稲葉篤紀

稲葉 篤紀(いなば あつのり、1972年8月3日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手外野手)。

稲葉篤紀の来歴・人物

中京高校(現・中京大附属中京高校)では3年夏の愛知県大会決勝イチローのいた愛工大名電高に敗れた。卒業後は法政大学に進み3年次の春から一塁手としてレギュラーに定着。同年の第22回日米大学野球の代表に選ばれた。4年次には春季リーグベストナインに選ばれ、第23回日米大学野球の代表にも選ばれている。

1994年のドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。外野手としての練習を始める。一年目の1995年から一軍で出場し、初打席初本塁打を放ったほか、ブロスノーヒットノーラン達成時には好捕でこれを助けるなど、チームの優勝に貢献した。1996年からは中軸を打ち、守備力でもヤクルトの3度の日本シリーズ優勝に貢献した。1997年にはチーム2位の21本塁打を放つなど長打力もあり、特に2001年は25本塁打、自己最多の90打点という成績を残して初のベストナインに選ばれた。

2004年オフにフリーエージェント(FA)宣言。メジャーリーグへの移籍を希望したが断念し、翌年2月に日本ハムへ移籍した。FAによってセントラル・リーグ球団からパシフィック・リーグ球団に移籍したのは、1995年の仲田幸司(阪神→千葉ロッテ)以来9年ぶり。

2006年には自己2番目の打率.307、打点75と自己最多の26本塁打を記録し、日本ハムの日本一に貢献。アジアシリーズでは4番を打った。また森本稀哲、新庄剛志とともにゴールデングラブ賞のパ・リーグ外野手部門を独占(1978年の阪急ブレーブス以来28年振り3回目)。

2007年は3番に定着し、オールスターゲームにも6年振りに出場。またプロ入り13年目で初となる個人タイトル・首位打者(打率.334)、リーグ最多安打(176安打)を獲得したほか、チームトップの打点87を記録した。しかし、日本シリーズでは徹底マークされ二塁打1本に終わるなど不振だった。

攻守交代時に全力疾走することが有名で、ヤクルト時代にはセ・リーグから表彰を受けた。

稲葉篤紀の年度別成績

稲葉篤紀の打撃成績

※太字はリーグ最高。

稲葉篤紀の守備成績

※太字はリーグ最高 ※2007年シーズン終了時点

稲葉篤紀のタイトル・表彰・記録

稲葉篤紀のタイトル

首位打者:1回(2007年)

最多安打:1回(2007年)

ベストナイン:3回(セ・リーグ外野手部門:2001年、パ・リーグ外野手部門:2006年、2007年)

ゴールデングラブ賞:2回(パ・リーグ外野手部門:2006年?2007年)

日本シリーズMVP:1回(2006年)

稲葉篤紀の表彰

オールスターゲーム出場:3回(1996年、2001年、2007年)

スピードアップ賞:2回(2000年、2001年) ※2001年はスワロー・エクスプレス賞(セ・リーグ会長特別表彰)として

月間MVP:2回(パ・リーグ野手部門:2006年7月度、2007年9月度)

稲葉篤紀の記録

最多補殺:3回(2001年、2005年、2006年)

サイクルヒット:1回(2003年7月1日、対横浜15回戦。史上56人目)※

※第1打席から順に三塁打(1回)、本塁打(4回)、単打(5回)、二塁打(5回)で達成。5回まででの達成は史上最速で、降雨コールドゲームでの達成も史上初

日本シリーズ(5試合制)最多打点:1回(2006年、7打点はシリーズタイ記録

稲葉篤紀の初記録

初出場・初先発出場:1995年6月21日、対広島東洋13回戦(広島市民球場) ? 8番・一塁手で先発出場

初安打初本塁打初打点同上 ? 2回表、投手:紀藤真琴

初盗塁:1995年8月3日、対阪神21回戦(阪神甲子園球場) ? 6回表、投手:藪恵壹、捕手:木戸克彦(二盗)

稲葉篤紀の稲葉ジャンプ

日本ハムでは得点圏ランナーを置いた状態で稲葉の打席を迎えると、一斉にファンが飛び跳ねる「稲葉ジャンプ」と呼ばれる応援が定着し、札幌ドームの試合ではその震動でカメラの映像が大きく揺れる。 この揺れは震度3?4に相当すると言われている。

この応援スタイルが使われる前奏のファンファーレは2006年のシーズン前に私設応援団が作ったものであり、当初はただメガホンを叩くものだけにすぎなかった。 しかし、春先のフルキャストスタジアム宮城(現クリネックススタジアム宮城)での試合で一部のファンが寒さに堪えるためにジャンプしたのがきっかけとなり、札幌ドームにおいても外野スタンドの一角からジャンプが発生、それがどんどん規模を増していつの間にか球場全体が飛び跳ねるようになった。

しかし内野席では立ち応援が禁止行為にも関らず、ジャンプを終えても立ち続けるファンがいるのが現状である。

本人は「イナバイブ」と名づけたが、マスコミやファンの間では「稲葉ジャンプ」という呼称が定着している。

札幌ドーム野球・サッカー等多目的競技施設としての性格を持ち、サッカー用の天然芝フィールドドームに隣接する敷地で育成・維持している関係上センター・バックスクリーンにあたる位置のスタンド・構造物を移動させてドーム内に天然芝フィールドを出し入れするため、カメラの設置されているセンター・バックスクリーンスタンドは可動式のスタンド柔構造の比較的揺れやすい仕掛けになっている。

稲葉篤紀のエピソード

上述のように、法大で一塁手に定着したのは3年春(1993年)からだが、試合そのものには1年春から出ており、スタメンで出た時は中軸を打つこともあった。しかし、稲葉が一塁手に定着できなかった理由は、2年上に当時4番を打つ一塁手がいた(その選手は、高校時代は遊撃手で大学では三塁手としてデビューしたが、稲葉が入部した頃は一塁手に専念していた)ことや、故障があったことが挙げられる。特に2年春は左翼手としてのスタメン起用も検討されていた(当時の週刊ベースボール増刊 東京六大学野球特集号 より)が、故障のため不出場に終わった。

法大はこの1992年春のシーズンでは、最終カードである明治大学との直接対決で勝ち点を挙げた方が優勝という展開に持ち込んでおり、それだけに法大のファンは稲葉の欠場を残念がった(結局、明大が2勝1敗で法大を下して完全優勝を果たした)。しかし、この時の優勝のチャンスを逃した稲葉は、4年秋に4番打者として法大を優勝に導いた。

野村克也(現・東北楽天ゴールデンイーグルス監督)がヤクルトの監督だった頃、息子の野村克則(当時、明大3年)目当てで東京六大学野球を観戦した際に、法大の稲葉のプレーが目に止まり「是非稲葉が欲しい」と獲得に至った。

野村曰く「後で聞いたらどこからも誘いはなかった」(スポーツナビ、2006年6月30日付)。「枠が空いていたヤクルトが稲葉を指名することとなり、結果プロになりたかった稲葉は大変感謝していた」(2007年10月、日本ハム対中日でのゲスト解説者としての野村の発言より)。

本人は「もともと一塁手だった為、他の外野手のような大きく腕を振ることができず、捕球してから早く送球したいために手が頭の上に来る。そこ(頭の上)から強く投げることを体で覚えた」とファイターズマガジンインタビューで語っており、ボールを捕ってから投げるまでが早いため強肩に見えるのではないかと話している。

ヤクルト時代に同僚の土橋勝征の紹介でレーシック手術コンタクトレンズを使わなくなった。

2006年8月13日の千葉ロッテマリーンズ戦(札幌ドーム)、無死一・二塁の場面で右翼フェンスを直撃する打球に対して一度捕球姿勢をとり、二塁走者のスタートを遅らせて生還を阻止するというトリックプレーを行った。また9月17日の同カード札幌ドーム)でも一死一・三塁で同じプレーを行い、三塁走者・西岡剛本塁突入を阻止した。

法大では経営学部で学んだが, 単位不足で卒業はしていない。

2008年7月15日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(東京ドーム)で、9回裏に代打で登場し1500本安打と1500試合出場を同時に達成した。

稲葉篤紀の背番号

41(1995年?2004年、2006年?)

58(2005年)

稲葉篤紀の登場曲

QUEEN: I Was Born To Love You ※この曲にあわせてファンがメガホンを回す応援が定着している。

EXILE: 銀河鉄道999 feat.VERBAL (m-flo) ※2008年3月28日より使用。得点圏に走者がいる場合には、「I Was Born To Love You」を使用している。

◇出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)『稲葉篤紀』より
取得日:2008-08-24

稲葉篤紀の関連サイト

稲葉篤紀 関連サイトをもっと見る

↑ページの上にもどる