(主婦と生活社 2003年4月) ISBN 978-4391127843
スピリチュアルな人生に目覚めるために(新潮社 2003年10月) ISBN 978-4101189215
スピリチュアルワーキング・ブック(三笠書房 2004年4月)ISBN 978-4837962380
スピリチュアル夢百科(主婦と生活社 2004年5月) ISBN 978-4391129526
スピリチュアル・エッセンス あなたの人生を導く言霊集(光文社 2004年6月23日) ISBN 978-4334974534
江原啓之のスピリチュアル人生相談室(中央公論新社 2004年9月23日) ISBN 978-4122044210
子どもが危ない!(集英社 2004年9月)ISBN 978-4087753417
本当の幸せに出会うスピリチュアル処方箋(三笠書房 2005年1月) ISBN 978-4837962748
あなたのためのスピリチュアル・カウンセリング(央公論新社 2007年1月) ISBN 978-4122048065
いのちが危ない!(集英社 2005年4月) ISBN 978-4087753455
スピリチュアルメッセージ 生きることの真理(飛鳥新社 2002年12月) ISBN 978-4870315358
スピリチュアルメッセージII?死することの真理(飛鳥新社 2002年12月) ISBN 978-4870315358
スピリチュアルメッセージIII?愛することの真理(飛鳥新社 2003年2月25日) ISBN 978-4870315464
江原啓之神紀行スピリチュアル・サンクチュアリ(マガジンハウス 2003年12月) ISBN 978-4838784264
江原啓之への質問状(丸山あかねとの共著、徳間書店 2005年12月16日) ISBN 978-4198620813
苦難の乗り越え方(PARCO出版 2006年4月15日) ISBN 978-4891947286
眠りに潜むメッセージ スピリチュアル・夢ブック(マガジンハウス 2006年8月23日) ISBN 978-4838717132
スピリチュアルオーラブック(マガジンハウス 2006年8月23日) ISBN 978-4838717125
運命の赤い糸をつなぐスピリチュアルブライダルブック(マガジンハウス 2006年8月23日) ISBN 978-4838717064
天国への手紙(集英社 2007年3月) ISBN 978-4087753745
未来の創り方(パルコ 2007年4月) ISBN 978-4891947521
人間の絆-ソウルメイトをさがして(小学館 2007年6月) ISBN 978-4093965057
江原啓之 本音発言(講談社 2007年10月19日) ISBN 978-4062141215
超恋愛(林真理子との共著、マガジンハウス 2007年12月14日) ISBN 978-4838718368
江原啓之の音楽
スピリチュアル・ヴォイス(Sony Music Direct 2004年12月22日)
スピリチュアル・エナジー(Sony Music Direct 2006年3月24日)
小さな奇跡(ソニーレコード 2007年2月14日)
愛の詩(ソニー・ミュージックエンタテインメント 2007年4月4日)
江原啓之の出演
江原啓之のテレビ
痛快!エブリデイ(関西テレビ、2004年頃、)※火曜日のコーナー「江原啓之 心の処方箋」のみに出演。番組がリニューアルされたために現在は出ていない。
国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉(テレビ朝日)
こたえてちょーだい!(フジテレビ)終了※レギュラー出演ではないため不定期
えぐら開運堂(テレビ東京、2003年10月3日-2005年9月30日)
江原啓之スペシャル 天国からの手紙(フジテレビ)2004年4月18日-
ウチくる!?(フジテレビ)※ゲストとして出演 2006年9月21日放送
江原啓之のラジオ
のりゆきのトークDE北海道(北海道文化放送)
江原啓之の幸せのレッスン(ニッポン放送)
江原啓之の映画
奥田瑛二監督 風の外側 (2007年12月公開、オペラ歌手を夢見る少女(安藤サクラ)を個人指導する声楽教師の役で出演。)
江原啓之の註
- ^ 江原啓之プロフィール(江原啓之公式サイト)
- ^ 江原啓之 スピリチュアルな人生に目覚めるために?心に「人生の地図」を持つ (新潮社 2003年10月)
- ^ 江原啓之 人はなぜ生まれいかに生きるのか (ハート出版)
- ^ SmaSTATION 2007年10月28日放送
- ^ スピリチュアルカウンセラー 江原啓之の「正体」( 週刊文春 2006年2月23日号)
- ^ 江原啓之(聞き手)丸山あかね 江原啓之への質問状 (徳間書店)
- ^ もっと深くスピリチュアルを知るために 新潮社2007年12月1日
- ^ 佐藤愛子・江原啓之 あの世の話 (青春出版社1998年11月、文藝春秋社2001年12月10日)
- ^ それまでに神職の最低の資格は取得していた( 人はなぜ生まれいかに生きるのか p59)
- ^ 江原啓之プロフィール(江原啓之 幸せのレッスン)
- ^ 江原啓之 本音発言 (講談社)
- ^ 神主になったのは日本ならではのエナジーを感じ取りたいと考えたからだという( 本音発言 p68)。
- ^ スピリチュアルカウンセラー江原啓之の「正体」