球宴

オールスターゲームとは日本プロ野球の対抗試合である。毎年7月に行われ、監督推薦やプロ野球ファンによる投票などで選抜された選手が出場する。球宴(きゅうえん)とも呼ばれる。

球宴の歴史

前身としてアメリカメジャーリーグベースボールを手本に1リーグ時代の1937年から「職業野球東西対抗戦」という大会名本拠地別に配分した東西オールスターとして行われたのが始まりとされている。1リーグ時代はシーズン終了後に行われていた。

2リーグ制になった1950年は実施されず、1951年からセントラル・リーグパシフィック・リーグ対抗方式で実施されている。シーズン終了後日本シリーズが行われることから、時期を夏場に移しての開催となっている。スタート当初は年度により2試合と3試合とでばらつきがあったが、1960年代以降は3試合で定着してきた。しかし、アメリカオールスターが年1試合なのに対し、日本の3試合は多いのではないかという選手会からの要望もあり、1989年以降は原則2試合となった。但し基本的に夏季オリンピック開催年については3試合を維持し、1992年以降は第3戦を地方開催することとなった。2001年シーズン(第1戦福岡ドーム、第2戦横浜スタジアム、第3戦札幌ドーム)を最後に3試合制は原則として消滅、2002年以降は完全2試合制となり、隔年で2試合のうち1試合(原則第2戦)を地方開催する形となった。

開催に際しては12球団持ち回りで開催権が与えられ、基本的にその球団のホームスタジアムで開催となるが、ナイター開催が可能な照明設備を有する収容人員3万人以上の野球場での開催が義務付けられているため、以前近鉄バファローズ藤井寺球場と日生球場を本拠にしていた頃、藤井寺照明設備がなく(1984年に照明設備設置)日生は収容人員が2万人強と規定を満たしていなかったため、近鉄が主管球団となったシーズンには南海ホークス本拠地大阪球場で振り替えて開催した。また、ロッテオリオンズが1973年から1977年に宮城球場フランチャイズとしていた時代はロッテ主管試合は開催されなかった。理由は宮城球場キャパシティが上述の3万人以上収容の規定に満たなかったことや周辺施設の問題による。また、2002年のオールスター第2戦は広島東洋カープ開催権を持っていたが、ゲームが開催されたのは広島市民球場ではなく松山坊っちゃんスタジアムで、2003年のオールスター阪神タイガース開催権を持っていたが甲子園球場ではなく大阪ドームでそれぞれ開催された。

1988年より三洋電機特別協賛して冠大会となり、大会の名称も「サンヨーオールスターゲーム」としていたが、三洋本体業績悪化を理由に2006年限りで撤退した。2007年は中古車販売大手のガリバーインターナショナルが冠スポンサーとなり「ガリバーオールスターゲーム」として開催された。2008年は自動車メーカーのマツダによって「マツダオールスターゲーム」として開催される予定。

近年では「真剣勝負=直球勝負」とする風潮があり、「オールスターでは変化球を投げづらい」、真の真剣勝負が見られないという意見が増えている。

2008年の大会では、試合では参加選手所属球団ユニフォームを着用するが、練習ではミズノ提供プラクティスユニフォームを着用する。

球宴の過去の地方開催

1992年 - 仙台県営宮城球場主管球団・ロッテ。後にフルキャストスタジアム宮城を経てクリネックススタジアム宮城球場名を変更、東北楽天ゴールデンイーグルス本拠地になる)

1996年 - 富山市民球場アルペンスタジアム主管球団・中日)

1999年 - 岡山県倉敷スポーツ公園野球場マスカットスタジアム主管球団・阪神)

2000年 - 長崎県営野球場長崎ビッグNスタジアム主管球団・ダイエー

2001年 - 札幌ドーム主管球団・西武。後に北海道日本ハムファイターズ本拠地になる)

2002年 - 松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム主管球団・広島。後に四国・九州アイランドリーグ・愛媛マンダリンパイレーツ本拠地になる)

2004年 - 長野オリンピックスタジアム主管球団・西武)

2006年 - 宮崎県総合運動公園硬式野球場サンマリンスタジアム宮崎主管球団福岡ソフトバンク

2004年4月、新潟市に建設予定の新潟県立野球場(仮称)での2008年のオールスター開催が内定していたが同年夏の水害(7・13水害)や新潟県中越地震などの災害復興事業を優先させる必要に迫られ野球場の着工に目途が立たなくなったことから、新潟県は2005年7月に開催返上を決定。同月末に日本野球機構に開催辞退の申請を提出し、8月1日に行われた実行委員会で正式に開催辞退が承認された。オールスターゲーム地方開催を辞退するのは史上初めてのケース。その後2006年に球場建設のめどがついたことから、2010年の開催が内定した。

球宴の開催概要

球宴の選出方法

ファン投票により、外野手のみ上位3名まで、そのほかのポジションについては1位の選手が選出される。また、2008年より選手間投票が導入され、ファン投票と同様に各ポジション1位と外野手上位3名が選出される。翌日発表の監督推薦(前年リーグ優勝球団監督が担当)を併せて両チーム28名ずつ(計56名)がメンバーとして登録される。

球宴のファン投票

ファン投票は、公式投票はがき、市販の官製・私製はがき、インターネットパソコン、携帯電話)から投票する。インターネット投票では、同一サーバから1日5回までという投票制限がある。

公式投票はがきは公式戦開催会場コンビニエンスストアサンヨー商品取り扱い店などで配布され、公式戦会場など一部では直接投票できる(切手不要)投票箱が設置されている。2004年まではコンビニエンスストアにも投票箱を設置していたが、2005年は設置を取りやめた。一説には個人情報保護法による影響と言われており、2006年以降は個人情報を記載しなくてもよい公式投票はがきが導入されたことからコンビニエンスストア投票箱が復活した。

途中経過は投票開始日から数えて概ね1週間経過してから締切日までほぼ毎日(土・日曜日は除く)発表される。締め切り後1週間程度をメドに最終集計を公表。

1986年までは18名(1975年の指名打者制度投入後は19名)連記、あるいは1名のみの単記・または18名連記のどちらか等投票方式の変化をたどってきたが、1987年以後は単記・連記自由で、連記の場合は19名(セ・9人、パ・10人)までであれば自由となった(下記参照)。その後ルール改正で投手については「先発」「中継ぎ」「抑え」の3人ずつまで投票できるため、連記の場合は23人(セ・11人、パ・12人)まで投票できる。但し、各リーグ・ポジションにつき1名(外野3名まで)は厳守することとなっている。

公式投票はがきからの投票の場合、マークシート方式であらかじめノミネートされた選手の中から選んで塗りつぶす方式が取り入れられている。

2005年より、ファン投票において得票数トップとなった選手は「最多得票プレーヤー」として表彰される。表彰は出場選手発表後、所属チームホームゲーム開催球場にて実施され、認定証、盾などが贈呈される。

基本的にファン投票で選出された選手は出場を辞退することが出来ない。辞退した場合は野球協約86条により球宴終了後後半戦開始から10試合、選手登録が出来なくなる。例外として「顕著な傷病等により出場できなかったものとコミッショナーが認めたときは、出場登録できるまでの期間を短縮することができる」とあり、故障による出場辞退の場合は出場停止期間の短縮もしくは免除を受けることができたが、明確な適用基準がなく悪用の恐れがあるとのことから2006年をもって廃止された。この制度の適用を受けたことがある選手は2003年の川崎憲次郎、2006年の福留孝介小久保裕紀の3人である。福留は後半戦開幕から活躍したため制度の悪用との批判があったが、実際はオールスター前に怪我で登録抹消され14試合を欠場しているため感情的批判の域を出ないという反論もあり賛否入り乱れた。このようなトラブルを避けるため、強行出場もしくは1打席のみの代打出場、場合によってはベンチに座っているだけという選手が出てきているのも現状である。

[編集] 歴代のファン投票の方式

1951、52年 18名連記 市販のはがき使用による郵送のみ

1953年 単記(1名のみ) はがき郵送のみ

1954、55年 単記・18名連記のどちらでも可(市販のはがきの郵送の他、新聞刷り込み投票用紙、はがき大の画用紙でも投票と持ち込みも可能)

1956年 はがきの場合は単記・18名連記どちらも可。新聞刷り込み投票用紙は18名連記のみ 何れも郵送のみ受付で小包は使用不可

1957 - 70年 はがき、新聞刷り込み投票用紙とも18名連記のみ 何れも郵送のみで小包使用不可

1971、72年 両リーグとも同じ守備位置・選手を1つ(1名)ずつ選ぶ準単記方式(即ち投手を投票したいのであればセ・パそれぞれの投手の中から1名ずつ選ぶ) はがき・専用投票用紙による郵送のみ

1973 - 75年 両リーグとも投票者が各自守備位置を選び2名ずつ投票する準単記方式 はがき・専用投票用紙による郵送のみ

1976 - 86年 19名連記守備位置背番号の数字と球団の英略を併記) はがき・専用投票用紙による郵送のみ

1987年 - 現在 単記・連記どちらも可。連記の場合は19名(その後投手を3つに分類したため現在は23人)までの範囲であれば自由に投票できるようになった はがき・専用投票用紙による郵送、球場などでの直接持ち込み、その後インターネットパソコン、携帯電話)からの投票も可能となる

[編集] 現在のファン投票の問題点

インターネット投票の導入により、安易に大量投票が可能になったため、故障で試合出場のなかった選手が選ばれたり、そのポジションを経験したことのない選手が票を集めるといった不可解な結果が多くみられるようになっている(例:2003年の川崎祭)。好意的解釈をするか否定的に受け止めるかは人それぞれだが、阪神に所属していたトレイ・ムーアに一塁手での投票が入っていたり、当時千葉ロッテに所属していたリック・ショート(現東北楽天)にほとんど守ったことのない遊撃手ショート)での票が多く入っていたこともある。

ノミネートされた選手への投票に比べて、その他の選手への投票は手間がかかるため、ノミネート外選手が選出されることは少ない。そのため、シーズン途中からレギュラーになった選手、ノミネートされていない選手は選ばれにくい。また、シーズン中にポジションの変更が行われた選手も変更前ポジションでの得票が圧倒的に多い。

先発と中継ぎを兼任している投手、代打・代走・守備要員のようなスーパーサブが選出されることはまずない。

先発・中継ぎ投手は1球団あたり5?6人ずついるが、枠はそれぞれ1つずつしかないため監督推薦でなければ出場は難しい。

もともとは「ファン投票で人気のある選手を、監督推薦で実力のある選手を選ぶ」という趣旨があったらしいが、そこまで拘られてはいない。が、ファン投票で特定球団ばかりから選出されたのを監督推薦で調整しているように、監督推薦がファン投票の下位的存在になっていることを問題視する向きもある。

応援する球団の選手や有名選手にのみ投票するファンが多いため、人気球団の選手やマスコミへの露出が多い選手ばかりが選出されがちである。1990年代では巨人、2000年代では阪神にその傾向が強い。チームスポーツの性質上ある程度は仕方ないという意見もある。

票が入りやすいという条件さえあれば、故障選手・2軍調整中選手まで選出されてしまう危険性がある(2007年の松本輝など)。

稀に、球団自らがチームへの関心を喚起する事を目的としてファンに投票を呼びかけた場合、結果的に当該球団所属選手への大量の得票に繋がってしまうケースがあり、特にその球団のシーズン成績が不振である場合には非難の対象となりやすい(1978年の日本ハム、1995年の横浜など。特に前者の場合は一部選出選手が出場辞退に追い込まれている)。

これらの問題の改善策として、ノミネート制度の廃止やポジション別での選出の見直しなどが議論されている。

球宴の守備位置の記号

先発投手 1-1

中継ぎ投手 1-2

抑え投手 1-3

捕手 2

1塁手 3

2塁手 4

3塁手 5

遊撃手 6

外野手 7,8,9

指名打者 DH

球宴の投票で使う球団略号

[編集] セ・リーグ

中日ドラゴンズ(D)

大阪→阪神タイガース(T)

国鉄→サンケイ・ヤクルト東京ヤクルトスワローズ(S)

読売ジャイアンツ(G)

広島→広島東洋カープ(C)

横浜ベイスターズ(YB)

[編集] パ・リーグ

北海道日本ハムファイターズ(F)

南海→福岡ダイエー福岡ソフトバンクホークス(H)

西鉄→太平洋クラブクラウンライター→西武→埼玉西武ライオンズ(L)

千葉ロッテマリーンズ(M)

オリックス・バファローズ(Bs)

東北楽天ゴールデンイーグルス(E)

[編集] 過去に使われた略号

大洋→横浜大洋ホエールズ(W)

毎日→毎日大映→東京→ロッテオリオンズ(O)

東急→急映→東急→東映→日拓ホームフライヤーズ日本ハムファイターズ(F)

近鉄→大阪近鉄バファローズ(Bu)

阪急→オリックス・ブレーブス(B)

オリックス・ブルーウェーブ(BW)

サンケイアトムズアトムズヤクルトアトムズ(A)

球宴の選手間投票

2008年より現役選手がファン投票とは別に投票を行い出場選手を選出する制度を導入した。概要は以下の通り。

投票は12球団の支配下登録選手全員によって行う。

投票対象選手各球団が選出したファン投票リストの30名

セ・リーグは9ポジション9名、パ・リーグはDHを含む10ポジション10名へ投票。外野手ポジションを分けず3名。

自球団の選手への投票はできない。

セ・パそれぞれのポジション得票数1位をオールスター出場選手とする。

ファン投票と選手間投票の1位が同一選手であった場合、2位選手の繰上げは行わず、その枠は監督推薦選手に組み入れる。

球宴の出場対象選手

原則として5月末までに支配下登録されている選手を対象とする。

2004年から、1軍の試合実績のない選手への投票を抑制すること、また組織票防止の観点から、打者は10試合以上、若しくは20打席以上出場、投手は5試合以上、若しくは10回以上の登板(出場)実績のない選手は選考の対象から外される事となった(川崎祭を参照)。

外国人選手はファン投票に関しては推薦の上限を設けない(試合出場に際しては同時出場の場合上限あり)。

投票期間中選手移籍に関しては、同一リーグ内の場合は前所属球団の分と併せて得票数に計算。異なるリーグへの移籍となる場合は、前所属球団の分はそのまま「移籍前」扱いとして残して、移籍先球団の所属するリーグでは改めて0の段階から得票をカウントしていく。

球宴の試合方式

2試合とも指名打者制。

9イニングで終了、延長戦は無し。引き分け再試合も無し。

投手は3イニングを超えて登板することはできない。ただし一死または二死後に登板した場合は、以後の完全な3イニングを投球することができる(したがって、記録上は最大3回2/3まで登板が可能である)。

試合の審判は、セ・パリーグから3人ずつ選ばれた審判員による。

明確に規定されているわけではないが、開催球場本拠地とするチームの投手が先発を務めることが慣例になっている(山本昌が自身の公式ページで言及していた)。例としては2003年第1戦(大阪ドーム)の先発投手は、全セが阪神(当時)の井川慶、全パが近鉄(当時)の岩隈久志だった(この年の主管球団大阪ドーム本拠地にする近鉄ではなく、阪神である)。

地方球場での試合では、その球場の主管球団の投手が先発を務めることが多い。例としては、2006年第2戦(サンマリンスタジアム宮崎)の先発が、全セは、キャンプ地とする巨人の内海哲也で、全パは、地元九州宮崎市キャンプ地でもある)福岡ソフトバンク斉藤和巳だった。

球宴のプラクティスユニフォーム

2008年大会より、練習中試合前イベント時に限りセ・パそれぞれのイメージカラーセリーグ・緑、パリーグ・水色)を基調としたプラクティスユニフォームミズノ株式会社提供)を着用。(なお、試合中はそれぞれの所属チームユニフォームプレーする。) ちなみにこのユニホームは、出場者の直筆サインを入れてインターネットオークションに出品。チャリティーによる売上金は、日本赤十字社を通してミャンマーサイクロンや中国の四川大地震での被災者への救援に充てられる。

球宴の過去の試合方式

球宴の各種表彰

最優秀選手賞(各試合につき1名ずつ):賞金200万円

優秀選手賞各試合につき4名ずつ):賞金100万円

SANYO賞→ガリバー賞(各試合で最もファンの共鳴を与えたファインプレーをした選手。SANYO賞のときは随時表彰(賞金10万円)だったが、ガリバー賞は2試合を通して1名にガリバー提供中古車が贈られる。2007年度の審査員長は萩本欽一・茨城ゴールデンゴールズ監督が務める)

ホームラン賞(各試合ホームランを打った選手に随時):賞金3万円(テレビの中継では、金額の詳細は略され「賞金が贈られます。」と紹介される)

サンヨーオールスター新人賞→ガリバーオールスター新人賞(全試合を通して、この年オールスター初出場を果たし、活躍した選手を各リーグから1名ずつ):賞金30万円

三洋電機が協賛していた時には各賞受賞者に副賞として三洋家電製品が贈呈された。また各試合勝利リーグ試合前アトラクション出場選手に対する参加賞、またオールスター選出選手全員にも出場記念品として三洋製品が贈られた。

最多得票プレーヤー(ファン投票において得票数トップとなった選手):認定証、盾など

ベストバッター賞 (最も優れた打撃技術を見せた選手):賞金100万円

ベストピッチャー賞 (最も卓越した投球を見せた選手):賞金100万円

ベストプレー賞 (守備・走塁など様々なプレーでこれぞプロという技を見せた選手 ):賞金100万円

球宴の過去の名試合・場面

1952年7月3日(第1戦・西宮球場オールスター史上最長の延長21回、試合時間4時間30分。 1962年 尾崎行雄が17歳でオールスター出場(1962年のオールスター項参照)。 1971年7月17日(第1戦・西宮球場) 全セの先発江夏豊(阪神)が規定の3イニングを投げ、9者連続奪三振を達成。全セはその後継投した4投手(渡辺秀武〈巨人〉、高橋一三〈同〉、水谷寿伸〈中日〉、小谷正勝〈大洋〉)も安打を許さず、継投によるノーヒットノーランを達成。この試合、江夏はMVPとなる。 1974年7月21日(第1戦・後楽園球場) 全パ1点ビハインドの9回裏、最強の代打男である全パの高井保弘阪急ブレーブス)が松岡弘ヤクルトスワローズ)から史上初代打逆転サヨナラ2ランホームランを放ちMVP。 1978年7月22日(第1戦・広島市民球場) 全セのギャレット(広島)が、高橋直樹(日本ハム)・藤田学(南海)・柳田豊(近鉄)からそれぞれホームランを放ち1試合3本塁打を達成。7月25日の第3戦(後楽園球場)では全セの掛布雅之(阪神)が佐伯和司(日本ハム)・佐藤義則(阪急)・山口高志(阪急)から3打席連続ホームランを放つ。 1981年7月26日(第2戦・横浜スタジアム) 全セ1点ビハインドの9回裏、バッター山本浩二(広島)、マウンドには江夏豊(日本ハム)が上がっており、かつてのチームメイト同士の対決が実現。結果は山本がセンターバックスクリーン値千金同点ホームラン。その後試合は延長に入り12回裏、阪神・掛布雅之が近鉄・柳田豊からライトスタンドサヨナラホームランを放つ。掛布自身、現役14年間でペナントレースにおいて1本もサヨナラ打を打っていないため、これが現役生活唯一のサヨナラホームランである。 1984年7月24日(第3戦・ナゴヤ球場江川卓(巨人)が8者連続奪三振を達成。しかし9者連続奪三振がかかった最後の打者・大石大二郎(近鉄)は二ゴロで歴代タイ記録は逃した。このとき投げたのは江川の持ち味である直球ではなくカーブであった[1]。 1986年7月20日(第2戦・大阪球場監督推薦で阪神の川藤幸三が現役19年目で初のオールスター代打で出場。近鉄・小野和義から安打を放つも、一塁コーチャー王貞治が腕をグルグル廻して二塁への走塁を指示。結果二塁タッチアウトとなり、記録はシングルヒット。コーチと選手が別球団のため、走力を考慮しないでコーチの指示が出されたオールスターならではのシーンである。川藤はこの年を持って引退。 1987年7月28日(第3戦・阪神甲子園球場) 共にPL学園出身の同級生桑田真澄(巨人)対清原和博(当時西武)プロ入り初対決。結果は、清原がレフトへのホームランを放った。 1988年7月26日(第3戦・東京ドーム) 同点の延長12回裏全セの攻撃。1死満塁絶好サヨナラチャンス。野手を全て使い果たした全セは横浜大洋中山裕章の打順に巨人の投手水野雄仁を代打に。水野はロッテ牛島和彦からセンター犠牲フライを放ち全セがサヨナラ勝ち。史上初投手による犠牲フライサヨナラ勝ちとなった。なお、この試合では広島の投手大野豊も代走として出場している。 1989年7月25日(第1戦・明治神宮野球場パリーグを代表する大ベテラン村田兆治ロッテ)が大活躍。全パの先発として3回を2安打3三振無失点で自身初MVPを受賞した。 1990年 驚異の新人・野茂英雄(近鉄)の速球が並み居るパ・リーグ打者から三振を奪い、独特のトルネード投法共々大きな話題となり、ファン投票1位で堂々とオールスターに出場。第1戦、7対0と全パが大量リードした9回に野茂が顔見世登板原辰徳(巨人)、落合博満(中日)と対戦した。続く第2戦が本登板となり全パの先発として登場。対する全セも中日のルーキー与田剛をたて、球宴初の新人先発対決となった。新人対決も見ものだったが、それ以上に活躍したのは全パ史上最年少で4番に座った清原和博で3打数3安打(うち本塁打2本)4打点の大暴れ、MVPを獲得した。 1991年7月24日(第2戦・広島市民球場) 全パの秋山幸二(西武)が自打球を左目に当て、そのまま負傷退場。この時点で全パは野手を全て使い果たしていたため投手の野茂英雄(近鉄)を代打に送った(この際偶然にも15年後に合併することになるオリックスヘルメットを被った)。結果は見逃し三振。しかしツーストライクからの代打なので記録は秋山に付いた。秋山が守備についていたレフトにはこれまた投手の工藤公康(西武)を入れたが、その後駒田徳広(巨人)が工藤のいるレフトフライを打ち上げ、へっぴり腰で構える工藤のそばへセンター愛甲猛ロッテ)がカバーに行きゆっくりぶつかり、愛甲が捕球した。そして全セも、試合が延長戦に入ったため第1戦勝利投手槙原寛己(巨人)を緊急リリーフマウンドへ。その槙原は、ホームユニフォームクリーニングが間に合わなかったため、練習用ユニフォームを着用してマウンドへ上がった。これを受け、この年を最後にオールスターゲームでの延長戦は廃止。また全控え野手が出場した後に負傷等で野手が交代を余儀なくされた場合は一度退いた野手の再出場を認めるという特例が定められた(2007年現在、適用された例はない)。またこの試合で門田博光(南海)がオールスターホームランの最年長記録(43歳5ヶ月)を作った。 1992年7月19日(第2戦・千葉マリンスタジアム) 全セの古田敦也ヤクルト)がオールスター史上初サイクルヒットを達成。1991年に続き、2年連続のMVPを獲得。 1993年7月20日(第1戦・東京ドーム) 第1戦の試合前元広島守護神「炎のストッパー津田恒実が死去した。大会に出場した広島の選手は津田の死を悼み肩に喪章をつけて試合にのぞんだ。 1996年7月20日(第1戦・福岡ドーム) ファン投票で選出の山本和範(近鉄)が、前年まで在籍していた