神宮球場

明治神宮野球場(めいじじんぐうやきゅうじょう)は、日本の東京都新宿区・明治神宮外苑の一角にある野球場神宮球場(じんぐうきゅうじょう)という通称表記も多用される。宗教法人明治神宮が所有している。

本項では、神宮球場に隣接する明治神宮第二球場(めいじじんぐうだいにきゅうじょう)についても取り上げる。

神宮球場の概要

東京六大学野球連盟の本拠地として1926年に開場以来、アマチュア野球においては大学野球の主要球場として長年使用され、六大学野球や東都大学野球1部リーグ及び入れ替え戦を中心に今日まで使用されている。他にも高校野球の東東京大会及西東京大会や全日本大学野球選手権大会、明治神宮野球大会、日米大学野球選手権の他、社会人野球(JABA東京スポニチ大会。過去には黒獅子旗都市対抗大会も)など多くの大会が開催されており、また日本プロ野球の東京ヤクルトスワローズ専用球場として使用している。日本国内では阪神甲子園球場とならんで「野球の聖地」とうたわれる野球場である。

2007年11月24日から大規模な改修工事を実施し、2008年3月6日に竣工式が行われた。この改修では両翼を91mから101mにまで拡張し、人工芝を従来の透水型からモノフィラメント・ロングパイル型に張り替え、さらに外野フェンス高を3.5mから4.5m(いずれもネット部分含む)に嵩上げし、バックネットも鋼製から繊維ネットに張り替えられた。また、スコアボードも従来の放電管方式から、屋外野球場では最大の表示面積となる縦12m、横27m全面フルカラーLEDとなった(総工費約15億円。詳細は球場概要にて後述)。

神宮球場の年表

1925年 12月に敷地造成工事に着手。

1926年 1月に起工式、10月1日に竣功。当時の金額で総工費は53万円、うち明治神宮奉賛会が48万円を出費し、東京六大学野球連盟が5万円を本工事に寄付。この事が後述の学生野球の優先使用権につながる。

1927年 米ニグロリーグ選抜との日米親善試合が行われる。ビズ・マッキー球場初本塁打を放った。

1931年 内・外野スタンドの増築工事に着手し完成。バックネット付近を除き現在の形となる。

1934年 日米親善大会として行われたアメリカリーグ選抜チームと全日本チーム(後の読売ジャイアンツ)の対戦でプロが初めて神宮球場を使用。

戦後、アメリカ軍に接収され「ステイト・サイド・パーク」と改称されたが、その時期にもアメリカ軍の計らいにより東京六大学野球を中心に数試合開催された。また接収中は内野に芝が敷かれ、照明設備も設置されたが、1952年に接収解除されたのに伴い撤去される。

1950年 日本シリーズ、毎日?松竹の第1戦の会場となる。

1958年 スコアボード改修

1961年 バックネットスタンドが1階建てから2階建てに改築される。

1962年 駒沢球場の閉鎖に伴い東映フライヤーズ同球場にプロ球団として初めてフランチャイズを置く。同年6月には照明設備が完成し、初のナイターが開催される。また、この年ラッキーゾーンが設置される。当初はプロ野球開催時のみの設置だったがのちに通年となる。

1963年 国鉄スワローズが隣接して建設中だった第2球場をフランチャイズにすることを計画。しかしアマチュア専用にしたいという管理者の意向に加え、プロ側が要求する球場設備を満たすための拡張用地の確保が既に無理であるなどで、結局1964年に神宮球場を使用することが認められた。東映は後楽園球場に移転するが、身売りした後も後身の日拓や日本ハムが1980年まで数試合開催した。

1967年 グラウンドフェアゾーン両翼100m中堅118mから両翼91m中堅120mに狭められファウルゾーンが広がる。これによりラッキーゾーン廃止

1969年 フェンス広告が設置された。当初はプロ野球使用時のみの設置だったが秋から大学野球開催時にも設置されることとなる。コンクリートフェンス危険防止の金網の間に差し込む仕組みだった。

1970年 フェンスの広告がこの年完成したラバーフェンスに設置される(1981年に一度廃止。その後2000年代初期からベンチ付近数枚貼り付け。2006年からは外野部分に貼り付け)。

1973年?1977年 仙台を事実上のフランチャイズとしていたロッテ主催公式戦も開かれた。

1975年 照明塔改良1回目。球場の大改修が始まる。

1976年 神宮球場竣工50周年記念試合として東京六大学選抜対東都大学選抜の対抗試合を実施。

1978年 外野席改修工事完成。芝生席プラスチック製の座席に変更。10月4日、ヤクルトスワローズセントラル・リーグ初優勝。ただし球場使用優先権都合上(既に大学野球の日程が決定していたため)ヤクルト本拠地ゲーム日本シリーズ後楽園球場で行われた(下記参照)。

1980年 電光スコアボードファウルグラウンド人工芝が完成。後楽園横浜スタジアム川崎球場ナゴヤ球場阪神甲子園球場広島市民球場に続いて看板広告を設置した(※ただしスコアボードにのみ設置されたものである)。アーケード部分に塗装が施される。

8月1日、明治神宮鎮座60年を記念し、第1回神宮外苑花火大会を開催(以後、毎年開催されている)。

1982年 内・外野の人工芝敷設(本邦初の透水性人工芝)。フェンスもこれまでの濃い緑色から青色に変更(同時に広告をバックネット裏を除いて一掃)し、球場の改修工事が終了。こけらおとし興行として東京六大学と東都大学の前季優勝校対決を実施。

1983年 マウンド及びブルペンアンツーカーに変更。

1986年 2回目の照明塔改良

8月、井上陽水と安全地帯のジョイントコンサートが行われた。また、同月に大沢誉志幸、中村あゆみのコンサートも行われた。

1988年 野球規則の一部変更に対応しマウンドの高さを変更。

1993年 人工芝全面張り替え。

1995年 ラバーフェンス改良金網設置)。カラービジョンを設置。

1996年 神宮球場竣工70周年記念試合として東京六大学選抜対東都大学選抜の対抗試合を実施。

2000年 8月12日?13日、THE ALFEEコンサート開催

2001年 内野フェンス改装に伴い、大学野球用の応援台設置用金具フェンス支柱と一体化(応援台の所有者は東京六大学応援団連盟)。

2002年 看板広告一部変更。その年、聖教新聞社の広告をプロ野球の主要11球場で相次ぎ看板広告出していたが、聖教新聞社の本社が近くにあるにも関わらず、全12球場(現13球場)中、神宮球場だけ聖教新聞の広告は載っていない球場となる。その理由は宗教法人明治神宮と創価学会との対立で区別するためではないかと言われている。

2003年 内野部分の人工芝張り替え。

2005年 第1回セ・パ交流戦ヤクルトスワローズ・福岡ソフトバンクホークス戦)開幕試合の会場に(ただし、雨天のため1日遅れの開幕だった)。

2006年 監督が古田敦也に代わったため、4年ぶりに広告を大幅変更。その時にも聖教新聞の広告を出さなかった。

同年プロ野球オールスター戦が開催される。

11月4日、明治神宮外苑の創建80年を記念して、東京六大学選抜?東京ヤクルトスワローズプロ・アマ交流試合が開催された。

2008年 前年11月より改修工事を実施。スコアボード全面フルカラー化やフィールドの拡張、モノフィラメント・ロングパイル人工芝への張替えなどを行った。

神宮球場のプロ野球

神宮球場の東映の本拠地

1961年、東映フライヤーズの本拠だった駒澤野球場東京オリンピック(1964年)の開催に伴い閉鎖・撤去されることとなり、東映は本拠地を失うことになった。そのため、学生野球の試合が開催される場合それを優先すること、スタンドの増築やナイター設備及ラッキーゾーンを設置することなどを条件に、1962年から東映の本拠地として神宮球場を使用することが認められた。これにより東映は、神宮球場フランチャイズとする最初のプロ野球チームとなった。

その年、パ・リーグ優勝を果たした東映は日本シリーズ・阪神タイガース戦の主催3試合中第3、4戦の2試合を開催。第5戦は学生野球優先の取り決めもあり後楽園球場で開催された。また1963年には東京オリンピック協賛チャリティーというサブタイトルオールスターゲーム初開催した。

1964年国鉄スワローズ本拠地化に伴って、本拠地後楽園に変更したが、それ以後も1980年まで準本拠地として数試合開催している(1964年は25試合だったが、それ以後は試合数を段階的に減らしていった)。

神宮球場の国鉄?サンケイ?ヤクルトの本拠地

年表でも触れたように、1963年のシーズン終了後国鉄スワローズメイン球場に隣接する第2球場をフランチャイズにしたい意向を明らかにし、産経新聞・フジテレビジョンが主体となって具体的な改装計画まで明らかにしたものの、日本学生野球協会が反対の意向を表明、更に学生野球が将来神宮球場から追い出され、第2球場に追いやられるのではというデマまで流布し、国会の文教委員会でも問題となり、更には右翼団体までもが介入し、今村均(元大日本帝国陸軍大将)までもが神宮プロ野球進出反対運動に担ぎ出されたという。結局、第2球場はアマチュア専用にしたいという管理者の意向もあり、第2球場の本拠地使用は却下され、改修工事は第1期工事で中断となった。代わりに、国鉄の本拠地として神宮球場の通年使用が認められた。これを受けて、1964年、東映が後楽園球場に移転し、代わりに国鉄が神宮球場本拠地として使用するようになり、今日に至っている。これは、国鉄球団を実質的に経営していたフジテレビジョンに対して後楽園球場テレビ中継権が与えられていなかったことと、それに付随してフジテレビ国鉄戦テレビ中継を強化したかったこと等も絡んでいる。(出典: ヤクルトスワローズ球団史 徳永喜男元国鉄?ヤクルト球団代表

しかし、東京六大学リーグの主要なゲームや、全日本大学選手権などを実施する場合はそちらを優先する。そのため神宮でのデーゲームは例年、学生野球の行われない時期(4月上旬・6月下旬・9月)に限定される。2004年まで毎年5月下旬に行われていた千葉マリンスタジアムでの公式戦は、神宮で行われる早慶戦を優先したものである。

1978年の日本シリーズヤクルト?阪急戦)のヤクルト主催ゲームも、東京六大学野球との日程調整が付かなかったため、後楽園球場で振り替え開催された。その後東京六大学、東都大学両野球連盟との調整により、1992年・1993年の日本シリーズ(いずれもヤクルト?西武戦)では、ヤクルトホームゲームが初めて神宮球場で開催された(デーゲーム。これに伴い大学野球はナイトゲーム開催)。以降、日本シリーズヤクルト主管試合は全て神宮での開催となっている。1992年には、日本シリーズ表彰式終了直後に六大学野球の試合が行われたため、普段よりはるかに多い観客が六大学の試合を観戦したというエピソードが残っている。1995年以降は日本シリーズナイター開催となったため、シーズン中同様に大学野球はデーゲームで開催されている。

このほかにも1970年代初め頃まで大学野球との日程の絡みで、消化試合を神宮で行えず川崎球場横浜平和球場を借りて行った事例もある。

試合前の練習は基本的に明治神宮外苑にある軟式野球場屋内練習場を使って行われる。これは日中に学生野球の試合が行われることを考慮してのこと。

神宮球場のロッテの公式戦

1972年の東京スタジアム閉鎖に伴い、本拠地を失ったロッテは、1973年から1977年の公式戦の一部を神宮球場で開催した。1973年のパ・リーグ(前期)でロッテは南海と熾烈な優勝争いを展開。優勝がかかった6月の対日拓ホーム3連戦では1試合あたり6万人ものファンが詰めかけ、ロッテ優勝の瞬間を見届けようとしたが、ロッテは惜しくも前期優勝を逃している。

神宮球場の優先使用権

球場外観 2007年全国高校野球選手権東京大会時に撮影 球場外観 スコアボード裏側撮影

神宮球場が他の球場と決定的に違うのは、東京六大学野球連盟及び東都大学野球連盟に優先使用権が認められていることである。これは神宮球場が東京六大学野球の設立にあわせて専用球場として建設され、建設に東京六大学連盟の尽力があった、という事実からである。また、所有者の明治神宮アマチュア野球を優先してきたという歴史的な経緯もある。しばしば他の一般的なプロ野球のフランチャイズ球場になっている球場と同じように「神宮球場スワローズ本拠地で大学野球は間借りしている」と誤解されることがあるが、実態はスワローズが間借りしている。収益力の高いプロの日程を最優先させるべきだとの意見は以前から一部にはあり、時代の経過とともに大学野球全体の人気の低下がその声を後押しする傾向が強まり、近年は興行収入の問題から大学連盟側がヤクルト球団側に配慮するようになってきている面もある。但し、神宮球場側の基本的な認識は、前述の歴史的な経緯から、現在でも球場使用の割り当ての最優先権を東京六大学野球連盟に与えている。また明治神宮ヤクルト球団は、神宮球場使用契約を1年ごとに更新している。

プロ野球(ナイター開催)と大学野球(日中開催)の併用日には、大学野球の試合開始時間を通常の「1試合開催時:13時、2試合開催時:12時」から更に1時間早めて「1試合開催時:12時、2試合開催時:11時」にし、プロ野球は大学野球開催中は18時20分開始試合展開によっては更に後ずらしになることがある。非併用時は18時開始)にしたり、大学野球の開催期間ヤクルトデーゲームを組む場合はヤクルト球団他球場を使用するなどの調整を行っている。1989年までは一律18時30分開始だったが、延長戦が15回までに変更されたことをきっかけに1990年から変更になった。

上記のように、学生野球のスケジュールが優先されてきた歴史を持つ球場であるが、1985年10月16日に阪神タイガースが21年ぶりのリーグ優勝を決めたヤクルト対阪神戦の試合当日は、日中に予定されていた東都大学リーグの試合が延期される事態となった。これは前日から阪神ファンが球場前多数詰め掛けたため、学生野球の試合を開催した場合の混乱を避けるべくなされた措置で、当球場始まって以来の異例のものであった。

東京ヤクルトではオープン戦期間中と、公式戦でも主として学生野球の試合が組まれない4月初旬、ないしは9月初旬にデーゲームを組むことがある。1990年以降、神宮でのデーゲームは1991年と2001年の4月に各2試合開催したのみだったが、近年は大学野球側との折衝交渉を積極的に行うようになり、開催数若干増加している。2005年は6月4日、5日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦、6月18日の西武ライオンズ戦(交流戦予備日)と7月2日、3日の中日ドラゴンズ戦をデーゲームで開催した。更に2006年、古田敦也ヤクルトの監督に就任したのに伴って、球団が地域密着型チーム運営策「F-PROJECT」を打ち出し、その一環としてデーゲーム開催数の増加について大学野球側と折衝を行った結果、前年に引き続き6月3日、4日に加えて、従来の東都大学野球連盟のリーグ戦使用分であった5月3日、4日もデーゲーム開催(東都大学リーグ戦はナイター開催)に変更した。

球場使用優先権について勘違いしやすい点 学生野球の使用割り当てを優先的にする(中でも特に東京六大学野球連盟を最優先にする)のは、基本的に、あくまで春先に行われるその年度の球場使用割り当てを決定する場合においてであり、一年を通して東京六大学野球リーグ戦や、学生野球が好き勝手に使いたい放題になってるわけではない。春先に事前に行う使用割り当て時に決定した内容が年間を通して遵守される。(後日に順延等の都合で調整が必要な場合は、基本的に未使用で空いている日時をやりくりして調整を行うことになる。) この手の誤解を招く元になっている代表例として、東京六大学野球(以下、六大学)と東都大学野球(以下、東都)の関係を紹介する。 東都が火・水の日程で組まれているにも拘らず、六大学が順延などで月曜日終了時点でもその週のスケジュール(前週の未消化スケジュールがある場合はそれも含む)が決着しない場合は、翌日以降も六大学の開催日に変更され、東都の開催日はそれに従い順延され、最悪その週の木・金のみに変更される(木・金はリーグ戦期間中の本来の東都の優先日)場合がある。この事で「神宮球場はいつでも六大学が自由に使える。」という誤解が一部に生じている。これらの状況は、本来の六大学の使用割り当て分(土曜日?水曜日)を「六大学のリーグ戦期間中で六大学が使わない日は東都側が使用しても構わない」という六大学と東都間の従来からの協定に従って使われているもの。確かに事前の球場使用割り当て時では六大学のリーグ戦の日程及び六大学連盟からのその他の使用申し出に従った割り当てを優先的に行う(従来から行われている使用申請がほぼ認められる)が、例えば早慶戦終了後(つまり六大学リーグ戦終了後)の翌週が、他からの使用希望により事前に割り当てが決定している場合は、仮に六大学リーグ戦やリーグ戦終了翌日から同じ神宮球場で行われる六大学新人戦が予定内に決着しない場合でも、六大学が優先的に割り込めるわけではない。尚、これは東都側についても同様で、「リーグ戦期間中外でも東都が木・金曜日を自由に使える」という認識も同様に間違いになる。従って、「六大学新人戦は東都の優先日である木・金を使わせて貰っている」わけではない。事前の割り当てで優先的に割り付けてもらったスケジュールに従って使用されているだけである。一連の記述で解説されている優先日云々というのは、あくまで事前に決定する仕様割り当て時と個別間の事前協定に従った上での事で、加えて双方(六大学・東都)のリーグ戦期間中に限った上での事になる。(例えば、六大学リーグ戦最終週終了後翌週の週末、東都リーグ戦最終週終了後翌週の木・金は、事前に割り付けが決定している部分では無い為、優先権は及ばない。なお、シーズンにより使用権確保の旨が事前に成立している場合は別となる。) なお、球場の年間使用スケジュールの概況は例年「神宮球場ガイドブック」の春季号に掲載される。

神宮球場の球場概要

神宮球場空撮写真国土交通省提供神宮球場 電光式スコアボード(2007年までの仕様) プロ野球開催時の表示例(2007年までの仕様)。選手名表示部には出場各選手の打率・本塁打数を表示。審判名イニング間に不定期で表示される(2007年10月7日・東京ヤクルト対広島最終戦にて)

神宮球場の明治神宮野球場

所在地:東京都新宿区霞ヶ丘町3-1

1926年10月完成

収容人数:35,650人(消防法上の定員)

グラウンド面積:12,659m?

両翼:101 m、中堅:120 m

完成当初は両翼100 m、中堅118 m。1962年、本拠地を神宮に移した東映フライヤーズの要請により、プロ野球開催時のみラッキーゾーンを設置。1965年には東京六大学もラッキーゾーンを採用した。1967年の改修で両翼91 m、中堅120 mとなったが、2008年の改修で再び拡張され現在のサイズとなった(同年の改修時に両翼付近の観客席を撤去したため、収容人数は36,011人から上記に減少)。

内外野:全面透水性ロングパイル人工芝(住友ゴム工業製 ハイブリッドターフET-62、パイル62mm

完成当初は内野がクレー舗装、外野が天然芝。1980年、ファウルグラウンドにのみ人工芝を敷設してテストし、1982年から全面透水性人工芝化。2008年の改修でロングパイル人工芝が導入された(この際、芝下部の舗装と暗渠も全面改修されている)。なお「ハイブリッドターフ」は、野球場としては国内初導入例である。

従来使われていた人工芝は隣接の第2球場(次項目詳述)に使われた。なお過去にも当球場で使われた人工芝は戸田球場や東京大学のグラウンドにも再利用されたりしている。

スコアボード全面フルカラーLED東芝ライテック スーパーカラービジョン、H 12 × W 27.2m)屋外野球場としては国内最大規模。

完成当初パネル式。但し得点表示部分は1950年代に巻き取り式となる。

1980年に電光化高輝度放電管)され、1995年にフリーボードフルカラー化(スーパーカラービジョン)。2008年の改修で全面LED(映像表示時は画面サイズ16:9ワイドサイズに対応)となった。神宮のスコアボードは電光化以降、独特の表示方式を用いており、2008年のフルカラー化以降も、この方式がコンピュータグラフィックスによってほぼ踏襲されている。特色として以下の点があげられる。

選手名表示部には、出場中全選手の打率・本塁打数を表示することができる。2007年までは両チームとも常時表示していたが、全面LED化後は、試合中には各選手の打率・本塁打の表示に代わって広告が表示され、現在打席に立つ打者の成績のみをスコアボード上部に表示している。

得点表示部には、各イニングの得点と合わせて安打数も表示される(ただし写真にあるように高校野球等、一部ヒット数の表示がされない場合がある)。その関係で通常は得点表示部の上に出すイニング表示が上下のスコア表示部の間にある。

ボールカウントは、放電管時代は数字で表示していた。全面LED化後はCGで信号灯を模して表示している。

審判名を表示する部分がない。

選手の登録名に従って、旧字体はそのまま表示される。

チーム全体四死球の数が表示される(大型ビジョンの両サイドエラーの数字も一緒に出る)。

審判名および球速は、スコア表示部分の下にある大型ビジョンに表示される。

なお審判名は、通常はダイヤモンドを模した図で表示されるが、大学選手権や神宮大会、日米大学野球のように、複数の連盟から審判が派遣される大会では、審判名の他に所属連盟が、横書き縦スクロールで表示される。

この他、バックネット裏にサブスコアボード全面フルカラーLED)を1基設置している。

なお、カラービジョン移行前は延長10回時には「計」の部分(スコアが2桁となった場合の十の位の部分)を代用していたが、カラービジョン設置以後は10回まで掲載できるようになった。2008年の改修に当たって表示は9回までに戻り、10回以後は一度表示をクリアした上で1回のところから表示する。この場合は最大18回まで表示できるようにしているが、プロ野球では12回、高校野球は15回まで表示し、後は空欄となっている。

またカラービジョン移行前は、選手名の表示部分が9名分しかなかったため、指名打者制を使用する試合では、投手名チーム名表示の箇所、後に大型ビジョンの両端を使って表示されていた。

スコアボード中央下部には、東芝の広告スペースが設けられている(初期は同社のオーディオ機器のブランド「Aurex」であった)。電光化と同時に設置されたもので、当初はナイター試合中には常時点灯していた。しかし「打者や捕手から、投手の投球が見えづらい」と苦情が寄せられたことから、試合進行スムーズにするため、試合中は消灯し、試合前後イニング間に限って点灯されるようになった。

神宮球場の明治神宮第二球場

1961年4月19日竣工

両翼:91 m、中堅:116 m

内外野:全面透水性人工芝

スコアボードパネル

収容人数:5,600人

1926年、明治神宮相撲場として開設された。1947年から1948年にかけて大相撲本場所興行が行われた。その後野球場に改築されることになり、1961年竣工。増築を経て1964年に現在の形となった。以前フィールド全面クレー舗装だったが、1993年に人工芝が敷設された。

メインスタンドバックネット裏)は二層式スタンドで、通常は1階席の部分のみ開放。多客時には2階も開放される。一塁側にはスタンドは無く、ダッグアウト付近から右翼ポール際にかけてゴルフ練習用の打席が121打席設置されており、第二球場右翼場外に隣接する明治神宮外苑ゴルフ練習場外苑ゴルフクラブ)の西練習場を兼ねている。ゴルフ練習場のうち東練習場は通年営業しているが、第二球場を兼ねる西練習場は、大学野球シーズン中は夜間のみの営業となる。用地が狭隘で外野後方には道路があるため外野スタンドはなく、三塁側スタンドは現在開放していない。また前述の通り、アマチュア野球公式戦が行われる時間帯以外はゴルフ練習場として供用しているため、一般利用は不可能となっている。

なお、毎年8月の神宮外苑花火大会開催時には、花火の打ち上げを第二球場から行っている。

神宮球場のその他

周辺住民に配慮し太鼓を叩いての応援は原則的には禁止。最初に規制が実施されたのは昭和天皇崩御に際しての自粛規制であったが、これを機会に以後も応援での太鼓使用についての規制が何らかの形で継続して現在に至っている。周辺住民からの再三再四にわたる抗議も影響していたとされる。

プロ野球では原則的には太鼓形態打楽器は一切使用が禁止。このため、応援の際はメガホンなどのリズムが、ポール際やセンター側でずれたり、テンポが速くなることがしばしばある。また東京六大学野球や東都大学野球を始めとする高校野球や大学野球の全国大会、その他アマチュア野球などでもいわゆる大太鼓は、試合前後と7回の校歌斉唱(学校により応援形態は様々なので、必ずしも校歌である必要はない)時のみの使用に原則的に制限される。但し18時以前に限り吹奏団体所属の太鼓なら使用が許可されている。さらに、18時以降は太鼓を含む全ての打楽器類使用禁止になり、22時以降は全ての楽器類使用禁止になる。これは、都条例におけるスタジアム等での楽器応援規制とは別なものである。このため、全日本大学野球選手権では、校歌・応援歌応援曲アカペラで行われることがある。

改修前の2007年までの明治神宮野球場は、両翼91 mと当時のプロ野球のフランチャイズとしてはもっとも距離が短かった(次に短いのは広島市民球場の91.4 m)ので、一般的には「ホームランの出易い球場」と思われていた。もっとも、両翼が短い一方で中堅から右・左中間にかけてはカーブが緩やかなため、ポール際の打球は詰まった当たりや低いライナーなどがスタンドインしてしまう(もしくはフェンス際までいってしまう)反面、ポール際以外に飛んだ当たりではそう簡単にホームランが出るわけではなかった。両翼拡幅後も、右左中間?センターホーム間の距離は変化していない。

神宮球場ヤクルト本拠地ではあるが昔からビジターチームのファンが多い。レフトスタンドは大抵の試合でビジターチームのファンで埋まり、読売ジャイアンツ・阪神タイガース戦の際にはライトスタンドを除いて巨人・阪神ファンが大半を占めることも珍しくない。加えて、近年はヤクルトファンが減少したため、この差はより顕著になっていった。古田敦也が監督就任時に「東京ヤクルトス