池田久美子

池田 久美子(いけだ くみこ、1981年1月10日 - )は、日本の陸上競技選手で、北京オリンピックにおける日本代表選手。山形県酒田市出身。酒田市立酒田第三中学校・仙台育英学園高等学校・福島大学卒。スズキ陸上競技部所属。血液型はB型。

女子走幅跳の日本記録保持者(6メートル86)。100メートルハードル走幅跳の日本中学記録(13秒78、6メートル19)、日本学生記録(13秒38、6メートル78)、また100メートルジュニアハードル日本中学記録(13秒78)も持つ。いわゆる末續世代の一人である。

池田久美子の来歴

小学校2年生から陸上を始める。小学校5年生で走幅跳4m46マークする。6年生では5m18という記録を残し、「驚異の天才少女」として注目を集める。

酒田市立酒田第三中学校進学後も活躍を続け、1年生の時に12歳年齢別世界記録となる5m97マークし、全国中学校体育大会陸上競技女子共通走幅跳でも優勝する(発育差の大きい中学生の大会において、1年生が優勝することは稀である)。池田はこの後、走幅跳で3連覇という金字塔を打ち立てた。加えて、3年時には走幅跳、100メートルハードル、100メートルジュニアハードルの3種目で日本中学記録を樹立する。

日本大学山形高等学校進学後、走幅跳で高校1年の年に行われたアトランタオリンピック参加標準記録を目指すも、慣れない下宿生活などで調子を崩し、その年のベスト記録は5メートル85と前年より30センチ以上も落ち込んでしまう。父親が仙台育英高校のコーチに就任したのを機に同校に転校して再起を図るが、結局一度もインターハイを制覇することはできなかった。高校最後の全国大会である国民体育大会こそ優勝したが、高校3年間のベスト記録は6メートル14にとどまり(ただしこの記録も高校トップクラス好記録である)、またハードルでも、中学時代の記録を更新することはなかった。

高校卒業後は福島大学に進学し競技を続ける。そこで父親から育成を託された川本和久監督のもと、大学2年から技術面の改良に着手する。それまでの踏み切りと同時に両脚を前方へ投げ出す「かがみ跳び」( 久美子ちゃんジャンプ と呼んでいたそうである)から、「シザース」(空中で脚を回転させる跳躍技術)への移行を試みた。また、体質改善にも積極的に取り組み、好物のチョコレートを断ち、野菜中心食生活に切り替えて7kgの減量に成功した。これが功を奏し、その秋の日本インカレで5年ぶりに自己記録を更新する6メートル29を跳び優勝する。日本ジュニア選手権では6m46(+2.7)の好記録マークして優勝。その年チリ・サンディエゴで行われた世界ジュニア選手権に出場。100メートルハードルで5年ぶりに自己記録更新、走幅跳では6メートル43の日本ジュニア記録(当時、現在は中野瞳の6メートル44)をマークし銅メダルを獲得した。そして2001年、さらに飛躍し自己記録を連発する。

日本選手権では、従来の日本記録(6メートル61)を大幅に上回る6メートル78の跳躍を見せる。しかし花岡麻帆同大会で6メートル82を跳び、日本記録保持者にはなれなかった(この後も、池田と花岡は世界大会代表がかかった日本選手権で数センチ差の接戦を何度も見せていった(後述))。同年の世界陸上選手権エドモントン大会)代表に選出され出場、予選を通過し11位に入る(長距離以外の女子選手世界大会の決勝に進むことは少ない)。また、ユニバーシアードでは銅メダル獲得

2003年、パリ世界選手権に出場。

2004年、世界室内選手権に出場。アテネオリンピックには出場できなかった。

2005年、日本選手権で花岡を押さえて優勝し、ヘルシンキ世界選手権に出場。マカオで行われた東アジア競技大会では見事に優勝した。

2006年、左太もも裏肉離れのためモスクワ世界室内選手権を欠場するが、5月に静岡国際陸上シーズン初戦ながら2007年世界陸上選手権参加標準記録A(6m70)突破となる6m75の大会新記録を樹立して優勝し、IAAFグランプリ大阪大会では6m86の日本新記録(2005年世界ランキング6位相当)を樹立。並み居る世界の強豪たちを抑えて優勝した。これにより本人も目標としてきた日本女子初の7mジャンプが現実味を帯びてきている。

2006年、ドーハアジア競技大会に出場し、6m81を跳び、アジア大会のこの競技で日本人36年ぶりの金メダルを獲得。

2007年4月、織田幹雄記念国際陸上競技大会にて、100m障害で日本歴代2位となる13秒02をマーク

2007年8月、世界陸上選手権大阪大会)に出場。男子短距離朝原宣治と共に、日本選手団81人の代表として主将を務める。女子走幅跳にて決勝進出を狙うも、6メートル42と奮わず、予選敗退した。

2008年7月6日、南部忠平記念陸上競技大会6m70の大会新記録で優勝し、悲願の五輪内定を獲得。苦しんで掴んだ北京への切符に、記者会見では感涙で頬を濡らした。 同日、北京五輪代表選手二次発表で代表入りを果たした。

2008年8月19日、北京オリンピックに出場したが、6m47の記録(2回目の記録。1回目は6m44、3回目はファウル。 出場42人中20位、上位12名が予選通過)に終わり、予選敗退した。ちなみに予選1位のブリトニー・リース(米国)は6m87、12位のチェルシー・ハモンド(ジャマイカ)は6m60であった。

池田久美子のエピソード

小学生時代、日清食品主催の全国小学生陸上競技交流大会で、後に2003年パリ世界選手権で銅メダルを獲得した同い年(学年)の末續慎吾ミズノ)に記録で勝ってしまった。これにショックを受けた末續は走幅跳をやめてしまった。

パリ世界選手権での、末続の200mメダル獲得には感涙したという。

愛称は「イケクミ」。ピンクが大好き。

趣味は部屋の掃除。

祖父は、1940年の東京オリンピック(第二次世界大戦で中止)陸上競技男子110mH代表候補だった池田彌。実父は、元仙台育英高等学校陸上競技部コーチ池田実

その実力から日本陸上界の中でも高い人気を誇る。

2006年にチームメイトだった森千夏が死去。告別式で弔辞を述べた一人でもある。その中で「北京(オリンピック)」ではメダル取るからね」と涙ながらに言葉を絞り出した。種目は違ったが同期入社でもあり、「北京では2人でメダルを」と誓っていたが、その夢は叶わなかった。

2007年3月30日のプロ野球開幕ゲーム、中日対ヤクルト戦(ナゴヤドーム)で始球式をつとめた。父の実氏はどういった縁からか、大のドラゴンズファンであったらしい(中日スポーツ紙面より)。ちなみに始球式時のユニフォーム背番号は「7m」だった。

本職の走幅跳以外にも100mハードルでも日本歴代2位の記録を持ち、度々試合に出場することがある。しかしこの2種目の決勝の期日や時間が重なることも多く、2種目での世界大会出場が難しい理由の一つになっている。また1回だけだが練習の一環として七種競技にも挑戦して4000点を超えるなど、ポテンシャルは高い。

池田久美子の主な成績

2000年 世界ジュニア 走幅跳 3位

2001年 東アジア大会 走幅跳 2位

2001年 ユニバーシアード 走幅跳 3位

2001年 世界陸上 走幅跳 11位

2002年 アジア選手権 走幅跳 5位

2002年 日本インカレ 走幅跳 優勝

2002年 日本選手権 走幅跳 2位

2002年 アジア大会 走幅跳 7位

2003年 日本選手権 走幅跳 優勝、100メートルハードル 2位

2003年 世界陸上 走幅跳グループA 11位

2004年 世界室内選手権 走幅跳 出場

2004年 日本選手権 走幅跳 2位、100メートルハードル 優勝

2005年 IAAFグランプリ大阪大会 走幅跳 4位

2005年 日本選手権 走幅跳 優勝、100メートルハードル優勝

2005年 世界選手権 走幅跳 出場

2005年 アジア選手権 走幅跳 優勝

2006年 IAAFグランプリ大阪大会 走幅跳 優勝

2006年 アジア大会 走幅跳 優勝

2007年 ワールド・スーパーツアー ドーハ大会 走幅跳 優勝

2007年 世界陸上大阪大会 走幅跳 予選敗退

池田久美子の自己記録

走幅跳:6メートル86=日本記録

100メートルハードル:13秒02=日本歴代2位

100メートル:12秒00

池田久美子の日本選手権での接戦

前述の通り、池田久美子花岡麻帆は日本選手権で接戦を演じることが多い。2001年は池田6メートル78の日本記録に花岡6メートル82のこれまた日本記録で4センチ差逆転され、2003年は池田6メートル64に花岡6メートル63で1センチ池田の勝ち。2004年は花岡が6メートル67を出し、池田は6メートル63、6メートル64と迫るが逆転はならず。

そして2005年、世界選手権代表の座をかけた日本選手権は日本陸上史に残る熱戦となった。二人は3回目の跳躍を終え、それぞれ花岡6メートル57、池田6メートル60。花岡→池田の順番で残りの3回の試技を行うことになった。4回目の跳躍で花岡は6メートル61と記録を伸ばし、トップに立つ。しかし池田も、5回目の跳躍で大ジャンプ。6メートル69で再びトップに。ここで花岡は追い込まれる。しかし花岡ももうひとつ日本記録を保持している三段跳を欠場してまでこの種目にかけており、譲れない。6回目の跳躍、あまり風には恵まれなかった(追い風0.1メートル)ものの身体は大きく浮き、6メートル69を出し、池田に並んだ。二人が同じ記録で並んだ場合は2番目の記録(セカンド記録)で勝敗が決まるため、逆に花岡のリードとなり、最終跳躍者である池田に大きなプレッシャーがかかる。そんななか、池田の最後のジャンプ。記録は6メートル61。この結果、セカンド記録まで二人が並び、サード記録(それさえわずか3センチ差)まで勝敗にかかわるという類を見ない接戦となった。勝利のコールを受けた池田は、その年にかつての師でもあった父を亡くしたこともあってか、感激の涙を流した。

NHKはこの模様を生中継していたが、まさに池田が最後の一回を跳ぶ直前で放送時間が終了してしまい、その後のニュースでも結果について触れなかった。

池田久美子の参考文献等

「女子走幅跳競技者の記録変遷の要因について─池田久美子の事例から─」(川本和久池田久美子陸上競技研究55

テレビ朝日テレメンタリー「父と娘・ラストジャンプ?池田久美子どん底からの脱出?」山形テレビ製作(1999年1月10日放送)

テレビ朝日テレメンタリー「 父さん!絶対跳ぶから ?天才池田久美子三度目五輪挑戦?」山形テレビ製作(2004年8月9日放送)

ジャンクSPORTS(2006年6月4日放送)

情熱大陸 (2007年5月13日放送)

◇出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)『池田久美子』より
取得日:2008-09-06

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