筋肉少女帯(きんにくしょうじょたい)は、1980年代後半から1990年代後半にかけて活躍し、2006年に活動を本格再開した日本のロックバンド。通称は「筋少」(きんしょう)で、アルファベットでは「King-Show」(初期は「KIN-SHOW」)と記す。
筋肉少女帯の経歴
筋肉少女帯の結成?インディーズ期
1979年に当時中学生だった大槻ケンヂと内田雄一郎が組んだバンド「ザ・ドテチンズ」(別名ドンズ。当時の大槻のあだ名より命名)が始まり。大槻は健康青竹踏みを打ち鳴らし、内田はエレクトーンを掻き鳴らした。
ドンズが解散した後の1982年2月、二人は高校進学を期に再びバンド「筋肉少年少女隊」を結成。大槻は「JAGATARA」のようなファンクバンドを志向していたものの、練習スタジオでファンクが上手く説明できず、結局「ディープ・パープル」の様な曲調になったそうである。同4月6日のライブハウス新宿JAM「伝染病解散ライブ」にてライブデビュー。
1984年、バンド名を「筋肉少女帯」に改める。とはいえ、まだまだこの頃のライブでは大槻がうどん粉で顔面白塗りの上、裸体に包帯を幾重にも巻きつけて歌唱するなど、「当時は学園祭バンドみたいなノリで、完全にキワモノ」(大槻談)であった。
同じ頃、後に第22期筋肉少女帯メンバーとなる5人がそれぞれのバンド(大槻・内田は筋少、本城は筋少・有頂天・エッグレイヤー、太田はYTJ、橘高はSLEAZY LUSTER)でYAMAHAのコンテストに出場。たびたび顔を合わせる旧知の仲だった。筋少はパフォーマンス賞を受賞。橘高、太田はそれぞれベストギタリスト賞、ベストドラマー賞を取るなど、対照的な成績を残している。
1985年に三柴江戸蔵が参加(当初はサポート。1986年3月正式加入)して以降、音楽的にも高い実力と評価を得ていくことになる。
1987年、ナゴムレコードより発売の自主制作EP 高木ブー伝説 が話題を呼ぶ。冗談画報、11PMなどに出演。その際演奏した高木ブー伝説、ドリフターといった楽曲の歌詞が問題となったりもした。そのためドリフターズ所属の事務所を名乗る者から苦情の電話が寄せられ、 高木ブー伝説 は結局自主回収という形で販売中止となる。しかし、その電話は後に悪戯と発覚する。
筋肉少女帯のメジャーデビュー?バンドブームの盛衰
様々なメンバーが加入と脱退を繰り返す中で活動を続け、1988年6月、トイズファクトリーよりアルバム 仏陀L ・シングル 釈迦 でメジャーデビュー(第18期メンバー)。しかしその後もメンバーが定着することはなく、半年後に発売された2ndアルバムは21期メンバーで録音された。
1989年2月の三柴脱退を受け、橘高文彦の加入・本城聡章の復帰が「大槻ケンヂのオールナイトニッポン」にて発表される(第22期)。筋少のオリジナル音源への参加に先駆け、「オールナイトニッポン」の企画から派生した「まんが道」(大槻と内田による変名ユニット)の ボヨヨンロック において非公式ながら初のレコーディング。その後さらに同メンバーで録音された3rdアルバム以降ついにメンバーが定着し、以後10年間メンバー交代が行われることはなかった。
アルバム収録曲 日本印度化計画 が話題となり、続くシングル 元祖高木ブー伝説 ( 高木ブー伝説 のリメイク)が一躍大ヒット。大槻がオールナイトニッポンのパーソナリティを務めたことも相まって、一躍有名バンドへとのし上がっていく。「筋肉少女帯の深夜改造計画」という看板TV番組まで持っていた。一方で、 ボヨヨンロック 、 日本印度化計画 、 元祖高木ブー伝説 と笑いの側面の強い曲が立て続けにヒットした事もあり、はからずも世間にはコミックバンドという認知が俄かに定着しつつあった。大槻自身、この三作をまとめて「ボヨヨン・カレー・ブー」=「B・C・B」と呼び、たびたび自虐的に当時の状況をネタにしている。
1990年2月7日には単独では初となる武道館LIVE。以後1994年まで通算4度、単独での武道館LIVEを敢行する。
1992年発売のベストアルバム 筋少の大車輪 には、かつてのメンバーが一堂に集結。新録音曲「大釈迦」が収録された。
バンドブームが去った1993年暮れには事務所からの解雇、レコード会社との契約打ち切りも経験する。
1994年に橘高が、翌1995年に大槻がソロデビューするなど、メンバー各自での活動も多くなっていった。
筋肉少女帯の活動凍結?それぞれの道へ
1998年。22期メンバーでの活動に行き詰まり感を覚えていた大槻が、内田及び、三柴らかつてのメンバーと期間限定で「80年代の筋肉少女帯」を結成。LIVEツアーも行う(後にインディーズよりビデオ発売)。
バンドブーム衰退後も独自のスタンスを保ちメジャーシーンで活躍しつづけたが、1998年7月の渋谷公会堂ライブを最後に太田が脱退。更に1999年5月には大槻がバンドメンバーの交代を示唆した事により橘高が脱退を表明。この事態がファンの反発を招き、インターネット上でダイレクトに批判を受けたリーダーの大槻が翌6月に脱退を表明した。
内田雄一郎と本城聡章の2人のみとなった筋肉少女帯は事実上解散状態となる。しかし2人は筋肉少女帯の名を守りつづけることを決意し、「解散」ではなくバンドとしての活動「凍結」を宣言した。
その後、大槻は文筆活動と併行して「特撮」を結成。橘高は脱退と前後する形で結成していた「X.Y.Z.→A」に専念。太田は相川七瀬らのサポートの傍らドラム教室を開催。内田と本城は他アーティストのサポートやプロデュース活動の他、「筋肉少女帯」(KING-SHOW)としてサントラ製作やライブアルバム監修、イベント主宰などを行っていった。
筋肉少女帯の仲直り?活動再開
活動休止前後にはメンバー間で行き違いもあり、特に盟友関係と言っても良かった大槻と内田は、その後「特撮」内で対立して内田が脱退するなど一時絶縁に近い状態となってしまう。 しかし
大槻と橘高の所属バンド同士が競演する
内田と本城の主催イベントに橘高が参加し、「一夜限りの復帰」と銘打ってセッションを実施
大槻・内田双方と交友があった元アンジーの水戸華之介が大槻のイベントにゲスト出演した際に内田を登場させて仲直りの場を設けた(もともとは大槻が水戸に内田への出演交渉を依頼。水戸は辛うじて内田の電話での出演を取り付けた形にしておいて、当日電話しながら内田が登場するというサプライズを演出。)
など、徐々に関係を修復していった。共演の際に筋肉少女帯の曲が演奏されることもあり、大槻と内田に至っては「仲直り」自体をイベントのネタとして使用するまでになる。
2006年にはかつて大槻がケラ、内田と結成していたユニット空手バカボンが突如復活しライブを行った。さらに大槻と橘高が三柴らのサポートを受けて「大槻ケンヂと橘高文彦」と称するコンビを組み、筋少ファンを公言する滝本竜彦原作・大岩ケンヂ作画のテレビアニメ N・H・Kにようこそ! に楽曲を提供。大槻、橘高参加時の往年の「90年代の筋少」サウンドを髣髴とさせる楽曲となった(シングル盤には筋少時代の楽曲「踊るダメ人間」のセルフカヴァーも収録されている)。
同年4月から7月にかけて 週刊アスキー 誌上において大槻が 筋肉少女帯物語 第1部を連載。大槻本人が明記しているようにフィクションのキャラクターも登場する「小説」なのだが、当時のメンバーらの許可の元に、バンドブームに巻き込まれ、急激に人気バンドになってしまった彼らを取り巻いていた状況なども語られている。
そして小説第1部の最終回掲載直前の7月22日。恵比寿で行われた「大槻ケンヂと橘高文彦」のライブに、サプライズゲストとして内田と本城が登場。大槻と橘高の筋肉少女帯再加入と、4人で同年12月28日に筋肉少女帯のライブを行うことが発表され、凍結状態であったバンドは8年ぶりに復活を果たした(小説第1部のラストでも、大槻が復活を宣言)。メンバーそれぞれの発言等からは、期間限定の復活ではないことが強く示唆され、長期的な活動を展望していることが窺える。
2008年9月21日に14年ぶり、単独では5度目となる武道館公演を行った。
筋肉少女帯のメンバー
筋肉少女帯の正規メンバー(第24期)
大槻ケンヂ(おおつき けんぢ、1966年2月6日 -)ボーカル。東京都中野区出身(在籍期間1982年-1999年,2006年-) 結成時よりのオリジナルメンバー。当初の名義は「モヨコ」、「おーつきモヨコ」、あるいは「大槻モヨコ」等。結成当初はボーカル&ベースだったが、歌いながらだとベースが弾けないことが発覚。ボーカルに専念することとなる。ほとんどの作詞を手がけ、独自の幻想的・自虐的世界観を作り出すことに成功する。 作家、エッセイスト、タレントとしても活動。バンドの知名度アップに大きく寄与したが、自身も認める通りそれが色物的扱いを受ける要因にもなった。2006年7月再加入。 内田雄一郎(うちだ ゆういちろう、1966年2月8日 -)ベース。東京都中野区出身(在籍期間1982年-) 結成時よりのオリジナルメンバーで唯一バンドを離れたことがない。当初の名義は「ユウ」、「ゆう」、「内田ユウ」など。結成当時はキーボードを担当していたが、大槻がベースができなくなったために急遽ポジションチェンジ。 後述のようにプログレやYMO、野口五郎を好み、筋少でも幾つかの名曲を作曲。 大槻とは中学からの同級生であり、ドテチンズ、空手バカボン、まんが道などで共に活動。特撮にも結成当初在籍した。現在は水戸華之介&3-10chainでも活動中。 ゲームファンであり、週刊ファミ通に連載を持っていた事がある。 本城聡章(ほんじょう としあき、1964年9月10日 -)ギター。東京都出身(在籍期間1982年-1985年,1989年-) 1982年、ケラと共に有頂天に参加、同4月6日のライブで筋少と共にインディーズデビューを飾る。内田の高校の先輩というつてもあり、結成9ヶ月の筋少に掛け持ち加入。当初の名義は「トシ」。1989年の再々加入後(1984年にも数ヶ月ほど脱退していた時期がある)、1992年のアルバム「エリーゼのために」より作曲を手がけ始め、筋少のPOPな一面を引き出す立役者となる。現在のメインギターはフェンダー・ストラトキャスターとキャパリソンのデリンジャー。 橘高文彦(きつたか ふみひこ、1965年12月27日 -)ギター。大阪府枚方市出身(在籍期間1989年-1999年,2006年-) 1984年、ヘヴィメタルバンド「AROUGE」にてメジャーデビュー。同バンド解散から3年後の1989年より筋少に参加。「三柴君と一緒にやれると思ってたら、彼が辞めちゃって」と、後に本人が加入のいきさつを語っている。メインギターはギブソンのフライングVとキャパリソンのFKV。 様式美メタルな作曲と、本人いわくお城を建てるギターソロが特徴。2006年7月再加入。筋肉少女帯のサポートメンバー
三柴理(みしば さとし、1965年1月15日 -)キーボード。正規メンバーとして1986年-1989年(第13-21期)在籍。 旧名・三柴江戸蔵(みしばえどぞう)。通称エディ。デビュー初期のプログレ色を牽引した。筋少の音楽的な発展に大きく寄与する一方で、大槻以上の強烈なパフォーマンスを展開した人物であり、全裸でピアノを弾いた、演奏後観客席にダイブしたなどナゴム人らしい逸話あり。4歳から続けてきたクラシックピアニストとしての側面を追求するため、2ndアルバム後に脱退。 大槻らとの交友はその後も続き、「80年代の筋肉少女帯」「特撮」の正規メンバー、「大槻ケンヂと橘高文彦」などのサポートを担当。2006年12月の復活ライヴよりピアノ&キーボードでサポート参加。※サポートドラマーは流動的で固定されていない模様。熱心な筋少ファンであり五人一首とのセッションでコピーバンドを経験した事もある陰陽座の斗羅や、大槻のソロ活動「大槻ケンヂス」などにも参加している原治武などが歴任。現在はTHE ALFEEのサポートメンバーだった長谷川浩二がツアーでのドラムスを担当。
筋肉少女帯の過去在籍メンバー
※過去在籍した正規メンバーは総勢17人にも達するため、主な者のみに留める。
太田明(おおた あきら、1965年6月30日 -)ドラムス。東京都出身。1988年-1998年(第19-22期)在籍。 約11年間に渡って在籍した、通称「90年代の筋少」の一人。ジャズなどの素養も持ち、幅広い音楽性のバンドを卓越したドラムテクニックで支え続けた。前述の三柴とスタジオミュージシャン時代からの旧知の仲だったことから加入。 2006年の復活に際しても他メンバーから要請がなされ最初の音合わせには参加したものの、参加は見送られた。 デビュー20周年記念公演「サーカス団、武道館へ帰る!」に、元サポートメンバー秦野猛行(Key)横関敦(Gu)と共に出演。 美濃介(みのすけ、1965年4月25日 -)ドラムス。1983年-1988年(第6,9-18期)在籍。 インディーズ初期?デビュー時まで在籍したドラムス。 脱退後もアルバム「SISTER STRAWBERRY」収録の「日本の米」曲中コントにゲスト参加している。 現在はケラの率いる劇団「ナイロン100℃」の看板俳優として舞台、TV等で活躍中。ミュージシャンとしては主にボーカル&ギターとして活動中。デビュー20周年記念公演「サーカス団、武道館へ帰る!」に出演。 関口博史(せきぐち ひろし)ギター。1987年-1988年(第18期)在籍。 パンクバンド奇形児を経て加入。デビューアルバム「仏陀L」に参加後、ばちかぶりへの加入が決定し筋少を脱退。 1998年「80年代の筋肉少女帯」ライブにて久々にゲスト参加。 石塚BERA伯広(いしづか べら のりひろ)ギター。東京都出身。1985-1986年(第12-13期)在籍。 太田明とのYTJ、中野テルヲとのMODE-ID等数多くのバンドを経験。ナゴムの他バンドとの交友も広い。 脱退後はSOFT BALLET等のサポートギタリストとして活躍。 1998年には「80年代の筋肉少女帯」のメインギタリストも務めた。 友森昭一(とももり しょういち、1966年1月13日 -)ギター。1987年(第15期)在籍。 元・AUTO-MOD、レベッカ。石塚BERAとは高校の同級生。学生時代からプロのスタジオミュージシャンとして活動。インディーズ期の筋少でギターを弾きつつ、同時期にレベッカで大会場でのライブをこなしていた。「80年代の筋肉少女帯」参加メンバー。筋肉少女帯のメンバー変遷
| 時期 | メンバー | 備考 | |
| 1期 | 1982.02- | 大槻ケンヂ(Vocal,Bass) 内田雄一郎(Keybord) 鈴木ナヲト(Drums,Vocal) トミー高橋(Guitar) |
筋肉少年少女隊 結成 |
| 2期 | 1982.05- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 鈴木ナヲト(Drums) トミー高橋(Guitar) |
筋肉少女隊 に改名 大槻、内田ポジションチェンジ |
| 3期 | 1982.07- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 鈴木ナヲト(Drums) トミー高橋(Guitar) しけもく渡辺(Keyboard) |
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| 4期 | 1982.11- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 鈴木ナヲト(Drums) 本城聡章(Guitar) みを(Keyboard) |
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| 5期 | 1983.04- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 本城聡章(Guitar) みを(Keyboard) ベコ(Drums) |
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| 6期 | 1983.07- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 本城聡章(Guitar) みを(Keyboard) 美濃介(Drums) |
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| 7期 | 1984.05- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 本城聡章(Guitar) みを(Keyboard) ジン(Drums)From有頂天 |
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| 8期 | 1984.07- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 本城聡章(Guitar) ジン(Drums) |
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| 9期 | 1984.08- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 美濃介(Drums) ゲッタ(Guitar) |
美濃介、復帰 |
| 10期 | 1984.09- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 美濃介(Drums) 後藤くまお(Guitar) 中丸栄子(Backing Vocal) |
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| 11期 | 1984.10- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 美濃介(Drums) 本城聡章(Guitar) |
筋肉少女帯 に改名 本城、復帰 「ナゴムオムニバス あつまり」に参加、初録音 |
| 12期 | 1985.04- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 美濃介(Drums) 石塚BERA伯広(Guitar) |
「とろろの脳髄伝説」発表 |
| 13期 | 1986.03- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 美濃介(Drums) 石塚BERA伯広(Guitar) 三柴江戸蔵(Piano,Keyboard)ex.新東京正義乃士 |
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| 14期 | 1986.11- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 美濃介(Drums) 三柴江戸蔵(Piano,Keyboard) 中村ムー哲夫(Guitar) |
「ノゾミ・カナエ・タマエ」発表 |
| 15期 | 1987.04- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 美濃介(Drums) 三柴江戸蔵(Piano,Keyboard) 友森昭一(Guitar)Fromレベッカ |
「高木ブー伝説」発表 |
| 16期 | 1987.08 | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 美濃介(Drums) 三柴江戸蔵(Piano,Keyboard) DO小巻(Guitar) ※サポート |
数度のライブのみの模様 |
| 17期 | 1987.08- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 美濃介(Drums) 三柴江戸蔵(Piano,Keyboard) ももちゃん(Guitar)FromGO-BANG'S |
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| 18期 | 1987.09- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 美濃介(Drums) 三柴江戸蔵(Piano,Keyboard) 関口博史(Guitar)ex.奇形児 |
シングル「釈迦」、アルバム「仏陀L」でメジャーデビュー |
| 19期 | 1988.07- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 三柴江戸蔵(Piano,Keyboard) 太田明(Drums) 加藤卓之(Guitar) |
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| 20期 | 1988.09- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 三柴江戸蔵(Piano,Keyboard) 太田明(Drums) |
唯一のギター不在の時期。数度のライブを行う |
| 21期 | 1988.10- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 三柴江戸蔵(Piano,Keyboard) 太田明(Drums) 横関敦(Guitar)ex.BRONX ※サポート |
「SISTER STRAWBERRY」発表 |
| 22期 | 1989.02- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 太田明(Drums) 本城聡章(Guitar) 橘高文彦(Guitar) 秦野猛行(Keyboard) ※サポート |
本城、再復帰・橘高加入。これによりメンバー固定 以後、多くのアルバム、シングルを発表 |
| 1998.09 | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 三柴理(Piano,Keyboard) 石塚BERA伯広(Guitar) 友森昭一(Guitar) 小畑ポンプ(Drums) ※サポート |
期間限定で旧メンバーと 80年代の筋肉少女帯 結成 | |
| 23期 | 1999.07- | 内田雄一郎(Bass,Programing) 本城聡章(Guitar,Programing,Vocal) |
1998.10.大田脱退。1999.05.橘高脱退。1999.06.大槻脱退。筋少、活動凍結 内田&本城が KING-SHOW 名義で幾つかのオムニバスアルバムに参加 |
| 24期 | 2006.07- | 大槻ケンヂ(Vocal) 内田雄一郎(Bass) 本城聡章(Guitar) 橘高文彦(Guitar) 三柴理(Piano,Keyboard) ※サポート ※サポートDrumsは流動的 |
2006年、 90年代の筋少 8年ぶりの解凍 |
参考文献「筋少新聞2号」
筋肉少女帯の特徴
筋肉少女帯の音楽的特徴としては、大槻の詞の世界と、バンドサウンドの完成度が挙げられる。大槻の描く詩の世界は大衆受けするものではないが、当時「ナゴム系」と呼ばれた一部のサブカルチャー趣向の少年少女たちの支持を受け、いわゆるバンドブームが衰退した後も、根強くバンドを支えた。
また、大槻の幻想的・奇抜な詞からキワモノバンドとして見られがちであったが、大槻とは長い付き合いでプログレッシヴ・ロックやYMOの影響の濃い(野口五郎など歌謡曲の影響もある)内田、2ndアルバムから参加したテクニシャンのドラマー太田、そして3rdアルバムから参加した橘高・本城らによる多様性豊かなサウンドは、ハードさ、繊細さにおいて高い完成度を誇っていた。
そもそも大槻は「人前に出るためにバンドを始めたので、音楽のビジョンがなかった」と自ら回想しているように、彼にとってはあくまでもバンドは表現の一手段であり、その形態を続けることが何よりの先決であった。そこで他のメンバーによる音楽性の明確な方向付けがバンドには不可欠であったのだ。
三柴在籍時のインディーズ後期からデビュー初期にかけてはプログレ、パンク、ハードロックが混在した音を聴かせ、主に三柴と内田が音楽的方向性の主導権を握っていた。
三柴脱退後、新たな方向性を模索していた筋少は、オーディションで洋楽受容者でヘヴィ・メタルのギタリストである橘高が加入すると、彼と本城のツインギターによりハードロック系の音楽性を前面に押し出していくこととなる(大槻は一般的にメジャーなこの時代の筋少を指して「'90年代筋少」と呼んでいる)。大槻は時には橘高のメタル路線や本城のポップス志向に音楽をゆだね、時には意図的な不調和をかもし出す詞や編曲を施すなど、自身の想像力を発揮する方向性を見出していった。
筋肉少女帯のネーミング
「当初は、筋肉少年隊とするはずであったが、少年隊が所属するジャニーズ事務所よりクレームがついた為、名前を変えた」という俗説があるが、先述のようにインディーズの無名時代からすでに「筋肉少女帯」と名乗っている。
当の大槻ケンヂによれば、
確かに「少年隊」というネーミングには影響された
そこで「筋肉」と「少年隊」という対比的な概念を組み合わせようと考えた
当時、自分の性別に違和感を覚えることもあったので「少年」→「少年少女」→「少女」に変更
「隊」という文字に不良少年的なイメージを感じ、気に入らなかったので字を変えた
というのがネーミングの理由であるとの事。しかしその時々で大槻が面白おかしく脚色して話しているために、真相はこれまた一切不明。
なお海外に紹介された時のバンド名の訳は「muscle girls area」になってしまったらしい。
筋肉少女帯の作品
筋肉少女帯のシングル
| リリース | タイトル | 規格 | 販売生産番号 | |
| 1st | 1987年8月 | 高木ブー伝説 | EP | NG-042 |
| 2nd | 1988年6月21日 | 釈迦 | EP | 10309-04 |
| - | 1989年4月25日 | ボヨヨンロック(「まんが道」名義) | 12cmCD | 82004 |
| 3rd | 1989年12月5日 | 元祖高木ブー伝説 | 8cmCD | 20362 |
| 4th | 1990年9月5日 | サボテンとバントライン | 8cmCD | TFDC-28001 |
| 5th | 1991年7月5日 | 踊るダメ人間 | 8cmCD | TFDC-28005 |
| 6th | 1992年2月21日 | 氷の世界(井上陽水の同名曲をカバー) | 8cmCD | TFDC-28007 |
| 7th | 1992年6月21日 | バトル野郎?百万人の兄貴? | 8cmCD | TFDC-28011 |
| 8th | 1993年3月21日 | 暴いておやりよドルバッキー | 8cmCD | TFDC-28015 |
| 9th | 1993年5月21日 | 君よ!俺で変われ! | 8cmCD | TFDC-28017 |
| 10th | 1994年1月25日 | 蜘蛛の糸 | 8cmCD | MVDD-13 |
| 11th | 1994年5月21日 | 香菜、頭をよくしてあげよう | 8cmCD | MVDD-16 |
| 12th | 1994年11月23日 | リルカの葬列 | 8cmCD | MVDD-19 |
| 13th | 1996年3月6日 | トゥルー・ロマンス | 8cmCD | MVDD-37 |
| 14th | 1996年11月25日 | 僕の歌を総て君にやる | 8cmCD | PHDL-1073 |
| 15th | 1997年1月29日 | 小さな恋のメロディ | 8cmCD | PHDL-1080 |
| 16th | 1997年4月30日 | タチムカウ -狂い咲く人間の証明- | 8cmCD | PHDL-1088 |
| 17th | 1997年9月3日 | 221B戦記(「筋肉少女帯と水木一郎」名義) | 8cmCD | PHDL-1102 |
| 18th | 2007年9月5日 | 仲直りのテーマ | 12cmCD | TFCC-89218 |
| 19th | 2008年8月27日 | ツアーファイナル | 12cmCD | TFCC-89254 |
※「まんが道」は22期メンバーによる演奏だが、筋少名義での発表を拒否し別名義となった。
筋肉少女帯のオリジナルアルバム
| リリース | タイトル | 規格 | 販売生産番号 | |
| mini | 1985年9月 | とろろの脳髄伝説 | EP | NG-017 |
| mini | 1987年3月 | ノゾミ・カナエ・タマエ | miniLP | NG-036 |
| 1st | 1988年6月21日 | 仏陀L(初回盤LPにはソノシート パンクでポン 付属) | LP CT 12cmCD |
30304-28 50304 80304-32 |
| 2nd | 1988年12月21日 | SISTER STRAWBERRY | LP CT 12cmCD |
30322-20 50322 80322-20 |
| 3rd | 1989年7月5日 | 猫のテブクロ | CT 12cmCD |
50350 80350 |
| 4th | 1990年2月5日 | サーカス団パノラマ島へ帰る | CT 12cmCD |
VPTC-50362 VPCC-80362 |
| 5th | 1990年11月21日 | 月光蟲(初回盤のみ紙BOX入) | 12cmCD | TFCC-88003 |
| 6th | 1991年7月21日 | 断罪!断罪!また断罪!! | 12cmCD | TFCC-88010 |
| 7th | 1992年5月21日 | エリーゼのために | 12cmCD | TFCC-88021 |
| 8th | 1993年4月25日 | UFOと恋人 | 12cmCD | TFCC-88030 |
| 9th | 1994年4月21日 | レティクル座妄想 | 12cmCD | MVCD-13 |
| 10th | 1996年3月23日 | ステーシーの美術 | 12cmCD | MVCD-33 |
| 11th | 1996年12月9日 | キラキラと輝くもの | 12cmCD | PHCL-5041 |
| 12th | 1997年10月15日 | 最後の聖戦 | 12cmCD | PHCL-5057 |
| 13th | 2007年9 |
