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笑点(しょうてん)は、日本テレビ系列で毎週日曜日夕方に放送されている寄席風の演芸バラエティー番組で、同時に日本を代表する長寿番組である。1978年からはステレオ放送になった。字幕放送を実施している。
笑点の概要
1966年5月15日に放送がスタート。前身は1965年3月12日から1966年4月22日までの金曜日22:30から隔週放送されていた 金曜夜席 。番組名は三浦綾子の小説で、後にテレビドラマにもなった 氷点 をもじって立川談志がつけたもの。その他に「以前放送されていたコメンタリー番組 焦点 のパロディ」という説や「笑いの焦点」という意味合いもある。
放送開始当時はまだカラーテレビの普及率が1%にも満たない時代であったが、第1回からずっとカラー放送されている(「金曜夜席」は白黒放送だった)。
収録は後楽園ホールで隔週土曜日の昼間に行われる。また、年に数回(基本的には4回)、ネット局の開局記念イベントなどで地方での収録が行われる。(→#地方収録)
現在では、日曜のお茶の間を代表する番組となっている。放送開始から40年以上経った現在でも基本的には15%前後、時には20%以上を超える視聴率(関東地区)を叩き出す怪物番組である。しかし、大相撲の中継が裏にある場合、視聴率は10%台前半まで落ちこむ場合もある。 放送回数は2006年1月22日の放送で2000回に到達した。現在の日本テレビの番組では、 NNNきょうの出来事 (2006年9月放送終了)、 キユーピー3分クッキング(NTVバージョン) に次いで、放送期間の長さで歴代第3位である。さらに2009年まで放送が続いた場合、 素人名人会 (毎日放送)の42年という、演芸番組として最長の放送期間を塗り替えることとなる。
2005年11月23日には放送40周年を記念して5枚組の「笑点 大博覧会 DVD-BOX」が発売されたが、日本テレビのアーカイブに現存する笑点の映像は、1973年8月26日放送の大喜利が最古である。理由は、放送局用VTRは1970年代まで2インチ規格で場所を取り、テープも1巻当たりの単価が現在とは比べ物にならないほど高く、加えて著作権法の事情で番組の資料保存が安易に行えるものではなかったことなどから、放送済みのビデオテープは消去されて使い回されることがほとんどだったためである。そのため、番組開始初期の映像はオープニングを除き現存していないという。
現在は、演芸とレギュラー出演者による大喜利の二部構成である。なお放送開始当初は、演芸と大喜利の間に「談志とゲスト対談(ゲストとの掛合いが半ば即興漫才となっていた)」のコーナーがあり、その後も「前武の何でも入門(その道のプロを呼んで挑戦するというもの)」、「伸介の何でもコーナー(ゲストを呼んでの対談やその道のプロを呼んで挑戦するというもの)」、「円楽のよろずガイダンス(落語に関することを中心とした雑学の披露)」などのコーナーが存在し、長らく三部構成であった。
笑点の放送時間
毎週日曜日の17:30?18:00(1996年4月?現在)。
以前の放送時間(いずれも毎週日曜日)
16:30?17:10(1966年5月?1968年7月)
17:20?18:00(1968年8月?1996年3月)
圓楽時代の人気低迷を受けて1996年4月に番組が40分から30分に短縮されたという説(→#司会者)がある一方で、 40分 という枠組みが時代に合わないことから日テレ側から1時間に拡大するか30分に短縮するかの打診を受け、大喜利を長くやるのは不可能と判断して短縮を選んだというエピソードがレディス4にゲストで出演した桂歌丸から語られた(2007年10月29日放送分にて)。結果的に、圓楽の独演コーナー「よろずガイダンス」を終了して30分番組となった。また、当時関東ローカルで1つ前の番組で笑点で削られた10分間を内包して30分に 拡大 された「ぐるぐるナインティナイン」で変更直後の数回、笑点のオープニングに映る客席とシチュエーション似せたセットに圓楽を真似た矢部浩之と客として紛れ込む岡村隆史(いずれもお笑いコンビナインティナイン)が出るミニコント終わり際に 笑点ファンのみなさん、もう少しお待ち下さい というテロップを流していた。
2005年はプロ野球・読売巨人軍主催試合がある日で、試合開始が17:00の場合テレビ中継が18:30に前倒しになるため、あわせて笑点の開始も17:00からの放送となった。その際、歌丸は大喜利の挨拶で、来週は5時からの放送となりますので、ご注意ください。などとたびたび告知をしていた。
また年末年始以外の特番などによる休止はほとんどないが、ごくまれに休止となることがある(野球のデーゲームの延長など)。
毎年8月後半に行われる「24時間テレビ」では、チャリティー大喜利という特別バージョンで生放送を行う。なお、遅れネット局では放送されないため、放送回数には含まれない。
2005年以降、12月の第3日曜日はFIFAクラブワールドカップの3位決定戦を放送するため、放送を休止する。
1998年以前は、全国規模の選挙の投票日は、選挙特番が18時から放送される影響で夕方のニュースが繰り上がったため笑点が休止となった。なお、1998年以降は投票締切時間が20時に延長されたため選挙特番は20時台からの放送となるので、影響はなくなった。
1990年ごろには、日本テレビで土曜日の朝にローカルで再放送されていた。その後2002年も1クールではあったが、金曜10:30?11:00の枠で再放送されていた。
2003年、2004年の新年最初の放送は、正月特番の編成の都合で18:00?18:55の1時間に拡大されて放送された。
2008年6月8日は特別番組 Touch! eco 2008 明日のために…55の挑戦?スペシャル を放送したため休止した。
笑点の出演者
笑点の司会者
初代 ■立川談志(1966年5月15日(第1回)? 1969年11月2日) 前身番組 金曜夜席 からの司会。番組の企画を立てた。また前述の通り、番組タイトルの命名者でもある。裏方と見られていた座布団運びに盟友である石井伊吉(後に毒蝮三太夫と改名。この名を与えたのも談志である。)を起用し、キャラクター付けをするなど後の長寿番組に至る基礎を作り上げた。 1968年頃から番組の方向性をめぐって談志と当時の大喜利メンバーの間で対立が起きて1969年3月に大喜利メンバー全員が降板するに至り、メンバー総入れ替えによりリニューアルを図ったが視聴率が低迷。そのため、毒蝮らとともに降板。 2代目 ■前田武彦(1969年11月9日?1970年12月13日) 前任者の談志と親しい関係にあったことから後継に指名された。(司会就任の前の1967年8月27日放送の「大喜利ゲスト大会」では大喜利メンバーとして出演している) 談志よりも演芸・落語関係の知識は乏しいと思われたが人気司会者らしく巧みな司会術でそれを感じさせなかった。もともと短期での出演予定で司会を務めたのは1年余りだったが、談志降板後の新たな番組の方向性を試行錯誤し、大喜利メンバーの入れ替えも度々行われた激動の時期に貴重な中継ぎ役を果たした。 また自身の司会就任と同時に登場した 笑点のテーマ を作詞している。 レギュラー番組を複数抱え、地方収録の際には収録当日の朝に収録先へ入ったり、逆に収録終了後に東京へトンボ帰りして別の番組に出演するなどしていたという。後述の通り自らの代わりに司会をした三波伸介の評判が良いと知ると司会の座を譲って降板。 3代目 ■→□三波伸介(1970年12月20日? 1982年12月26日(第850回)) 北海道での地方収録の際、前田が天候不良で来られなくなり(前田は日本テレビのスタジオから出演。東京・北海道の二元中継の形を取った)、演芸コーナーにてんぷくトリオとして出演予定だった三波を急遽代役に立てたところ大変好評だったことから3代目司会者となった。なおこの時、座布団運びに同じくてんぷくトリオメンバーの伊東四朗と戸塚睦夫が代役を務めている。 大喜利メンバーに威圧的に接しているように見せるが、それを窺いながらおちょくられたり、なだめられたりする姿が笑いを誘った。太っている事、またそれに関する事を口に出すと激怒ながらのツッコミを入れる。またメンバー同士の罵倒にも強権であたる(着物を剥いだり、立たせたままにするなど)事が多かった。座布団の差配が絶妙(全員の座布団を全部没収するなどもよく使った)で、大喜利本来の答えの上手さより、座布団をめぐるドタバタで人気を博したと言えよう。 反面、三波の強烈なキャラクターが突然なくなったことが後任の圓楽の司会就任後しばらく続く苦戦の遠因となってしまった感は否めない。 現在のように司会者が客席に座って冒頭の挨拶をするスタイルは三波の時代に始まっている。これは三波の「笑点の顔として客席に入りお客さんと一体感を持ちたい」という意向から始まったという。 また、この時代には嵐寛寿郎、長谷川一夫といった大物スター達が「伸介の何でもコーナー」に出演するなどして番組に華を添えている。 1982年12月8日に急逝。12月12日(第848回)・12月19日(第849回)・12月26日(第850回)の放送は前半に三波の追悼特集、後半は収録済の大喜利という特別編成であったが、3週ともに高視聴率を叩き出し三波の人気の高さを改めて証明した。1983年1月2日の正月特番では案内役不在で行われ、ドレミファ大喜利司会を林家こん平、鶴亀大喜利司会を愛川欽也が臨時に担当した。 なお、1972年4月30日の300回記念の時には談志、前田、三波の3人が揃って出演している。 4代目 ■三遊亭圓楽(1983年1月9日(第851回)? 2006年5月14日(第2016回)) 三波の死、臨時司会者愛川の辞退を受け、とりあえず2回のみの出演予定で復帰したが、そのまま司会者就任となった。 当初は「答えの合間に都々逸を織り込む」、「富士子・歌丸夫人ネタを取り入れる」、「こん平の衣装をはぐ」、「 馬面 ネタを復活させる」など独自色を出していたが、都々逸の織り込みはテンポが鈍ったり、あまりに深すぎて理解されなかったりということがあり、さらに初代司会者・立川談志の批判(当時「EXテレビ」があり、談志は自身の芸論をテレビにおいてもかなり自由に語ることができていた)もあり、加えて三波時代に強烈だった喜怒哀楽の激しいドタバタが彼の性格からか若干マイルドになったことで、人気が低迷。 だがその後テンポを見直し、矢継ぎ早に指名する形に直した結果、再び人気番組となった。 司会者のキャラクターの露出を控え、弟子も「さん」付けで呼ぶなどして先輩・後輩、師匠・弟子といった垣根をなくし、大喜利メンバー全員が主役という新しい方向性を生み出した。また、歴代最長の23年間司会を務めながらその間の新加入者はわずか2人。メンバーの座る位置も弟子の好楽の復帰後はほぼ固定にする(途中、好楽と小遊三の位置を1度入れ替えただけ)など番組の形を大きく変えなかったことで持続的な人気を得る元を作った。 脳梗塞を発症して2005年10月23日(第1989回)から休養。2006年3月26日放送(第2009回)より冒頭の案内役のみ復帰するが、同年5月14日の番組放送40周年特番を機に勇退した。 圓楽が病気で休養していた時は、歌丸→楽太郎→小遊三→好楽→木久蔵の順で、週交代で代役司会を行った(歌丸の大喜利での持ちネタの1つ、「司会交代」が現実に)が、たい平と山田は代役司会を行わなかった。 5代目 ■→■桂歌丸(2006年5月21日(第2017回)?現在) 2005年10月23日?2006年3月19日は冒頭の案内役、2005年10月23日・11月27日?2006年5月14日は大喜利の代理司会を担当。2006年5月21日放送分より正式に5代目司会者に就任。2007年9月9日の第2081回目の放送より、着物の色が深緑に変わった。 大喜利のメンバー紹介では毎週 ○○なメンバーの(○○の)ご挨拶からどうぞ といい(○○は罵倒ネタ)、山田の紹介でも ○○な山田君の(○○の)ご挨拶をどうぞ という。これは3代目司会者の三波の手法を踏襲しており、その頃のドタバタ色をとりいれている。 三遊亭楽太郎、春風亭昇太、林家たい平によるブラック団も歌丸の司会就任後に登場している。このブラック団員を中心に歌丸の罵倒ネタが大喜利の答えだけでなく、メンバーの挨拶や問題紹介の時にも登場して番組の大きな位置を占めるようになっている。 自身が長らく大喜利メンバーとして活躍してきただけに、随所に練りこまれた罵倒合戦を絶妙に切り盛りし、この経験からか楽太郎が歌丸自身をネタにしている事を見越してオチに行く前に座布団を取るように山田に指示したり、またお題を他のメンバーより見事に答えてみせて、会場をうならせる場面も見られる。さらに、大喜利の答えに対し「同じような話が落語のネタにある」とコメントするケースも良く見られる。 腰部脊柱管狭窄症の手術を行う影響で、2008年6月29日(第2121回)と7月6日(第2122回)放送分の2週間休演。復帰まではたい平(第2121回)と昇太(第2122回)が大喜利の代理司会を(これにより2008年現在の大喜利メンバーは山田以外の全員が代理司会を経験したことになる)、木久扇と楽太郎が冒頭の案内役の代理を務めた。2008年7月13日(第2123回)放送の島根県出雲市での公開録画(2008年6月28日収録)で復帰した。昇太とたい平の司会があまりにも酷かったということで、両者の座布団は全部(昇太は6枚、たい平は4枚)没収された。笑点の大喜利メンバー
詳細は大喜利 (笑点)#大喜利メンバーを参照
現在の大喜利メンバー■三遊亭小遊三
■三遊亭好楽
■林家木久扇
■春風亭昇太
■三遊亭楽太郎
■林家たい平
座布団運び:■山田隆夫
(舞台下手よりの並び順) 過去の大喜利メンバー■→■三遊亭圓楽
■→■桂歌丸
■春風亭梅橋
■→■林家こん平
■→■4代目三遊亭小圓遊
柳家かゑる(現:5代目鈴々舎馬風)
三遊亭好生(後の春風亭一柳)
三升家勝二(現:8代目三升家小勝)
柳家さん吉
春風亭栄橋
2代目三遊亭歌奴(現:3代目三遊亭圓歌)
4代目三遊亭金馬
■柳家小きん(後の6代目柳家つば女)
■6代目三遊亭圓窓
■三笑亭夢之助
■7代目桂才賀
(出演開始順) 過去の座布団運び三升家勝松(現:4代目桂文字助)
毒蝮三太夫
三遊亭笑遊(現:5代目三遊亭圓遊)・三笑亭夢丸
小野千春・桂米助(ヨネスケ)
■松崎真
笑点の大喜利
大喜利 (笑点)を参照
笑点の演芸コーナー
番組の前半に行われる。圓楽司会時は「今日の笑点、端(はな、始めという意味。「華」を掛けている)は…」と紹介していたが、歌丸が司会になってからは「今日の演芸をご紹介しましょう」と歌丸がいい、ゲストを紹介する。登場するゲストは毎回1組が基本であるが、ピン芸人の短いネタの場合、2組が出るケースもある(40分番組だった時代は10分コーナーがあった)。
コーナー終了後には「引き続き大喜利をお楽しみください」のテロップが登場し、CMに入る(一時期、CMを挟まずそのまま大喜利に入り、大喜利の1問目と2問目の間にCMを挟むという時期もあった)。
芸歴の長いベテランから注目の若手まで幅広く、ジャンルも落語、漫才、漫談、コント、マジック、物真似など多岐にわたっている。
ベテランの出演が多かったころ、あまり出演機会のなかった若手を対象にした「笑点の穴」( タイガーマスク の「虎の穴」にちなむ)というコーナーもあった。毎回2?3組登場し、最後まで笑いを取れれば「おめでとう!全国放送」のテロップが出るが、取れなければネタの途中でもカットされる。プリンプリン、北陽など多くの若手芸人がしのぎを削った。また、ウッチャンナンチャンのウリナリ!!のコントコーナー「ランキングキャラクターライブ」から、番組内ユニットのザ・レスラーズ(南原清隆・勝俣州和・濱口優)とSeniorJunior(内村光良・ウド鈴木)が対決を行ったこともある。なお、ウリナリ!!メンバーが出演した後、木久扇、楽太郎、好楽が「笑点Boys」としてウリナリ!!に出演し大喜利対決も行っている。
コラボレーション演芸では、木久扇+カンカラ、BOOMER+プリンプリンなど、異色あわせの芸も披露している。
コーナー内で落語家の真打昇進披露や改名披露が行われることがある。近年の真打昇進披露は、落語協会と落語芸術協会、円楽一門会の各団体の合同によって行われることが多い。
寄席の定席での襲名披露で普通行わない、真打になった本人の挨拶があるのが特徴。本来襲名披露口上では本人による挨拶は行われないため、進行者がその旨を述べてから本人挨拶を行う。
本人挨拶が行われるようになった背景には、時間短縮がある。1996年4月、それまでの17:20?18:00から、17:30?18:00に、10分短縮された。寄席どおりにやってしまうと、大喜利の時間が取れなくなってしまうため、一席に替えて本人挨拶が登場した。だが、現在では、各協会の側も、まず笑点で顔と名前と声を覚えてもらい、寄席で芸を見てもらいたいという姿勢で臨むようになっており、全国へのお披露目の場として積極的に活用している。
通常は、各協会・一門に関係する大喜利メンバーが進行役や挨拶で登場する。しかし、9代目林家正蔵襲名披露では、こん平が多発性硬化症で療養中だったため、代理として圓楽が高座に上がった。また、大喜利レギュラーとなった後で真打になった者のうち楽太郎、好楽(昇進時は林家九蔵)、才賀の真打昇進披露の際にはその時点で真打に昇進していた大喜利メンバーが全員高座に上がった。特に才賀の時は当時の大喜利メンバー全員に加えて圓楽、さらに座布団運びの山田も高座に上がっている。(この時、才賀の師匠の古今亭志ん朝は高座に上がっていない)
1998年7月は山田が4週にわたって番組を休んだため、その間は若手落語家が出演し「大喜利下克上」を行った。司会は後にレギュラーになる春風亭昇太で、同様に後にレギュラーとなる林家たい平(当時二ツ目)も大喜利メンバーとして出演していた。なお、一番面白かった落語家には、後半の大喜利コーナーの座布団運びを担当した。
2006年1月22日の第2000回放送と、2006年5月14日の「40周年スペシャル」では、演芸コーナー最多出演者として、マジックのナポレオンズが紹介され、出演した。
2006年1月29日の放送では、桂歌丸のオープニング(通常は「こんにちは。笑点の時間がまいりました」と発言)無しでそのまま同年1月16日に死去した漫談師・ローカル岡を偲んでと題し、2005年12月に収録済みであった彼の漫談が流された。
2007年2月4日の放送では、当時林家きくおの2代目木久蔵襲名後の自分の名前を募集していた林家木久蔵の新しい名前の中間発表が行われた。結果、林家木久扇に決定した。
その時点までの公募された名前の中で、多かったものや笑点メンバーが選んだ物を紹介した(楽太郎は歌丸の本名「椎名 巌」を出していた)。
結果は4月28日の収録で発表され、終了後本人が会見を開き公表した。その模様は5月6日に放送。9月23日の放送から「林家木久扇」の名で出演している。
笑点のオープニング・エンディング
笑点の笑点音頭
番組放送当初はオープニング曲は無かったが、1967年1月より立川談志作詞・宮崎尚志作曲による「笑点音頭」が出来上がり放送された。歌はすべての歌唱パートを談志が受け持ち、大喜利メンバー(三遊亭圓楽、桂歌丸、春風亭梅橋、三遊亭小圓遊、林家こん平)と座布団運びとして新加入した毒蝮三太夫がバックコーラスを担当している。放送当時の1967年にキングレコードからレコード発売された。なお、現在では、企画盤のうちの一曲として複数のレコード会社からCD化されている。
笑点の笑点のテーマ
1969年10月に談志が司会を降板した後、新テーマ曲として 笑点のテーマ が導入された。中村八大が作曲した「チャンチャカチャカチャカ、チャンチャン」というお馴染みのフレーズは現在では笑点の代名詞ともなっている。
また、導入当初は司会・前田武彦による歌詞があった。歌は前田と大喜利メンバーが歌ったが、あまりの下手さに不評を買い短期間でインストゥルメンタルのバージョンとなり現在に至っている。
1992年まで使用されていた初期バージョンは、東海林修の編曲・指揮により、ジャズのオーケストラ形式で録音されたが、効果音係(その世界では有名だった人で、元はハーピストだった)が、効果音の一つとして使用していたクラクションの操作ミスによって、最後の部分に妙な音調で「パフ」という音を入れてしまった。ただし、好評だったのでそのまま採用され、後述の再録音の際にも再現されるなど、「笑点のテーマ」のシンボルとなった。また、提供社名を流す際の番組開始・終了用音楽は、アレンジが微妙に異なり、曲の最後の部分でブラスの音が強調されていた。これらの曲は、1979年にステレオ放送化されても、そのまま使用された。
テーマ曲は、1992年に別の演奏者により再録音された。この時、曲自体がステレオ対応となり、鳴り物や吹き物が変更され、アレンジも微妙に変化したが、全体的にはオリジナルの曲調を踏襲している(上記の提供部分もこのバージョンに変更)。その後、1996年4月に放送時間が40分から30分に時間が縮小した時以降は、間奏部分がなくなってワンコーラスになっている。
尚、2006年5月14日放送(第2016回)の40周年記念スペシャルではエンディングで、上記の、1980年代に提供アナウンス時に流れたジャズ調アレンジのテーマが流れた。
2007年4月中旬ごろからは、大喜利メンバーがデザインしたTシャツ「福T」が抽選で当たるサントリーのビール・発泡酒のキャンペーンで使用されている(歌詞は、小林克也によるCMオリジナルのもの)。また、2007年2月にはNHKの「クインテット」でもネタにされたことがある。
笑点のオープニングタイトル
タイトル文字は、現在は寄席文字であるが、放送開始当初は「笑点」の文字を笑顔に見立てるアニメーションだった。オープニングアニメーションの似顔絵・演出は竹内大三(「任侠陣傘編」と「日本の昔話編」の似顔絵・演出は永沢詢)が担当。
地方収録や、その年の最後に 三本締め で幕締めするのが恒例中の恒例であったが、最近では前半で真打昇進披露を行う場合以外には行われなくなっている。
笑点の歴代オープニング
※最後に「製作・著作 日本テレビ」と演芸文字で出るのと同時にNTVのマーク(1978年以降は社章であるメルカトル図表のロゴマーク)が長らく出ていたが、1992年7月の「なんだろう」登場以降は「なんだろう」に取って変わられるようになった。2003年以降は日テレのCI導入に伴い、現行のロゴマークである「なんだろう」+「日テレ」のロゴが入るようになった。(2008年は開局55周年キャンペーンのため「日テレ55」ロゴ)また、その直前には下記で紹介するテーマに沿ったものが画面手前からこちらに向かって飛んでくるのがならわしとなっている。
番組開始当初?1967年1月22日(オープニングテーマなし)
1967年1月29日?1969年11月2日「笑点音頭」 「笑点」の文字を笑顔に見立てるアニメーションで、その後メンバーを模した動物(立川談志…猿だがメンバー一同の猿回しもする、桂歌丸…バッタ、柳亭小痴楽(後の春風亭梅橋)…フグ、三遊亭圓楽…馬、林家こん平…ネズミ、三遊亭金遊(後の三遊亭小圓遊)…イモムシ、石井伊吉(現:毒蝮三太夫)…マムシ)が出てくる。 途中、メンバーの改名や交代があったが字幕のみの変更で対応。
1969年11月9日?1970年6月14日「歌詞付きの笑点のテーマ」 歌っていたのは前田武彦と大喜利メンバーであったが、「任侠陣傘編」以降インストゥルメンタルになっている。
1970年6月21日?1971年12月26日「任侠陣傘編」 切り絵風アニメーションで、陣笠姿の大喜利メンバー6名と司会者。陣笠を取ったメンバーと司会はコスプレ(三遊亭圓楽…スーパーマン、桂歌丸…芸者、三遊亭小圓遊…渡世人、三遊亭圓窓…ネイティブ・アメリカン、柳家小きん(後の柳家つば女)…宇宙飛行士、林家木久蔵(現:林家木久扇)…忍者、前田武彦…殿様)をしている。出演者紹介時のみ静止画のパターンはこの時点から。 1970年12月20日、差し替え・前田武彦…殿様→三波伸介…盗賊。
1972年1月2日?1974年12月29日「日本の昔話編」 水墨画風アニメーションで、朝日と富士山をバックに「笑点」の掛け軸が登場。 1972年7月30日、差し替え・柳家小きん…分福茶釜→林家こん平…笠地蔵。
1975年1月5日?1977年8月21日「笑点大演芸編」 浮世絵風アニメーションで、おなじみの寄席風の三色幕をバックに「笑点」。出演者紹介時のみ静止画で寄席文字のパターンはこの時点から。 1977年3月27日に三遊亭圓楽がメンバーを卒業して去ったため、翌週から圓楽のシーンをカットしステッキを振り回すピエロのシーンを延長した。
1977年8月28日?1980年12月28日「江戸の暮らし編」 三遊亭圓窓降板→三笑亭夢之助・三遊亭楽太郎加入のため、オープニング一新。 1979年9月9日、差し替え・三笑亭夢之助→林家九蔵(現:三遊亭好楽)…八百屋お七・顔だけ換える。 (1980年10月19日・10月26日、三遊亭小圓遊急逝・追悼によりオープニングテーマなし。)翌週差し替え、三遊亭小圓遊…国定忠治→古今亭朝次(現:桂才賀)…白浪五人男。
1981年1月4日?1982年12月5日「東海道五十三次編」 (1982年12月12日?1982年12月26日、三波伸介急逝・追悼によりオープニングテーマなし。)
1983年1月9日?1983年10月9日「日本の祭り編」 三遊亭圓楽司会就任後、初のオープニング。当初三波で制作されたものだったが、顔の部分だけ圓楽に作り替えて放送に間に合わせた。
1983年10月16日?1985年3月31日「落語の世界編」 三遊亭好楽降板→三遊亭小遊三加入のため、オープニング一新。 1984年10月7日、差し替え・松崎真…たがや→山田隆夫…百姓。
1985年4月7日?1988年3月27日「世界の童話編」
1988年4月3日?1989年3月26日「古今東西有名人編」 桂才賀降板→三遊亭好楽復帰のため、オープニング一新。
1989年4月2日?1990年12月30日「江戸の商売編」
1991年1月6日?1991年12月29日「世界のスポーツ編」
1992年1月5日?1992年12月27日「江戸の生活編」 ここよりステレオ音源になる。
1993年1月10日?1996年3月31日「日本テレビ開局40周年記念・日本の昔話編その二」 20年前のリメイク。
1996年4月7日?1998年3月29日「笑点メンバーの趣味趣向編」 この日から30分に短縮されたため、間奏がカットされ40秒バージョンになる。
1998年4月5日?1999年12月26日「笑点七福神編」
2000年1月9日?2000年12月24日「笑点ファミリー編」 ここからレギュラー陣氏名のアルファベット文字が入る。
2001年1月7日?2001年5月13日「21世紀記念編」
2001年5月20日?2003年12月28日「笑点35周年記念・大江戸すごろく編」
2004年1月11日?2006年5月14日「笑点1900回記念・大江戸笑点街横丁編」 途中で圓楽とこん平が休演するが変更はなし。こん平の代理で加入した、たい平の紹介もなかった(2006年5月14日まで代理出演扱いだった)。
2006年5月21日?2008年5月11日「笑点40周年記念・新装開店祭編」 歌丸司会就任・昇太加入・たい平レギュラー昇格後、初のオープニング。 全快を祈る目的か、終盤に一瞬だけ圓楽・こん平のイラストが登場する。 2007年9月23日放送分より、木久蔵改め木久扇の名前及びイラストを差し替え。後半も一部イラストが変わっている。
2008年5月18日?現在「日本テレビ開局55周年記念・落語の世界編その二」 歌丸:目黒のさんま、木久扇:高田馬場、好楽:金明竹、小遊三:てれすこ、楽太郎:酢豆腐、昇太:たらちね、たい平:まんじゅうこわい、山田:半分垢。
笑点のエンディング
現在は歌丸の「有り難うございました」の後、大喜利メンバーたちが高座に正座した状態で客席に向かって手を付いてお辞儀をしている様子を映したまま、「笑点のテーマ」をBGMに提供クレジットと次回の放送内容のテロップが出てそのまま番組終了となる。この間の大喜利メンバーたちはお辞儀をしたまま特に動きがないのが基本だが、時に最後に出たネタを引きずってそれに絡んだアクションをしたり、歌丸と大喜利メンバーたちのやり取りが見られることもある。また、11月から12月にかけては番組の公式カレンダーである「笑点暦」の宣伝をエンディングで行うが、番組のオフィシャル本などカレンダー以外の番組関連グッズの宣伝を
