鉄炮記(てっぽうき、鐵炮記)は、江戸時代の1606年(慶長11年)に成立した鉄砲伝来に関わる歴史書である。戦国時代に種子島へ鉄砲(火縄銃)が伝来された史実を領主である種子島久時が、父種子島時堯の鉄砲入手とその製法確立の過程を薩摩国大竜寺の和尚である南浦文之に編纂させたものである。
日本へは原始的な火器は倭寇などにより鉄砲伝来以前に持ち込まれていたとする宇田川武久らの説もあるが、 鉄炮記 に記されているのは1543年(天文12年)にポルトガル人により種子島へ鉄砲(火縄銃)が持ち込まれたとする事件(鉄砲伝来)を意味する。 鉄炮記 の記述は詳細で、種子島への鉄砲伝来に関しての史料が他にないこともあり1543年(天文12年)伝来説の根本史料として利用される。
史料の成立は時堯死後27年、鉄砲伝来から60年近く経った1606年(慶長11年)である。16代久時が種子島時堯を顕彰する目的でまとめた記録である。
◇出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)『鉄砲記』より取得日:2008-09-06
鉄砲記の関連サイト
- 鉄砲伝来 - Wikipedia
と諸説あり、鉄砲記の伝来年以前とするものもあり、はっきりしない。 - 鉄炮記 - Wikipedia
- 相模国における鉄砲伝来
『鉄砲記』にある一五四四(天正十三)年頃の貿易船の伊豆漂着をきっかけに普及したという説と、近江国国友村の由緒や『北条五代記』にみられる小田原の山伏道場玉竜坊の僧が修行の際、堺で鉄砲を入手して北条氏康に献上したという話である。 - 国友鉄砲鍛冶の歴史
それは、鉄砲鍛冶たち自らが書き著わした「国友鉄砲記」や「由緒書(ゆいしょがき)」などです。 - ホルトガル人は二度種子島に来た
前回 鉄砲伝来のことについて書きましたが、鉄砲伝来の史実については、1543年説と1544年説が資料的にあるようです。 - 第1章 第1節
のちに薩摩で記された書「鉄砲記」(1601、慶長11年、南甫文之・なんぼぶんし撰述)によると、種子島時尭は、即座に、家臣に火薬の調合法を学ばせ、お抱えの刀剣師や鉄匠、鍛冶工をかき集め、火縄銃の倣作を命じたという。 - C:\saigamagiichi\saigamagiichi ...
( 注 )「鉄砲記」という伝書を基礎に書きましたが、この「鉄砲記」は、江戸初期に鉄砲を伝えた種子島時尭の功績を称えて「文之玄昌」という人が書いたもので、 - 鉄砲伝来
これは江戸時代になってから書かれた『鉄砲記』という史料の記述に基づいたものです。 - 鉄砲伝来の謎 尾張田付流古式砲術保存研究会
ひとつは種子嶋家に伝わる家譜で「種子嶋家譜」と、もう一冊は、薩摩の大滝寺の和尚、南浦玄昌によって1606年に著された「鉄砲記」である。 - 種子島は1番
鉄砲伝来書物は薩摩藩島津家に仕える大竜寺の僧、南浦文之(なんぽぶんし)著「鉄砲記」は有名てある(下段に現代語訳あります)。






